第10話 リベンジ
「ん——」
どれほど眠っていたのだろう、沈んでいた意識が覚醒する。身体が気怠い。
モヤのかかる頭のままで上体を起こす。
視界に入るのは電灯、シーツ、無機質な壁。
どうやらどこかしらの医療施設に運ばれたようだ。
「俺は確かダンジョンに潜って、それで——」
まざまざと意識を失う直前の記憶が掘り起こされる。脳裏に焼き付いて離れないあの邪悪な笑み。
地底神官ジャビ。人類文明への侵略を是とするダンジョン深層からの刺客。地底文明ネザリアンの中枢。
「そうだ、あいつらは——っ」
ベッドを降りようと身体を右にひねる。その途中で、何か固いものを蹴飛ばした。
「イテッ——!」
「?」
声のした方を見やると、そこには頭を押さえて床を転げる大河の姿があった。
その身体には痛々しく包帯やガーゼが巻かれているが、どうやら無事なようでホッと胸を撫で下ろす。
「何してんだ?」
「何って、お前せっかくひとが見舞いに来てやってんのにそりゃァないだろ!?」
「そうか、見舞い、か」
家畜の身分に落ちた時から傷だらけで戻っても、雑な手当てだけされて納屋に放り込まれるのが常だった俺にとって馴染みのない言葉だ。
「ん、待てよ。なんで俺は病院にいる?」
「あ! それがよ、いま大変なことになってンだ!!!」
「大変?」
「あっ! ちょっと待ってください、まだ——」
扉の外から何かを大声で制止する七瀬の声が聞こえる。どうやら彼女も無事なようだ。
あの絶望的な状況で一般人はすべて守れたことは奇跡に等しい。この2人の協力なしには成し遂げられなかっただろう。
「よかった」
そう心からの言葉が漏れ出る。
しかし、平穏は長く続かないのがこの世の常だ。
「きゃっ——!?」
七瀬の短い悲鳴が聞こえたのち、病室の扉が勢いよく開かれる。
「913ッ! お前とんでもないことしてくれやがったな!!!」
乗り込んできたのは怒り心頭といった様子の黒田と、1人の綺麗な白髪を結えた壮年の男性。理知的な眼鏡の奥で温和な瞳がにこりと微笑む。
「おいッ! 貴様聞いているのかッ!!!」
「飼い主様——」
「バカ! その呼び方を!!!」
「どうやら、本当のようだねぇ黒田くん♬」
「ま、待ってください、これには事情がっ——」
珍しく黒田が取り乱している。
「ちょっと、この人意識が戻ったばっかりなんだから! もうちょっと静かに!」
黒田に物怖じせず喰ってかかる七瀬。
俺は状況が飲み込めずに、尋ねた。
「七瀬、俺が寝ている間に何があった?」
「そうね。話せば長くなるんだけど——」
そこから、七瀬は俺が伸びている間に起こった出来事を順序立てて教えてくれた。
ことの発端はクイーンホーネット戦。
あの戦いの最中、熱殺蜂球の中に居たのは俺と七瀬だけではなかった。
そう、俺を追尾してきていた偵察用のドローンも数台巻き込まれていたのだ。
クイーンホーネットは本来ダンジョン第5層には存在しないモンスターだ。特に熱対策を施されていなかったドローンはハチの放つ熱に耐えきれず不調を起こし、勝手に配信モードに切り替わってしまったらしい。
そこから黒田の持つ配信チャンネルで俺の戦いや七瀬、大河との会話が全世界に配信されていたのだ。
結果、ライブ配信の視聴者数はピーク時で同接30万人に達し、あの日最も見られた配信となったそうだ。
そうして一躍俺たちは時の人となった、らしい。
バジリスク討伐に関する考察が展開される中で、ふと俺の言葉尻が取り上げられた。
『なあ、この913ってやつが言ってる家畜ってなんだ?』
そこから黒田がしてきたこれまでの所業や、家畜を私兵として使ってきたという都市伝説レベルの噂を検証しようとするものが現れ、露見。
事態を重く見たダンジョン攻略及びネザリアン対策本部、通称【ギルド】が黒田の身辺調査に乗り出したらしい。
その結果、一部治療中だった家畜や人が生活した痕跡の残る納屋が発見された。
そして黒田は自社のトップを追われ、今に至るというワケだ。
「ここには、君に謝罪に来てもらったんだよ」
白髪の男が優しい口調でそう言う。
「あなたは?」
「おっと、申し遅れたね。【ギルド】代表、鞍馬理央だ。どうぞ、お見知り置きを♬」
「913だ……です。よろしく」
「ん、よろしく」
和やかな雰囲気で握手を交わす。
柔らかな雰囲気に似つかわしくない、ゴツゴツとした固い皮膚に筋肉質な筋。
間違いなく、相当の手練れだ。
「さて、七瀬嬢の言う通り彼は病み上がりだ。黒田くん、早急に謝罪を♬」
「——ック」
黒田が悔しげに奥歯を食い縛る。
だが、はたと表情を変え明るく俺に振る舞い始める。
「まったく困ったものだよ。なぁ。なんとか言ってやってくれよ、八坂くん」
「……」
コイツ……。この期に及んで俺に反証させるつもりらしい。
だが、手遅れだ。
「八坂くん、か。初めて呼ばれましたよ」
「八坂くん」
「黒田、俺たち家畜の目指した悲願って知ってるか?」
「八坂」
「知らないよな? 10年以上、お前に媚びへつらい、従順なフリをしてきたんだ」
「八坂ァ!」
「俺たちの目的はお前の打倒。罵声に耐え、私刑に耐え、この機会を待ち望んでいた」
「913ンッ!!!!!」
黒田は懐から短めのナイフを取り出し、ベッドに座る俺に猛進。
しかし、問題はない。
俺が黒田に対して油断をするわけがないのだから。
「フッ——」
俺はナイフを紙一重でかわし、その腕を掴んで合気道の要領で壁際に投げ落とす。
「ぐっ」
「ここまでだ」
俺は投げる際に黒田から奪ったナイフを、奴の喉元に突きつける。
「じゃあな」
「そこまでだ♬」
俺が一息に黒田の命を終わらせようとしたところで、心地いい声で制止がかかる。
鞍馬理央だ。
「八坂くん。どうにかここで矛を収めてほしい」
「……生憎だが、これまでずっと人の尊厳を踏み躙ってきた奴だ。殺しても構わんだろ?」
「はっはっは、何を言ってるんだい」
「?」
「生きて死ぬほど辛い目に遭わせてから殺した方がもっとスッキリするんじゃないか?」
「……確かにな」
俺はナイフを放り、ベッドに戻る。
もう、俺の、俺たちのすべきことは終わった。偶然ではあったが俺の手で復讐が完了したんだから悪い気はしない。
鞍馬は意気消沈の黒田を連れて、楽しげに笑う。
「あとは任せてよ♬」
「ひっ……お慈悲を……お慈悲をぉっ——」
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