エピソード27
「……………座るといい」
長い沈黙の後、父親はそう言って、近くの丸い椅子を見た。
志貴はうなずいてゆっくり腰かけた。
父親は視線を天井に向けたまま、長い溜息をついた。
そしてそっと口を開く。
「…………かがり、というのは、日本古来から、辺りを照らす光、という意味だったそうだ」
「……」
志貴は彼から紡がれる言葉を逃さないようにじっと聞き入った。
「…かがりには、周りを照らす女の子になってほしかった。…けど」
ゴクンと息をのむ音が聞こえた。
彼女から聞いていた幼少時代。きっと父親はそんな思いを込めて名前を付けた愛娘に、つらい時期を過ごさせてしまったことをずっと後悔しているのだと思った。
あんなに愛情深く彼女のことを思っていた父親なら、当たり前のことだ。
「……すべて、俺のせいだ」
「……」
志貴に伝えるというより、自分自身に言って責め立てているようだった。
そんな現実から逃げるように顔を背けて窓の外を見る。
その横顔は、やっぱり親子なんだと思わせるくらい似ていて。
お互いに同じように自分を責めて、情けないと嘆く。
性格までそっくりな親子だった。
だから、ちゃんと知ってほしかった。
今の彼女を。
「……違うと、思います」
向こうを向いたまま、ぴくっと体を反応させる。
「……俺は、正直、複雑な環境で育ってきてはいないし、ありがたいことに行きたい進学先にも行けたし、やりたい職業にも就けてるので、たいそうなことを言えないですけど」
けど、かがりと出会ってもらったものはたくさんある。
何不自由なく育ってきて、多くのものを与えられてきたが、それでもかがりからもらったものはすべて嬉しかった。
「かがりさんは…、周りを照らしてくれる人です」
自信を持って言える。
「……きっとそれは、ちゃんとお父さんに大事にしてもらってきたからだと思いますよ」
会えなかった期間を考えると辛かったが、それ以外の記憶はすべて楽しかった記憶ばかりだ。
少なくとも、志貴を照らしてくれたことは間違いない。
「………君に、おとうさんと呼ばれる筋合いはない」
か細い声だったが、さっきとは違って明るい声色だった。
想定外の返答に、志貴は笑った。
「そこですか」
***
看護師さんと廊下を歩きながらも、心配で病室の方を見てしまう。
その様子を見ながら、彼女はくすっと笑った。
「かがりちゃんも隅に置けないわね~」
「え?」
「あんなイケメンの彼氏、連れてくるなんて」
「か、彼氏じゃ…!あ、ありません…」
恥ずかしくて、語尾が小さくなる。
今まで恋人らしい恋人がいたことがないので、この手の話しに弱い。
「あら、そうなの?」
看護師さんは眉を上げてかがりの顔を覗き込む。
「お父さんのところに連れてくるなんて、初めてじゃない」
「…そ、そうなんですけど…」
「私はいいと思うわよ、彼。チャラそうだけど、かがりちゃんのこと、大事にしてくれると思う」
「だ、だから…彼氏じゃ…」
「ふふふっ。じゃ、これからだ」
いくら否定しても、きっと彼女には通じない。
かがりは口をきゅっとつぐんで歩くスピードを速めた。
早く取りに行って、早く戻ろう。
「あ!ちょっとー」
急に早くなった歩に、看護師さんは笑いながら追いかけた。
洋服を受け取って、足早に病室に戻ると、二人は何も言わずになぜか窓の外を見ていた。
異様な光景に、何と声を掛けたらいいかわからなくなる。
「……あ、あの…」
すると、志貴が気付いてくるっと振り返った。
「おかえり」
「た…ただいま…」
ベッドに横になったままの父親も、ちらりとこちらに目線を送る。
何もしゃべらず、無言のまま二人で何をしていたのだろうか。
かがりは、テーブルに荷物を置きながら、なんとなく二人の様子を探る。
すると、遅れてきた看護師さんがガラッとドアを開けてパタパタ病室に入ってきた。
「かがりちゃん、足早いから、置いてかれちゃった!」
息を荒げながら、額ににじむ汗をぬぐう。
そして、少し静かな病室を見回して、首を傾げた。
「お二人は何をしていたんです?」
「……っ」
かがりがそれとなく探ろうとしていたことを堂々と質問する彼女。
志貴の方に近づいて、二人が送る視線の先を見た。
しかし、何があるのかわからなかったようで、再び首をかしげていた。
「何かあるんですか?」
それを見た志貴はくすっと笑った。
「ちょうど、木の枝に、スズメがとまってて」
「スズメ?」
かがりも同じように窓の外の木に視線を向けた。
窓から見える枝の先っぽに小さなスズメが佇んでいるのが見えた。
「飛び立とうとして羽を広げるんですが、怖がっているのか、すぐにやめちゃうんです」
すると彼が言うように、バサッと羽を広げたものの、数回バタバタさせるだけで、また羽をしまってしまった。
「あー。これで5回目です」
ずっと見ていたのか、残念そうに息をつく志貴。
「……飛び方を知らないのかもな」
父親が小さくつぶやいた。
それに対して、彼は全く違和感なく、旧知の仲のような雰囲気で会話し始める。
「そうですかね?結構体のサイズ、大きいですけど」
「……大きく育つ個体もある。けど、親鳥がヒナを見失って、飛び方を教えないまま成体になってしまいこともある」
「へぇ!詳しいんですね」
「………暇だから、本で読んだ」
「なるほど。なんだか興味わいてきました。俺も読んでみよう」
「………きっと、かがりの部屋にある。今度貸してもらえ」
すると、父親は、ちらっとかがりの方を見た。
かがりは、驚きで目を見開いた。
幼いころに、鳥が好きで誕生日に父親に買ってもらった野鳥図鑑。
何回も、何回も読んで、ボロボロになった本。
けれどどうしても捨てられなくて、引っ越すときに持ってきた。
本棚の一番奥にしまってある。
今は読むことはないけれど、捨てられない、大切なものだ。
一気にいろんな思い出がよみがえって来て、目頭が熱くなった。
「……っ」
それを隠すように、かがりは顔を背けて、病室を逃げるように出て行った。
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