エピソード9

誰かと水族館に来たのは初めてだった。


小学生の時に、遠足で近くの小さな水族館に行ったことはあるが、こうやって自分のペースでじっくり見るという体験は初めてだった。


ましてや男の人(ものすごくイケメン)と2人で来ることになろうとは。


水族館の近くの海辺が見える橋の上で差し出された、ペンギンのぬいぐるみを見ながら、感慨深くなってしまった。


もちろん、こうやってサプライズでペンギンをプレゼントされたのも初めてだ。


かがりは震える手で、そのふわふわのペンギンを受け取った。


「もふもふ…」

「…ははっ。受け取った感想が独特ですね」


彼を見上げると、夕日に照らされて赤くなって見えた。


茶色みがかった髪の毛が赤くきらきら光る。


「…ありがとうございます、嬉しいです」

「よかった」


ぬいぐるみのペンギンをなでると、ふわふわで柔らかくて、まるで彼をぬいぐるみにしたような感じだった。


出会って間もないのに、こんなにあったかい。


かがりが見つめると、彼は照れたように視線をそらし、夕日が光る水面を見ながら「綺麗ですね」とつぶやいた。


かがりも同じ方向を向いて隣に立つ。


帰り際になると、ふとさみしさすら感じる。


かがりは舞じゃない。


この逢瀬がいつまで続くのかわからない。


そもそも、彼は舞のお見合い相手で、舞にたーくんがいなければ存在しなかった出会いだ。


生きる世界も、過ごしてきた環境も、持っているものも、何もかも違う。


かがりが望んでいい相手ではない。


会いたいと思った時に、すがっていい相手ではないのだ。


「……」


きっと一時的な気の迷いだ。


これまでこうやって異性と交流したことが無いから錯覚しているだけ。


自分の日常に戻れば、何事もなかったかのように過ごせる。


総合病院を持つ彼に、自分自身が何ができるというのだろう。


かがりはお腹に抱えたペンギンを見た。


この想いはペンギンにだけ伝えよう。


そう思いながら、ぎゅっと抱きしめた。


「……舞さん?」


急に無言になった彼女を心配したのか、彼はかがりの顔をのぞき込んだ。


しかし、かがりは気付かれないように首を振って笑った。


今だけは、一緒にいる時間を大事にしよう。


そう思いながら。





『喧嘩した~』


夜遅くインターホンを鳴らしたのは透だった。


久しぶりに歩き回って、程よい疲れに浸っていたときの突然の訪問。


しかし、無下にすることもできないので、志貴はため息をついて玄関を開けた。


部屋に入るなり、ソファーに飛び込んで顔をうずめる。


「…どうしたんだよ」


冷蔵庫から缶ビールを2本取り出し、1本を透の前のテーブルに置く。


乾杯などせず、先に開けてビールを流し込む。


「彼氏と喧嘩した」

「また?」


透の愛する彼。中性的な見た目の”彼”だ。


「…たく、喧嘩するたびに俺んちに来るなよ」

「だって、志貴のところ以外行く当てないんだもん」

「『ないんだもん』じゃねーよ、三十路が。可愛くない」


すると、透はうずめていた顔をこちらに向けて志貴の顔を見る。


「なんか今日はツッコミにキレがあるな…。なんかいいことあった?」


自分の傷はまだ癒えてないのか、眉毛をハの字に下げながら尋ねる。


「いいこと?…まぁ、ないこともなかったけど」

「何?…まさか、彼女できた?」

「なんでだよ」


透の予想に呆れながら、ソファーの横のオットマンに腰掛ける。


「絶賛お前の頼みを遂行中だってのに」

「頼み…?…あぁ!舞さん?」


忘れてたな、こいつ。と思いながらも無視してビールを飲んだ。


「何回会ったんだ?」

「……3回?」

「え!?もう?」

「そのうち1回は偶然だったけどな」


透はガバっと起き上がってソファーの上に座り直す。


「何だよ、そんなに気に入ったってこと?」

「…………別に」

「その間!絶対嘘だ」

「……嘘じゃない」


その答えに、不服そうに唇を尖らせると、テーブルに置かれたビールを取って開けた。


「…じゃあ、もういいんだよ?そんなに会っててもあっちからお断りされないなら、俺的にも数回会ってもらえば、性格が合わなかったってことにして両親に断りを入れるから」


ぐびぐび喉を鳴らしながらビールを流し込む透。


その言葉に、志貴は一瞬固まった。


透はその一瞬を見逃さず、ニヤッと笑った。


「…やっぱり」

「…は?」

「舞さんのこと、気になってる?」

「…な、ってない」


高校時代からの友人には隠しきれないと思った。


これまでも女性と付き合った経験なんてたくさんあるのに、ここまで気にかかったことはない。


それは透が一番よくわかっている。


「お前だって曲がりなりにも医者の息子なんだから、西園寺家と結婚したって問題ないだろ?」


そうは言われても、医者の息子として生まれ、何不自由なく、好きな道に進ませてもらったのに、結局医者にはならず、歯科技工士の仕事に就いていることに、少なからず負い目があった。


歯科技工士は自分で選んだ道だ。


その選択は今でも間違ったとは思っていないし、これからも続けて行きたいと思っている。


しかし、開業医の父、総合病院の医者である兄の元で、自分が医者の娘と結婚するなんてことは考えた事も無かったし、そうするつもりもなかった。


「……ねーよ」


志貴は自分に言い聞かせるようにつぶやいて、残っていた缶ビールを飲み干した。

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