第4話 誰が死んでも

「はぁ……はぁっ……」


 七瀬とぶつかった位置から走ること数分。

 少しずつ血の匂いが濃くなってきている。

 これは既にバジリスクとの戦闘が始まっていると考えた方が良さそうだな。


「無事だといいが……」


 しかし、どうやら今日の俺は最高にツイていないらしい。


「キャァァァァァァァァァぁあああッ!!!」


 俺のささやかな望みを打ち消すかの如くダンジョン中央部から女性の悲鳴が聞こえる。


 瞬間、爆発。


 眼前のダンジョンの岩壁がんぺきが崩れ、曲がり角から爆風にあおられて数名の冒険者が吹き飛んできた。


 その中には家畜仲間たちの姿もあった。


 しかし、俺が胸を撫で下ろしたのも束の間、彼らを追うように気味の悪い叫びと共に長大な怪物が姿を現す。


 エメラルドのように輝くウロコに、鋭い爪が生えた6本の足。トカゲを思わせる細長いボディ。

 そしてとりわけ目を引くのが爛々らんらんと光る卵形の目だ。


 この目こそ——


「913! 来るぞ!!!」


背の高い男——133の声に気づいたときにはバジリスクの視線がこちらに向いていた。


「くっ——」


 咄嗟とっさに腕で視界を隠し、そのままの勢いで背を向ける。


「えっ——」


 完全に予想外だった。

 振り向いた視線の先には魔光石の明かりを受けて煌めく金髪。


 腰を抜かした七瀬灯の姿がそこにはあった。


(バカ野郎ッ!? なにしてやがるッ!!?)


 無理も無い。

 本来第5層には存在しないはずの強力な——それも1つの軍隊を壊滅させられるほどのモンスターだ。


 土壇場で遭遇して冷静な対処などそう簡単にできるワケがない。


「チッ——」


 俺は思考を中断し、とにかく駆けた。


 バジリスクの瞳と3秒以上目を合わせると……。


「きゃっ」

「じっとしてろ!」


 俺は七瀬を押し倒し、そのまま覆い被さる。

 俺と七瀬の身長差ならこの状態でバジリスクと視線が合うことはないはずだ。


 安心したのも束の間。


 極度の集中状態が解けたからか、遠くの方から仲間たちの叫び声が聞こえる。


「913起きろ!!!」

「そっちに行ったぞ!!!!!」


「なにっ!」


 俺はすぐさま身体を反転させ、飛び起きる。


 既に目の前にバジリスクの爪が及んでいた。


 素早く腰の剣を抜き防御の姿勢をとるが、間に合うか——。


 グジュッ。


 肉が裂け、爪がめり込む音がした。


 俺ではない。

 すぐにガードを緩めて視界を確保する。


「——861ッ!!!」

「ぐっ……ウオォぉぉぉぉぉおおオッ!!!」


 そこにはバジリスクの大爪に右半身を貫かれながらも、自慢の剛力でその攻撃を食い止める861の姿があった。


 彼の瞬時のカバーがなければ、きっと俺は七瀬ごとこの鋭い爪に串刺しにされていたことだろう。


「うわぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」


 俺はうなりを上げると、力の赴くままに861を貫くバジリスクの足になまくらの剣を振り下ろす。


 しかし、正確に振り下ろしたはずの剣戟はぬめぬめとしたウロコを滑り、地面を穿った。

 その直後、後方から爆撃。


「キシャァァァァァァァァア!!?」

「こっちだトカゲ野郎ッ!!!」


 どうやら仲間たちからの援護射撃らしい。

 バジリスクは口から唾液を撒き散らしながら後退する。

 そこに追いついた近接系の冒険者たちが追い討ちを賭けに行く。

 それを見届けて、俺はすぐに861に駆け寄った。


「861っ——」

「はは、何やってんだ、俺ぁ……」


 失われた右半身から滝のように血液が流れ出る。

 その温かさが、861の生命力そのもののように感じられて、俺の中に死が実感として現れる。


「あっ……あっ……」

「馬鹿、おびえるな」


 861はなんでもないと言った顔で、絞り出すようにして言う。


「誰が死んでも揺れず動じず目的を果たせ。そうだろ、913」

「でも、俺は……」

「わかってるさ」


 いつになく優しく861は俺に笑いかける。


「死ぬってのはお前が殺しちまう分を勘定に入れてなかったんだろ? ったく……ガキだなぁ……」


 そのままゴツゴツした、少し冷たくなった左腕で俺の頭を抱き寄せる。


「あいつの——100の、俺たちの目的は、わかるな」

「あぁ……ああっ!」

「なら、それをお前が果たせ。お前が果たしゃ、俺たちの勝ちだ。この死だって意味のあるもんになる」

「そんなの861が——」

「お前がやるんだよ! 覚悟決めろ!!!」


 くたばりかけの人間から出たとは思えない大声がダンジョンにこだまする。


「現実にもしももクソもねぇよ。俺は死んでお前が残った。それが現実だ。そして目的の達成は俺には出来ねぇ。お前はまだできる。これも現実だ」

「861……」

「ゲホッ、ゴホォッ!?」


 861は大きく喀血かっけつし、そのまま2度と喋ることはなかった。

 きっとまだ言いたいことがあったのだろう。

 喋り好きのオヤジだったからなぁ……。


 でも、いま伝えたいことは確かに伝わった。


「あ……あぁ……」


 背後で顔を真っ青にしている七瀬がパニックになっている。

 何度か深呼吸をし、それなりに落ち着きを取り戻した俺は七瀬を担ぐ。


「よっこいせっと」

「わっ……あぁっ……」

「一時退却だ。落ち着いて体制立て直すぞ」


 それだけ言い、俺はダンジョン内をひたすらに駆ける。

 内に渦巻く罪悪の意識を振り払うために。


 それが861の望みだと信じて。

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