エピソード17

「やっぱり、あの時の子だった…」


救急車の中。救急隊員と一緒に応急処置をしている透は、彼女の腕をまくり上げながらそう呟いた。


離れられなくて、同乗したはいいものの、何も出来ない志貴は隣で見守ることしか出来ない。


透の言葉に、志貴は何も言わずにその腕を見た。


か細い腕に残る、ぐるぐる巻きの包帯。


志貴は透に視線を送った。


「覚えてるだろ?お前を病院に呼んだ時、緊急手術だった女の子を」

「…父親の割ったガラスで怪我した…?」

「あぁ」


透は聴診器を当てながら頷いた。


「どこかで会った気がしてたんだ」


志貴は、働かない頭をフルに動かして理解しようとした。


父親が割ったガラスで怪我をした彼女。


さっき一緒に走って来た女性は「かがり」と叫んでいた。


この子は。


いったい誰だ。




***



目を覚ますと白い天井が見えた。


辺りを見回すが、見覚えのあるものは何一つない。


すると、小さな声で「かがり?」と呼ぶ声が聞こえた。


ゆっくり視線を向けると、安堵したような舞が手を握ってくれていた。


「…よかった…、かがり…」


今にも泣き出しそうな表情に、かがりは安心させるように小さく微笑んだ。


「…貧血と過呼吸だって。きっと疲れてたのね。ゆっくり休めば大丈夫だって、」


そう説明する舞は、途中で言葉を切った。


ゆっくり休めば大丈夫。


「…って、…一條さんが」


舞は少しだけ躊躇って、そう続けた。


彼女の申し訳ない表情を見て、かがりは悟った。


もう隠しきれない。


舞も居て、病院にいるかがり。


ここで偽ることなんて出来ない。


「……かがり…、ごめんね」


その言葉に、かがりはゆっくり首を振った。


良かったのかもしれない。


きっと言い出す勇気がなくて、逃げてしまっていたかもしれない。


ハプニングで知られた方が、いっその事、騙したと蔑まれた方が、踏ん切りがつくかもしれない。


ようやく目が慣れて、周りの様子を見ると、病院のようだが、この前の処置室とはうって変わってホテルのような部屋だった。


舞とかがり以外人は居ない。


いわゆるVIPルームというところか。


しかしかがりにそんな大金を払える余裕は無い。


軋む体をどうにか起こして、ベッドを降りようとした。


舞は慌ててそれを止める。


「ちょ…!まだ安静にしてなきゃ」

「……こんな高級な部屋の料金なんて払えないよ…」

「…ここは…っ」


すると、部屋のドアがコンコンと鳴らされ、ゆっくり開いた。


入ってきたのは、白衣を着た男性だった。


見たことがあるような、ないような、曖昧な記憶を探す。


しかし思いたる前に、彼が話し出した。


「お加減、どうですか?」

「…え、あ、大丈夫、です…」


ベッドを降りようとして、舞が止めている体勢に気づいたのか、彼は微笑みながら、ゆっくりかがりの体を支えながら、ベッドに戻した。


「山田かがりさん。初めまして」


改めて咳払いをして話し始める。


「僕が、一條透です」

「……え…?」


かがりは、その言葉が飲み込めず、聞き返した。


「…騙していて、すみませんでした」


答えをすがるように、隣にいる舞を見る。


舞も諦めたように頷いている。


「訳あって、舞さんとのお見合いを、僕の友人に託しました」


一條透と名乗った彼は、「…舞さんと同じように」と続けた。


「…えぇ。私も、騙して、ごめんなさい」


舞はそう言って目を伏せた。



彼が、『一條透』?


じゃあ、あの人は…?


かがりは言葉にならず、困惑した表情で2人を交互に見た。


透は、困ったように微笑むと、「ちょっと待っててください」と言って、廊下に出た。


そして連れて来たのは。


「……」


何も言わずに、佇む、彼だった。


困ったような、泣きそうな、でも悔しそうな、なんと言ったらいいか分からない表情だった。


「彼は、三園志貴です。僕の親友で、…僕の嘘を守ってくれた人です」


透は、動かない志貴の背中をそっと押した。


「全ての責任は、僕にあります。どうか、志貴のことは、嫌いにならないでください」


追いつかない頭で、かがりはこれまで過ごした日々を思い出していた。


いつも楽しそうに笑ってくれていた彼の表情に、嘘なんてないと思っている。


「……嫌いになんて…」


なれない。


なれるわけが無い。


かがりに幸せな思い出をくれた人。


それは誰であろうがかけがえのない人だ。


「…志貴さん、私こそ、騙しててごめんなさい」


隣で舞が、震える声で、志貴に頭を下げた。


「かがりは、本来嘘をつくような子じゃないです。私がお願いして、断れなくて、引き受けてくれた、優しい子なんです…っ」


それを聞いた志貴は、ようやくゆっくり口を開いた。


「…知ってます」


涙が溜まって、ぼやけた視界には、志貴がどんな顔をしていたのか、かがりには分からなかった。

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