エピソード24

志貴は、金平糖を握る彼女の手を見た。


自分より小さな手。そんな手でたくさんの困難を乗り越えてきた。


大好きな父の手を握った手。


「……手に、触れてもいいですか」

「え…?」


触れたかった。すべてを打ち明けてくれた彼女が、昔を思い出すその横顔が儚くて、消えてなくならないように、つなぎとめておきたかった。


返事を聞く前に、そっと手を握った。


少し冷たかった。


それを温めるように力を込める。


「……」


彼女はそんな家族がいることが後ろめたかったのか。


しかし、この話を聞いて、志貴が最初に思ったことは全然違うことだった。


「……お父さんに、会ってみたいです」


確かに、苦労ばかりの幼少時代で同情はしたものの、それが嫌悪につながることなんてない。


両親の愛情を一身に浴びて育ってきた志貴にとって、物語のような話ではあった。


それでも、彼女を愛しく思う気持ちに変わりはない。


それに、同じように彼女を愛してきた父親に会いたくなった。


彼女に対する愛情にきっと嘘はない。


彼女のためだったからこそ、ここまで頑張ったんだと思うと、会ってお礼を伝えたい気持ちが募った。


「え…」


彼女は驚きを隠せずに、目を見開いて志貴を見る。


そんなところもかわいく見えるのは、惚れた弱みというやつか。


「…俺は、かがりさんが好きです。そんなかがりさんを大事にしてくれていたお父さんにも会いたいんです」

「え…、あの、え…?」


自分がカミングアウトしたはずなのに、それ以上の衝撃発言をされたかがりは、戸惑うしかない。


「俺は、かがりさんと違って自由に何も考えずに生きてきました。だからこそ、もっとかがりさんを理解したいです。知りたいんです」


来る者は拒まず、去る者は追わず。


自分から相手を知りたいと思うのは初めてのことだった。


新しい感覚に戸惑いはあるものの、それは全く嫌な感情ではなくて、うずうずするような、くすぐったい気持ちだった。


この気持ちに嘘はないし、ここで終わらせる気もなかった。


「ちょっとずつでいいです。…少しずつ、俺のことも知ってくれたら嬉しいです」


好きになるということは、相手を知りたいということなのか。


「…急ぎません。それで、いつかお父さんに合わせてくれたら、もっと嬉しいです」


揺れる瞳が、志貴を見つめた。


振りほどかれることなく、握られたままの手。


心なしか、温かくなった気がした。



***



部屋に戻ったかがりは、ほんのり温かい手を見つめた。


自分の過去を話すとき、緊張と不安で手が冷たくなっていた。


しかし彼に握られた手は、その緊張を溶かすように温かかった。


否定されなかった過去。むしろ受け入れようとしてくれた。


会いたいと言ってくれた。かがりがずっと大好きな父に。


いろんなことを経て、今はあんな風になってしまったが、かがりのことを一番に大事にしてくれる父。


病院を抜け出したのだって、かがりに会いたかったから。


うわごとでいつも「かがりに会いたい」とつぶやいていることを看護師から聞いて知っている。


だからかがりは高校生で一人暮らしを始めてから、同時にアルバイトも初めて、父の入院費を稼いだ。


父親と決別することはできない。


かがりにとってそれが何よりも一番大事なことだった。


「……」


父に会いたいと言ってくれた彼。


ぎゅっとおなかに抱えたペンギンを抱きしめた。


その思いだけ、どれだけ救われたか。


この熱が離れていかないように、手を握りしめた。




次の日の朝、郵便ポストをのぞいたとき、一枚の小さなカードが入っていた。


見るとそこにはかくばった男らしい文字。


『初めまして。三園志貴です。これから俺のことを少しずつ知ってもらえるように自己紹介をしていきます』


身長は185㎝、誕生日は4月22日、おうし座。


血液型はA型。


「…ぽい」


かがりはくすっと笑ってもう一度読み返した。



それは次の日も入っていた。


『家族構成は父、母、姉の4人家族です。俺だけ一人暮らししているので、たまに実家に飯を食べに帰ることもあります。テンションが高い人たちですが、楽しい人たちなので、いつか紹介できたらうれしいです』


雨の日も、晴れの日も、朝起きたら毎日のようにポストに入っていた。

『趣味はフットサルで、よく友人と休日に近くのグラウンドで遊んでます。こう見えて、ピアノが弾けたりします。今度お聞かせしますね(笑)』


『最近のマイブームは、夜ベランダで月を見ながらビールを飲むことです。かがりさんが何してるかなと思いはせたりします。ぜひ一緒に飲みたいです』


『歯科技工士の仕事をしています。安月給ですが、それなりに楽しんでます。インプラント入れるときは声かけてくださいね。かがりさん専用のもの作ってあげます』


『最近は料理をしようといろいろ道具を揃えています。形から入るタイプなので、道具を集めて満足しないように、ちゃんと料理できるように頑張ります』


『好きな食べ物は、実はナポリタンです…。よく子供っぽいってバカにされるのであまり言ってませんが、喫茶店に入ったら必ずナポリタンを頼んでしまうくらい好きです。おすすめのナポリタンがあるので、ご紹介しますね。日当たりのいい、窓際の席がおすすめなんです』



かがりは、雰囲気のよい老舗の喫茶店の扉を開けた。


ひげをたくわえた、やさしそうなマスターが迎え入れてくれる。


日当たりのよい、窓際の席を選んで座る。


「いらっしゃいませ。何になさいますか?」


ウエイトレスがやってきて、心地よい笑顔で尋ねる。


「ナポリタンを…」

「かしこまりました。少々お待ちくださいね」


しばらくしてやってきたナポリタンは、湯気が立ち上りおいしそうな香りを放ちながらテーブルに置かれた。


フォークで小さく巻いて、口に運ぶ。


「…っ」


ケチャップの酸味と、少しだけくわえられた甘み。


もっちりとした麺によく絡んでいる。


定番の玉ねぎ、ベーコン、ピーマンの具材もちょうどよく混ざり合って、絶品だった。


「おいしい…」


かがりは、横の椅子においていた鞄から小さなファイルを取り出して開いた。


そこにはこれまで彼がくれたカードがびっしりと敷き詰められていた。


ナポリタンの話が書いてあるカードを再び読み返す。


「…ほんとだね」


ぽかぽかの陽気と、心地よいBGM。


おいしいナポリタンに、香ばしいコーヒーの香り。


それらを存分に感じながら。最後のページをゆっくり開いた。


そこには、今日もらった新しいカードが入っている。


『おはようございます。このカードを入れ始めてからちょうど1カ月です。長かったような、あっという間だったような。かがりさんを思いながら書いていると、決まって会いたくなります。いつか面と向かって、伝えられたらうれしいです』


この1カ月、彼がいつも近くにいるような感覚だった。


好きなものや、好きなことに触れて、温かい気持ちになる。


今日こうやって喫茶店にやってきたのも、もっと彼を近くに感じたかったからだ。


几帳面なA型の彼。運動も音楽もできて、お酒が好き。家族とは仲が良くて、独立して歯科技工士になった。ナポリタンが好きでちょっと子供っぽいところがある。


かがりはカードをなでながら微笑んだ。


「……私も、会いたい」


無意識に出た言葉が、何よりも真実だった。


明日はどんなことが書いてあるんだろうと、次の日になるのがわくわくしたのはいつ以来だったか。


かがりはそっと食べかけの皿の上にフォークを置いた。


そのとき、喫茶店の扉がカランコロンと鳴った。

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