第8話 翡翠の石剣

 約5分前


「ウロコと粘液の対策はこれでいいとして、問題はやっぱり魔眼だな」


 顔を上げて戦うということそのものに大きなリスクが伴う。とはいえ常に下を見ながらだと凶暴な毒爪の餌食だ。まったく隙がない。


「やっぱ王道は1人が注意を引き付けてもう1人が背後から殴るってのなんだろうが……」

「さっき戦っていた面々がまだ無事だという保証はない。俺たちだけで完結できる作戦の方が無難だろうな」


 大河が言い淀んだ部分を俺は引き受ける。

 会って数分とはいえ、顔見知りの死を想像するというのはあまり気分がいいことではないだろう。


 しばらくそれぞれが思考を進める沈黙があった後、ふと大河が疑問を口に出す。


「そういや、バジリスクってなんで石化の魔眼なんて持ってんだ?」

「お祖父様の手記には『石化した生物を捕食する習性を持つ』って書かれてるわ。単純に鉱石食ってだけじゃないの?」

「いやぁ、それならダンジョンの壁でも食ってりゃいいだろ? 鉱石まみれだぜ、この環境」


 確かに、大河の疑問はもっともだった。

 石化した相手を捕食する習性があるのに鉱石を主食としているわけではない。

 おかしな話だ。


「石化には相手を鉱石に変えること以外に何か目的がある……例えば、狙った獲物だけ動きを止めるため……」

「ウロコや粘液の作りから考えるに、自分より格上の相手の動きを止めて逃げる時間を作るためっていうのも考えられるわね」

「逃げる……なるほど、じゃああの魔眼による石化にはもしかして効果時間みたいなのがあるのか」


 鉱石食ではないのに、石化した生物を捕食する。

 この疑問から出発した俺たちは、とある作戦にたどり着いた。

 あまりにも荒唐無稽で、現実味のない作戦だったが。石化の魔眼を無効化する作戦だ。


 ◆ ◆


 時は戻って、現在。


「大河ッ!!?」


 しまった、作戦が狂った。大河には俺がおとりを引き受けている間の攻撃役をしてもらいたかったのだが……。


「仕方がない……七瀬ッ!」


 大河と俺から離れた位置で出番を待機していた七瀬に、俺は指針を伝える。


! 作戦変更はナシだ!」

「えぇぇぇぇっ!!?」


 驚きの声を上げる七瀬だったが、俺の表情からふざけているわけではないことが伝わったのか、コクリと頷く。


 俺は133とアイコンタクトを取りながら、できる限り視線を上げぬよう影を中止しながら攻撃を仕掛ける。


 首が2つになったということは、単純計算で視界も倍になったということだ。

 バジリスクの攻撃の鋭さが増す。


 2人の波状攻撃に散漫気味だった注意がそれぞれに向き、毒爪が的確に狙いを定める。


「くっ……」

「チッ……!」


 巨大な爪は俺たちの衣服をかすめ、髪を切り裂き、ジリジリと体力を削る。

 上着に付着したバジリスクの毒素が肌に擦れ、右上腕部がピリピリと痺れ始める。


 これを直接内臓に叩き込まれるのも時間の問題か。

 俺は上がった息を整えながら、バジリスクから付かず離れずの位置を取り、空いている左手を掲げる。


「妖星・残雪・白鯨の飛沫しぶき


 基本水魔術【アクアシャワー】に温度を下げ、発射速度を上げる改変を加えて詠唱する。

 掌に凝縮された水の塊を暴れ回るトカゲもどきに向けて放つ。


 しかし、当然のようにこちらの攻撃の軌道を目視していたバジリスク。

 6つの足を器用に使い、133への攻撃の手を休めることなく壁に登って直撃を回避する。


 そう、跳ねる水は避けられない。

 俺が放った【アクアシャワー】はバジリスクが元いた地面に着弾後、破裂。

 飛び散った水飛沫は回避したバジリスクの足の1本にまで及ぶ。


 瞬間、凍結。


 そして周囲に飛んでいた水滴を巻き込んで巨大な氷瀑ひょうばくとなり、バジリスクの動きを止める。


 これで機動力は完全に奪った。毒爪は怖くない。


 あとは133と七瀬と連携して石化の魔眼さえ掻い潜れば——。


「は?」


 駆け出した一瞬の出来事だった。

 俺は本能的な危機感を覚えたのだろう、ビタリと足を止め、そのまま倒れるように左側に身体を滑らせた。


 何か大質量のものが、先ほどまで俺がいた地点を抉っている。

 ムチのようにしなるそれの先端を俺は見やる。


「どうなってるんだ……」


 その先にあったのは、首だった。


 先刻バジリスクの背中から生えた第2の首がゴムのように伸び、俺のいた地面を噛み砕いていたのだ。


 そのまま首の視線は俺ではなく、その先にあるものに狙いを定め、動く。


「マズいッ——」


 首が動き出すのと同時に、俺は息つく間もなく詠唱を始める。


「亀甲・隔絶・万物の守護者ッ!」


 詠唱が終わるのと同時に、首は目標物を丸呑みにした。

 大河の石像が、バジリスクの体内に取り込まれたのだ……。


 バジリスクの背中から生えた首はぐっと縮み、元あった頭の隣に戻る。

 おそらく、口の中にある大河の石像を胃に回して消化するためだろう。


 しかし、バジリスクの様子に異変が起こる。


「ゴキャァァァァア!?」


 口にあった塊が、胴の方へ移動した直後だった。まるで内臓に攻撃を受けたかのように身体をよじり、苦しみ始めたのだ。



 作戦会議での会話を思い出す。

 

『やっぱり、バジリスクは鉱石食じゃないんじゃないか』

『じゃあどうして石になった相手を食べるのよ?」

『例えば、そう、


「どっりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」


 バジリスクの背中、首の付け根辺りから白銀の剣を高々と掲げた大河が現れる。


「見たかこのトカゲ野郎ッ! 気色悪りぃ思いさせやがって! ア゛ァ゛ッ!?」


 胃液と牙にやられて全身に何かしらの傷があるが、五体満足で立てているのは直前で唱えた基本土魔術【クリアウォール】の効果もあってか。


 さらに大河はバジリスクの体内から何かを引き出すようにして、左手を掲げて見せる。そこにはみどりの光を放つ石のつるぎが握られていた。


「913ッ!!! 受け取れぇぇぇぇッ!!!」


 俺は跳躍して大河がぶん投げた古びた石の剣を受け取る。


「おおっ!?」


 ずっしりと重い。

 と言うか、重すぎる。


「これを腹に入れて動いてたのか、あの大トカゲ」


 改めてバジリスクの脅威の身体能力に戦慄する。だが、


「これならあのウロコを貫けそうだ」


 俺はきっと、ニヤリと笑っていたように思う。

 錆び付いた剣を投げ捨て、全身を引き絞り石の剣を構える。


 集中。


 一振りでバジリスクに致命打を入れなければ、この剣を持ってあの俊敏な攻撃は捌ききれない。

 一撃に全てを込める。


 開眼。


「大河ッ! 飛べ!!!」

「お? おっしゃあ!!!」


 大河がバジリスクの腹から飛び出るのと同時に俺も地を蹴り、バジリスクへと跳躍。

 極限まで筋肉が引き絞られた俺の身体は弾丸の如き速度で喉元にたどり着く。


 瞬間、バジリスクと目が合う。

 しかし——


「遅い」


 3秒など、あくびが出る。

 俺は一振りでバジリスクの一つ目の首を落とす。


 その余波でバジリスクの足を固定していた氷が砕け散る。

 化けトカゲが、壁から落下する。


 生き残ったもうひとつの首が憎らしげに俺の方を睨みつけているが、お前ももう遅い。

 お前の相手は、俺ではないからな。


「七瀬ッ!」

「任せて! 蹂躙せよ・此方より彼方へ・疾く・鋭く・穿ち貫く不可視の刃・星の円環を抜け・我が腕手の許へ集えッ!!!」


 下で待ち構えていた七瀬が【ゲイル・ザッパー】の呪文を唱え終える。


 魔導書の頁が空に踊り、バジリスクの首目掛けて無数の風の刃が炸裂する。


「グギャェァェェァェェェッ!!?」


 バジリスクは悲痛な叫びを上げ、ダンジョンの地面に叩きつけられる。

 沈黙。


 七瀬と大河、そしてなんとか着地を決めた俺は地に伏せる巨大なトカゲにじりじりと近寄る。


「やった……の?」

「やめろよ、露骨なフラグ立てるの」

「いや、完全に絶命している。2人とも助かったよ」


 俺はバジリスクの瞳孔を確認し、そう宣言する。

 俺たちの勝利だ。


____________________________________


 そしてその裏、後から知った話なのだが、俺の預かり知らぬところではちょっとした騒ぎが起こっていた。


『おい、見たか今の?』

『ダンジョン第5層にバジリスク!? しかもそれを討伐してるッ!!?』

『フェイク乙』

『てかあの913とかいうヤツ、なんかおかしな呪文使ってなかったか?』

『あぁ。あんなのプロの冒険者たちでも使ってるの見たことねぇよ……新種の魔術か?』

『剣の腕もおかしくね? バジリスク一刀両断だぜ?』


 この日の書き込みの量は1万件を超えていたらしい、が、俺がこのことを知るのはまだ先の話だ。

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