第11話 プロローグ

 病院の屋上は9月だというのに夜風が涼しく、シャワーを浴びた身体の火照りを解いてくれる。


 黒田がギルド代表・鞍馬理央に引っ張られてから2週間が経過した。


 俺の全身を覆っていた包帯は早くも取れ院内を自由に動き回れるほどに回復していた。


 先生曰く——


「君、なんか傷の治り早くない?」


 とのことだったが、恐らく納屋での生活で菌やウイルスに対する免疫が強まっていたのだろうと勝手に推測している。


 黒田の家畜事件は全政界的に報道され、彼が運営していた武器生産会社はもちろん、彼を幹部に据えていたギルドも大打撃を喰らったようで俺に対して当面の生活費と賠償金の3億円が支払われた。


 なんでも、一般的な社会人の生涯年収に匹敵する額らしい。大金だ。


 俺はそのお金で買った紙パックのいちご牛乳をひとすすりする。

 病院に来てからの俺のお気に入りだ。

 なんだか懐かしい味がしてどうにもやめられない。


 口の中を支配する甘ったるい洪水を堪能していると、ふと口から言葉がこぼれた。


「さて、これからどうするか——」


 黒田に飼われてから10年余り。人間として生まれた名前を捨て、913という番号で識別されてそれだけの時間が経過していた。


 結局、俺を除いた家畜仲間たちは数えるほどしか残っておらず、その誰もが私刑による恐怖に囚われていたり治療不全ために幾許いくばくもない命だったりと満足な状態にはない。


 バジリスク討伐という致死任務に挑んだ俺が生き残ってしまったのはなんとも皮肉なものだ。


『いつか黒田を倒して自由になる』


 そう誓ってここまで来るのにあまりに犠牲が多すぎた。


 俺はそっと自分の首を撫でる。


 黒田により巻かれていた爆弾付きの首輪はダンジョンから回収された際に解除、回収されていた。


 配信されているのを知った黒田が爆弾を使うのを思い留まったらしい。実際、俺から離れてバジリスクと戦っていた仲間のひとりは爆裂していた。


 この戒めが解かれ、晴れて世界に解き放たれた今、俺にはやるべき使命もやりたい希望も存在しない。

 なんとも虚無な人間が生まれてしまったものだ。


 屋上の柵に身を委ね、煌々こうこうと明かりが灯る街を見下ろす。

 暗い納屋で生きてきた自分の居場所は、このきらびやかな生活の中にはない。

 居ても居なくても同じ。空気のような人間。それが今の俺だ。


 そうしようと思ったわけではなかったが、柵に寄りかかった身体が少しずつ前に、そらに向かって倒れていく。


 この虚脱感にもういっそ身を委ねてしまえば楽かもしれない。そう思っていた時、屋上の扉が控えめに開く音がした。


「……あなた、何してるの」

「……七瀬か」


 俺は腹筋に力を込め身体を起こし、彼女の方へ振り返る。


「どうした、こんな遅い時間に」

「あ、これ」


 七瀬は俺に1枚の紙を手渡す。


「お医者さんが、これ、入院明日で終わりだから入院費って……」

「なるほど、病院というのも世知辛い場所だ」


 七瀬は何も言わずに俺の隣で柵に身を預け、空を見上げる。

 釣られて俺も高い空を眺める。


 本では星明かりとはキラキラと表現されがちだが、この表現は地面にある街にこそ相応しい言葉だと思った。

 星とは、こんなにぼやけたものなのか。


「……ねえ、明日からどうするの」


 おもむろに七瀬が口を開く。


「……そうだな。特に行く当てもないし、旅にでも出るかな。幸い、路銀はたっぷりある」

「当てはあるの?」

「ないから旅なんじゃないのか?」


 しばし沈黙の帷が降りる。

 先に静寂を破ったのは七瀬だった。


「はぁ、そっか……」

「お前はどうするんだ?」


 ギルドの人間に、今回の騒動の顛末と併せて、配信動画を見せてもらった。

 その中で彼女に浴びせられる言葉は、批判8割、応援2割といったところ。


 この世界は、彼女に厳しすぎる。

 俺はそう感じていた。

 しかし、七瀬は笑って口を開く。


「わたしね、お祖父様の手記を読むのが大好きだったの。ダンジョンには未知の宝や見たこともない秘境があって、それを楽しそうに巡っては笑うお祖父様の冒険に憧れてたの」

「……」

「でもね、パンドラの匣事件があって、世間がお祖父様を悪く言うようになって、わたしもそうなんだって思い込むようになってた。その方が楽だったから」


 切なげな顔で七瀬は続ける。


「でも、あなたに『お祖父様のことが大好きだ』って言われてわかっちゃった。きっとわたしはまだお祖父様に、ダンジョンでの冒険に憧れているの。憧れてても許してくれる人が居るんだって。変な話よね、ネザリアンの件もあるのに」


「いや、そんなことはない。憧れこそ、人を突き動かす最良の燃料だと100も言っていた」


「ありがと。だからね、わたしはダンジョンに戻ろうと思う。まだ実力不足だしどこで死ぬかはわからないけど。やれるだけやろうって」

「そうか……」

「うん。……ここに来たのは、あなたを誘うため、だったんだけど……」


  彼女は俺に向き直り、何やら恥ずかしげな顔で告げる。


「わたしと、一緒に来てくれませんか? もし何の目的も行くアテもないなら、わたしと一緒に冒険、してみませんか?」

「冒険?」

「そう、お宝を探したり、秘境を巡ったり、珍しいモンスターを見つけたり。そうやってダンジョンを知りつつネザリアンが支配してる階層の解放も進めるの。わたし1人じゃ無理かもしれない夢だけど、あなたとなら叶えられると思うの」

「……夢」


 夢。家畜生活の中でいつしか考えることを諦めた言葉。使命に生きる中で空っぽになってしまったもの。


 きっと、今の俺に足りないもの。


 彼女なら、七瀬灯ならこの穴を埋めてくれるのだろうか。

 勝手な期待が俺の中でくすぶり出す。


「いいな」

「え?」


 気がついたら口が勝手に動いていた。


「いいの?」

「何が?」

「わたしと一緒に冒険してくれるの?」

「そうだな。……改めて、八坂やさか陽太だ。一緒に冒険しよう。いや、君と一緒に冒険したい」

「ッ〜〜」


 俺が素直にそう答えると、七瀬は顔を耳まで赤くしてそのままうずくまってしまう。


「どうした、泣いてるのか?」

「うるさい。デリカシーないわね」

「安心するにはまだ早い。俺に考えがあるんだ。ダンジョンの素晴らしさを伝えつつ、お祖父さんの、ヴェルヌの無念を晴らす考えが——」





 1ヶ月後。


「皆さんこんにちは、ちゃんと見えてますか〜? 世界初、ダンジョン攻略生配信のチャンネルにようこそ!」


『ダンジョン攻略生配信?』

『攻略って、蹂躙されて終わりだろ?』

『てか、こいつヴェルヌの孫じゃね』

『あ、隣にいるの黒田事件のときのクソ強奴隷!』


「はいは〜い、コメントありがとうございますっ! わたし、ヴェルヌ=シーカーの孫娘である七瀬灯と黒田事件の被害者で元家畜の八坂陽太による攻略生配信となってます! どうぞ、ご期待ください!」


「コラ七瀬、勝手に煽るなよ」


「いいじゃない、始まりはこれくらい派手な方がいいわ」


 七瀬が自信たっぷりにそう断言するので、俺にはもうどうすることもできない。

 でも、それにワクワクしている自分がいるのもまた事実で……。


「それじゃ、早速始めるか」

「うん! まずはダンジョン第6層の調査ね。あ、その前に合言葉! お宝は〜?」

「探す」

「秘境は〜?」

「巡る」

「ネザリアンは〜?」

「追い返す」

「それじゃ、始めましょう! わたしたちの冒険を!!!」


 なんとも奇妙な合言葉と共に、俺と彼女のダンジョン配信は幕を開けた。

 この先どうなるかは、まあ神のみぞ知るのだろう。


 それでも俺は、今を、この冒険を楽しむ。


 それが俺の、俺たちの夢だから。

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