エピソード11

「悪いな、ここまで来てもらったのに待たせて」


透は病院の院長の息子でもあるが、30歳にしてすでに外科の技術も高く、手術にぴっぱりだこの名医だ。


呼び出された志貴は、彼の部屋のソファーに腰掛けながら、コーヒーを飲んでいた。


緊急の手術とかで、さっき呼び出され、ようやく帰って来た。


カルテを見ながら部屋に入って来る。


「いいや。緊急だったんだろ?」

「あぁ。何でもアルコール中毒の父親が暴れて割ったガラス片が娘の腕にぐっさりよ。気の毒すぎる」


透は「見るか?」と聞いて、ちらりと腕の写真を見せた。


「いやいい、て」


遠慮したのに、有無を言わせず見せてくる。


そこには血だらけの細い左腕が写っていた。


父親のせいで、娘が犠牲になるのは、確かに気の毒な話だ。


しかしその腕を見たとき、なぜか彼女をふと思い出した。


女性の腕なんてほとんど同じように見えるのに。


なんとなく悪いことが起きそうな気がして、それを振り払うかのように話題を変えた。


「んで、何だよ、急に。頼みたいことって」


透が向かいのイスに座る。


「それが、親父のやつ、舞さんとの関係はどうなんだってうるさくて…」


その話題が来ると思っておらず、ドキッとする。


「付き合うなら、付き合う。断るなら、さっさと断る!って言い出して…」


もう少し時間があると思っていたが、そうでもないらしい。


「俺としては、断って欲しい。

……けど、お前はそうじゃないだろ?」


そう言われて思い出すのは、彼女の何も隠せていない表情だった。


思ったこと、したいこと、感じたこと、声に出して無くても全部見てわかった。


そしてそれを伝えると恥ずかしそうにする表情も。


それはまぎれも無く、今までになかった感情だ。


「……あぁ」

「だから、これはあくまでも相談だが」


透はかしこまった形で志貴を見た。


「…俺が正直に打ち明けようと思う」

「……え?」

「こんなことを頼んだのは俺だし、悪いのも俺だから」

「…だからって…」

「次会う時、俺が本当の一條透だと名乗って、理由も全部話して、

今度は三園志貴と向き合って欲しいって頼む」


志貴は透を見た。


「(…三園志貴として…)」


透なりに考えて出してくれた答えだとわかった。


しかし、だましていたことに変わりはない。


軽い気持ちで引き受けた身代わりが、今になってこんなに重くのしかかるとは思ってもいなかった。


打ち明けて、正直に話しても、受け入れてくれない可能性だってある。


そうなったら、もうこの関係は終わりだ。


それでも、心のどこかで、彼女と本当の自分で向き合いたい願望もあった。


こんな気持ちになるのは初めてだった。


これまでのらりくらりでやり過ごしてきた人間関係も。


想い合いたい相手がいたら、いろんな感情に揺すぶられる。


疼くような違和感を覚えて、胃のあたりを無意識にさすった。


それを見た透は、小さく笑った。



「…そんなお前を見たのは初めてだよ」



その表情は、今まで一緒にいて、志貴のこと知っている透だからこその顔だった。



「(…一緒にいたい)」



その言葉を自覚したとき、ストンと何かが腑に落ちたような感覚だった。


きっとそれは自分に自覚がなかっただけで、ずっと前から芽生えていた気持ちだ。


認められないまま、ふわふわしていた感情がようやく見つけられた。


志貴は、さすっていた手を止めて透を見た。



「……まだ間に合うか?」



その問いに、透は驚いたように目を見開いた。


初めて聞く、志貴の弱気な発言に、一瞬信じられないものを見たかのように驚いたが、すぐに笑顔に戻った。


あんなに女性に冷たい態度しか取らなかった志貴が、どう思われるかを心配する時が来るなんて。


透は、ゆっくり頷いた。


「(……俺も会ってみたいよ。お前をこんなに変えてくれたその子に)」

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