エピソード25

天気の良い土曜日だった。


普段出勤になることが多いが、今日はたまたま休みで、ぶらぶら買い物でもしようと思って家から出てきた。


と言いつつも、そんなに積極的に自炊をするわけでも、新しい洋服を買いに行くでもなく、ぼんやり近所の繁華街を歩くだけ。


無意識に、かがりに送るメッセージカードのネタになるものはないかと、辺りを見回す。


すると、たまに行く喫茶店が目に入った。


ナポリタンがおいしいお店だ。この前のメッセージにも書いた。


久々に行ってみようと思い、そちらに足を向けた。


今日のようなぽかぽか陽気なら、窓際の席がいい。


陽が当たって、心地よくていつもうとうとしてしまう。


店先に置かれた植物を眺めながら趣のある茶色の扉を押した。


カランコロンと、軽快な鈴が鳴る。


すると、カウンターにいるマスターが来店に気付き、「おぉ」と笑顔で迎えてくれた。


「久しぶりだね」

「どうもです」

「今日もナポリタン?」


ここに来るたび、必ずと言っていいほど毎回ナポリタンを注文するせいか、顔を覚えられていた。


「はい」


それがなんだか気恥ずかしくて、目をそらしながら笑う。


「あ、残念」


マスターはそう言って、少し眉を下げた。


「…?」

「いつもの席、先客がいて」

「あぁ…」


好んで座る席も覚えていてくれているようで、窓際の席を見ながら残念そうに答えた。


志貴もどんな人が座っているのか気になってそちらのほうを振り返った。


「……っ」


ふいに合う目。


それは紛れもなく、ずっと恋焦がれていた人で。


「窓際の隣の席だったら空いてるよ」


マスターの声が耳に入らないほど、彼女がここにいることが信じられなくて、こうして目が合っていることも幻に思えて、瞬きを忘れるほど凝視した。


「…?」


急に固まった志貴を見て、マスターは不思議そうに首をかしげる。


「……あの、」

「ん?」

「……相席、いいですか?」


マスターはその表情のまま、店内を見渡す。


お昼時は過ぎ、混雑は落ち着いているので、ぽつぽつ空席がある。


相席をしなければいけないほどの客数ではない。


しかし、志貴の声色で何かを感じ取ったのか、マスターは小さく微笑んで「いいよ」と答えた。


志貴は、震える手をぎゅっと握りしめ、彼女のほうへ、一歩足を踏み出した。


向こうに、同じように驚いて、瞳が揺れるかがりがいた。


不安そうな表情に、志貴も心臓が早くなる。


意図してきたわけではないが、彼女に変に思われたらどうしよう。


そんな疑念が頭をよぎる。


そして、テーブルの前まで来ると、からからの喉を潤すように、ゴクンの唾をのみ、口を開いた。


「……相席、いいですか」


彼女は、その丸い目を、さらに見開いて志貴を見つめると、そのまま小さくうなずいた。


その答えに一瞬安心して、気付かれないように息をついた。


彼女の向かいの椅子に座り、同じ目線で向き合う。


「……」

「……」


思わず相席をお願いしたものの、会うと思っていなかったので、何を話していいいかわからない。


しかし、そんな心配とは裏腹に、彼女が話し始めた。


「……幻、かと、思いました」

「…え…?」


かみしめるように、ゆっくり紡がれる言葉。


志貴は少しだけはにかむ彼女を見つめる。笑顔の彼女を見るのは、いつぶりだろう。


かがりは、恥ずかしそうにうつむくと、そっとテーブルに置かれていたファイルを、そのままテーブルの上を滑らせるようにこちらに差し出した。


名刺のようなものがたくさん入れられた透明のファイルだった。


志貴はそれを大事に受け取り、表紙を開いた。


そこには、これまで志貴が彼女にあてたメッセージカードがずらりと並んでいた。


何ページにもわたってファイリングされたカード。


こんなに送っていたのかと思うと、急に恥ずかしくなった。


「こ、これ…。読んだら捨ててくださいよ」


頬が赤くなるのを感じて、腕で隠す。


しかし、彼女は自分でめくって見せた。


「…捨てられるわけ、ないじゃないですか」


その声色は、最後に会った時とは違い、心なしか、明るくなったように感じた。


「一枚一枚、三園さんの思いが詰まってて、捨てられるわけありません」


そして、一枚のカードを取り出して、そっと志貴の前に置いた。


「これ…」


それは、この喫茶店のナポリタンのことを書いた時のものだった。


不細工なナポリタンの絵が描かれている。


「どんなナポリタンなのか、気になって。今日来てしまいました」

「……見た目、最悪だと思いました?」

「まさか。少々絵心は…、ま、人それぞれなので」

「……フォローになってませんよ」


すると彼女は「ふふ」と楽しそうに笑う。


その表情を見ただけなのに、こみ上げるものがあって、なんだか泣きそうになった。


目頭がじんわりするのを感じて、見られないように顔をそむける。


「…いただいたカードは全部、温かくて、ここにはいないのに、いつも一緒にいる気持ちになりました」


彼女は穏やかな声で続ける。


「……今日も」


そして、テーブルに置かれた志貴の手にそっと触れる。


「…会いたい、と思いました」

「え…」

「そうしたら、目の前にいるので、幻を見てるのかと思いました」


彼女はそう言って微笑んだ。

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