エピソード26
かがりは、会いたいという思いが行き過ぎて、志貴が喫茶店に入ってきたとき、目の前に幻が現れたのかと思った。
しかし、紛れもなく本物で。
それを確かめるように、彼の手に触れた。
温かい、いつも通りの彼の手で。
それだけで自分の心も温かくなる。
かがりはずっと考えていた。次に彼に会う時が来たら、ちゃんと伝えようと。
「…ずっと、お礼を言いたかったんです」
「え…?」
「こんなに面倒な女に、懲りずに向き合ってくださって、…感謝してます」
「……面倒だなんて、思ったことないです」
真剣に否定してくれる表情を見て、かがりはクスッと笑った。
「そんなこと言ってくれるの、三園さんだけです」
出会った時からそうだった。
かがりの言動ひとつひとつを見てくれて、肯定してくれた。
だからこそ、信じようと思ったのだ。
かがりは少しだけ姿勢を正し、彼を見た。
「……私の父に、会ってくれますか」
ずっと言いたかったこと。
少しだけ震える声を何とか押し込んで力を込めた。
すると驚いたように目を開く志貴。
急に言われると思っていなかったのか、ごくんと息をのむ音が聞こえた。
しかしすぐにきゅっと口を紡ぐと、ゆっくり大きくうなずいた。
「…もちろんです」
彼の声も心なしか震えていて、かがりは小さく微笑んだ。
ちょうどそのとき、こちらの様子をちらちら伺いながら、マスターがかわいらしいクリームソーダを持ちながらやってきた。
「…?」
見るとなんだか不安そうな顔をしている。
かがりが首をかしげると、マスターはおそるおそる口を開いた。
「…な、仲直りできた?」
「え?」
「……けんか、してたんじゃないの?」
きょとんと交互にかがりたちを見る。
その様子がおかしくて、かがりは彼と一緒に笑った。
「違いますよ…!」
「なんだー。よかった」
そしてマスターも一緒に笑って、そっとテーブルにクリームソーダを置いた。
「んじゃこれ。仲直りのしるしにサービス」
バニラアイスとさくらんぼがちょこんと乗ったクリームソーダ。
これ見よがしにストローは2本刺さっている。
志貴はじっと置かれたクリームソーダを見ながらも、困ったように微笑んだ。
「……言いたいことはいろいろありますが、とりあえずもらっておきます」
謎のサービスに困惑しながらも、どこか嬉しそう。
かがりも同じ気持ちだった。
いろんな出来事が交差して、でもそれはすべてうれしいことで。
炭酸がシュワシュワきらめくクリームソーダを見ながらそう思った。
***
「…だ、大丈夫ですか?」
ずっと気がかりだった自分の父に会うかがりよりも、会いたいと言った志貴のほうが緊張しているようだった。
病院の受付。
面会の手続きで待つ間、待合室のソファに座っているものの、緊張でずっとそわそわしている。
お見合いの時のような、少しかっちりしたジャケットを着ているが、焦りがまさって体温が上がっているのか、今は脱いでいる。
「……大丈夫、じゃない、です」
膝の上でぎゅっと握っている手を、さらに握りしめる。
「別に、結婚のご挨拶でもないですし…」
そういいながら、かがりは急に恥ずかしくなった。
例えたつもりが、なんだかリアルでいたたまれない気持ちになる。
まだ付き合ってもいないのに、何を言っているのか。
「いや…!その、例えばの話で…、その、そういう意味ではない、というか」
なんと弁明したらいいのかわからなくなって、ごにょごにょ謎の言い訳を並べることしかできない。
そうこうしている間に、「山田さーん、面会どうぞー」と受付から呼ばれてしまった。
かがりは恥ずかしさのまま肩を落としながら、誘導してくれる看護師についていくことになってしまった。
ちらっと志貴を見ると、それどころではないようで、再び緊張した面持ちで隣を歩いている。
父親と会ったら、どう思うだろうか。
例えもし、否定的になってしまったとしても、かがりにとってはここまで来てもらえただけでも大きな進歩だ。
そう思って深く考えないことにした。
もう決めたのだ。この人を信じると。
病室の前に行くと、看護師さんが心の準備をする間もなく扉を開けた。
「山田さーん、娘さんですよ」
隔離患者用の個室の病室。ベッドの上で横になりながら、窓の外を見ていた父親がゆっくりこちらを向いた。
抜け出したあの日からずっと会えずにいた。
しばらく見ない間に、すっかりやつれてしまったようだ。
こけた頬に、うっすら生えたひげ。
何も言わずに、じっとこちらを見ていた。
「山田さん?娘さんですよ」
看護師さんに再び声をかけられても何も答えない。
すると看護師さんは少し困ったように笑ってかがりたちを見た。
「あれから最近この調子で…。気にしてるのかしらね」
そう言って、かがりの腕のほうに視線を送った。
無断で外に出てしまった時、かがりが負った傷を気にしてしまっているのだろうか。
かがりは看護師さんに微笑んで、ゆっくり父親に近づいた。
「……お父さん。見て」
そしてそっと腕をまくり、けがをした腕を見せた。
完全に傷跡が消えたわけではないが、もう生活に支障をきたすことはない。
「…腕のいいお医者さんが、ちゃんときれいに縫ってくれたから大丈夫」
もう痛くないよ、と腕を動かして見せる。
「……女の子の体に、傷を作ってしまった」
スカスカのか細い声で言った。
「最新の医療技術はすごいから」
「…傷を治すために、また手術するのか」
「麻酔とかしたら痛くないでしょ」
「…それでも残ったら?」
「まぁ、その時は…」
そこまで言って、言葉をつづけようとしたら、ぬっと横に大きな体が出てきた。
「俺がお嫁にもらいます」
「え…!?」
自己紹介もする前に、仰天発言をしながら志貴が横に立っていた。
「……だれだ」
さすがに父親も驚いたのか、少しだけ体を起こす。
その後ろで看護師さんが「わぉ」と楽しそうに笑う。
「三園志貴です。かがりさんにお付き合いを申し込もうと思っています」
「……は?」
彼の言葉に、父親は怪訝そうに眉をひそめた。
「…まだ付き合っていないのに、結婚を申し込むのか」
「はい」
「……イケメンは、だめだ」
「…そこ?」
父親の反論にも困惑するが、志貴の突拍子もない発言にもおろおろするしかない。
「美醜は主観なので、人によってはイケメンではありません」
「………そうか」
「……え、そこ、納得するところ?」
何の攻防なのかよくわからないまま、続く二人の会話。
看護師さんだけが楽しそうにニコニコしながら見ていた。
すると何かを思い出したように手をたたく看護師さん。
「そうだった…!季節もののお洋服、お返しするんだった」
「あぁ…そうでしたね」
「かがりちゃん、一緒に来てくれる?」
誘われたものの、二人で病室に残していいものか気がかりで志貴を見る。
しかし彼は全く気にしていない様子でうなずいた。
「(…さっきまでの緊張はどこにいったの…?)」
仕方ないのでかがりは後ろ髪を引かれる思いで看護師さんと病室を出た。
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