第5話 見えない麻薬
「はぁっ……はぁっ……」
どれくらい駆けてきただろう。
流石に息も上がってきた。
もうとっくにバジリスクは見えなくなっているが……。
「おーい、こっちだ! こっち!」
声の方を見ると、壁に空いた小さな横穴からひらひらとこちらを招く手が見える。
一瞬、モンスターの類かとも疑ったが、敵意は感じない。
警戒心だけ高めて、俺は横穴へと入る。
「おー兄ちゃん、無事だったか!」
「ここは?」
「見た通り、ダンジョンに空いた横穴だよ。強いモンスターたちは入ってこれないからセーフゾーンになってんのさ」
得意げに語る男。
歳は30くらいだろうか。
遊んだ茶髪によく手入れのされた装備品。それなりにいい家柄に間違いないだろう。
「ともかく、助かった。よっこらせ」
俺は肩に担いだ七瀬をゆっくり降ろしてやる。
彼女の方も落ち着いたのか、静かに自分の脚で立っている。
「……ありがと。あと——」
「いや、いい。861の言う通りだ。彼の死を無駄にしないようにしないとな」
「……うん」
「あー、もしかしてお仲間が……。なんつーか、その……ご、ご愁傷様です」
バツが悪そうにたどたどしく頭を下げる男。
どうやら悪いやつではなさそうだ。
「改めて、俺は
「913だ。脱出? なんの話だ?」
「お前さん知らずにこの層にいるのか?」
大河は目を丸くして声を上げる。
「いまこの層で黒田ンとこの配下が、地下から上がってきたバジリスクの討伐に乗り出したらしいんだけどよ。万が一撃ち漏らした時の保険とかなんとか言って第4層に繋がる階段を崩しちまったんだよ!」
「なんですって!?」
七瀬が身を乗り出して大河に迫る。
肩口から
「他は? 確か各層に魔術転移用のポータルがあったはずよね?」
「それが使えねぇんだよ。どれだけ魔力を込めてもウンともスンともだ。オマケにこの層にはいないはずのクイーンホーネットには追いかけられるし」
お前もかよ。
「とにかく、黒田ンとこの奴らがバジリスクを倒すのを待つしかなさそうだな」
「それは……難しいと思う」
2人の目線が俺に集まる。
促されるように、俺は俺の見解を語る。
「さっき見た所、俺の仲間4人と居合わせた冒険者3人で戦っていたがかなり押されていた。バジリスクの石化の魔眼を警戒して上手く動けていないようだ」
「お前……黒田ンとこの……」
「ああ、家畜だ」
「は?」
言葉の意味を図りかねている大河を差し置き、俺は七瀬に向き直る。
「七瀬、何かバジリスクの生態について知っていることはあるか?」
先のクイーンホーネット戦においても、七瀬の知識がなければハチどもの動きの意図を読めなかった。
今度も何かいい情報が得られるんじゃないか。
そう期待して話を振ったのだが——。
「は? 七瀬?」
食い付いたのは大河の方だった。
「七瀬って……まさかその金髪、七瀬灯か?」
「……そうよ」
「大河、知ってるのか」
「知ってるもなにも……悪いことは言わねェ、こいつと関わるのはヤメにしたほうがいい」
「……どいうことだ?」
理解ができずに首を傾げる俺。
大河も何故か言い淀んでいる。
七瀬の方に目を向けると、なんとも言えない申し訳なさそうな、悔しそうな顔をしている。
「ごめんなさい、もう出るわ」
それだけ言い残し、七瀬は横穴から出ていってしまった。
状況が飲み込めず、たまらず俺は大河に尋ねる。
「おい、何故七瀬と関わってはダメなんだ?」
「……あいつは、あいつの爺さんは人類の敵だからだ」
「人類の……敵?」
七瀬はそんな強大な人物の孫娘だったのか。
「ヴェルヌ=シーカーだよ。知ってるだろ?」
「いや知らん。誰だそいつ?」
「……お前、ジャングルの奥地にでも住んでたのか?」
実際、10年来黒田に監禁と言って差し支えない生活を強いられてきたんだが、これを言うと話が進まなさそうなので黙って次を促す。
「はぁ……その、ヴェルヌっていうやつはスゲー冒険者だった。ダンジョンが発見された当時から第一線で調査を進め、最深部の第50層に唯一たどり着いたって言われてる」
「なんだ、ただの偉大な先人じゃないか」
「これだけならな」
大河の語調に怒りがにじむ。
「ダンジョン最深部で、ヴェルヌは好奇心に負けて開けちまったんだよ。“パンドラの匣”を」
「“パンドラの匣”?」
「ダンジョンで魔導書とか未知のアイテムが発掘されるのは、さすがに知ってるよな」
「あぁ」
経験則でだが。実際、これまでの討伐任務で魔導書を3冊ほど発掘している。
すべて黒田に召し上げられてしまったが。
「その中の1つなんだけどな、これがヤバいもんで……封印だったたんだよ」
「封印?」
「そう。考えたことないか? 魔導書や未知のアイテムがどこから来たのか。その答えは至ってシンプルだった」
ゴクリと息を飲み、大河は続ける。
「いたんだよ、地底文明が。魔導書もアイテムも全部そいつらのモンだったんだ!」
「なに……」
「そして“パンドラの匣”は、その地底文明を封印するための棺みたいなモンだった。ヴェルヌはそれを開けちまったんだよ……」
衝撃の事実に驚きを隠せない。
地底文明? そんなのお伽話の中でしか……。
「目覚めた地底文明——『ネザリアン』は、地底に飽き足らず地上の……俺たちの文明まで支配することを欲した。そして、ダンジョン最深部から奴らは勢力を伸ばし、もう第6層より下は奴らのテリトリーになっている」
「それほどに、強力なのか」
「あぁ、なんせ魔術を生み出した文明だ。俺らでは理解できないような魔術を使うし、どういうワケか一部のモンスターを使役することもできるみてぇだ。クソっ!」
「ということは、バジリスクは」
「まず間違いなく奴らの尖兵だ。ははっ、地上が奴らのものになるのも時間の問題だな」
大河は悲痛な笑みを浮かべる。
そしてそれはすぐさま憎しみへと変わる。
「それもこれも全部ヴェルヌのせいだ。あいつが興味本位なんかでパンドラの匣を開けなきゃこんなことには……っ。俺の父さんも……」
ギリギリと奥歯を噛み締める音が聞こえる。
しばらくぶつぶつと呪詛を吐いたのち、大河は我を取り戻したのかにへらと笑う。
「……まぁンなワケで。七瀬灯とは関わらん方がいい。あの大戦犯の孫娘だ。何しでかすかわからん」
「なるほど、な」
大河の怒りと忠告してくれた理由についてはよくわかった。きっと彼なりの善意なのだろう。
しかしながら、俺としてはどうしても納得がいかない所があった。
俺は相対する大河と目を合わせ、真摯に問う。
「ところで、大河はそのヴェルヌと会ったことがあるのか?」
「え? おいおい、ひとの話聞いてたか? ヴェルヌはもう半世紀以上前の人間だぞ?」
「じゃあ第50層に行ったことは?」
「ねぇよ。俺のレベルじゃまだ第7層が精々だ。そもそも現役最強の冒険者ですら39層までしか——」
「なら大河は、何をもってヴェルヌを責めているんだ?」
「へ?」
なんだ、やはり理解していなかったのか。
呆れまじりに俺は続ける。
「人となりは知らない、現場も知らない。ならお前は何を根拠にヴェルヌのせいだと思うんだ?」
「それは……親父も、お袋も……教科書にだって——」
「それを全部、他人の意見と言うんじゃないか」
「……っ」
言葉に詰まる大河に、俺はできるだけ優しい口調で続ける。
「大河、君の気持ちは理解できる。父を殺され、日常を侵される危機感の中で誰かに責任を求めたくなる気持ちも、わかる。だけど、よくない」
「よく……ない」
「そう。何も知らない、わからないまま七瀬を責めちゃいけない。自分が傷ついたからって、他人を傷つける快楽で痛みを忘れようとしちゃいけない。それは、形のない麻薬だ」
「……あぁ。そうかもな」
きっとまだ怒りも憎しみも消えてはいないのに、こうして冷静に俺の話を受け入れてくれる大河は、きっと優しいやつだ。
俺は最後に、提案する。
「大河、俺は七瀬を追いかける。もしよかったら君にも来てほしい。急かしたりはしない」
「あぁ……わかった」
力はなく、しかし思慮のこもった大河の言葉を受け取り、俺は横穴を出る。
ほんのうっすらだが彼女の靴の跡が残っている。
「まだ遠くに行ってなければいいんだけど」
俺は加速して、七瀬の背中を探し始めた。
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