エピソード6

久しぶりの感覚だった。


志貴は、振り返ってペコリと頭を下げる舞を見送りながら、思い返していた。


一応、自分でもそこそこのイケメンだと思っていたが、舞は出てきた料理に夢中で、全く気にする様子もない。


むしろ志貴のことはそっちのけで、いろんな感情を顔に出しながら、飲み込んで、それでもまた笑って。


見てて面白かった。


大人になって、ここまで感情に素直な人は久しぶりだ。


いつもなら、いくら美味しい料理があっても、どんなに面白い映画を見ていても、自分にすり寄ってくるような人としか会っていなかったような気がする。


今度はどんなものを食べにいこうか。彼女が好きなものは何だろう。


「……」


そんな事を考えている自分にびっくりした。


透のお願いは、あちらから上手く振ってもらうことなのに。


バーでのことを思い出し一瞬、顔を曇らせた。


まだ先は長い。


今日はいい男を演じていただけ。これから少しずつ素を出して行けば、いずれ振られる運命だ。


志貴は着ていたジャケットを脱ぎ、整えた髪の毛を崩すようにガシガシかいて、ジャケットを肩に引っ掛けた。




***



なんだか充実した日曜日だった。


かがりはいつもより少し早めに出社して、誰もいないオフィスでゆっくりコーヒーを淹れていた。


あのお店のコーヒーとまではいかないが、少しずつ蒸らして入れるコーヒーはやはり香りが高くて美味しい。


普段はコーヒーメーカーでささっと作ってしまうのだが、時間がある朝はこうやって一人のティータイムを楽しむことにしている。


かがりは住宅メーカーの広報担当だ。


核家族が増え、マンションの需要が高まる中で、一軒家住宅を推進していく施策を毎日考えている。


パソコンを開くと、新しい区画の図面が来ていたので、プロモーション施策を作成しなければいけない。


繫忙期になれば各段に忙しくなるが、かがりはこの仕事が好きだった。


医者とは全く給料も責任の重さも違うが、暮らしを豊かにする家を売る仕事は誇りだ。


「おーや?山田さん、早いですね~」


給湯室に顔を出したのは、広報部部長の田所さんだ。


年々おでこも広くなっていくが、心も広い人だ。


競合が多いこの住宅メーカーで、お客さま第一の広報を貫く優しい人でもある。


「ちょっと早く目が覚めたので。部長もコーヒー飲みますか?」


そう尋ねてカップを探す。


「もらおうかな」


部長は10歳の息子と、最近保育所に入った1歳の娘の世話をしながら生活している。


愛する奥さんに先立たれ、男手一つで2人を育てているのだ。


保育所の送迎があるため、いつも一人、朝早くに来て夕方颯爽と帰宅する。


それでいて仕事はきっちりの憧れの上司だ。


「まだ20代なんだから、寝坊して遅刻ギリギリに来るとかしないの?」

「慌てて出社したら、朝から疲れちゃうので」

「…それは確かに」

「なるべく疲れないように省エネで生きてます」

「環境にも優しいね」


謎の雑談を繰り広げていると、徐々に社員がやってきて今日の業務が始まるのだ。



定時が少し過ぎた頃に、ようやくかがりの仕事が一段落着いた。


新しいプロモーション施策のせいで、月曜日からハードな業務が続いたが、なんとか乗り切った。


職場を出て、帰り道を歩いていると、後ろから「舞さん」と声を掛けられた。


聞き覚えのある名前に、ハッと思い出して振り返った。


そこには昨日の彼が立っていた。


昨日のかっちりとした服装とは違う、少しラフなトップスに、春らしいグレーのトレンチコートを着ていた。


あまりにも自然で、自分が舞であることを一瞬忘れかけてしまった。


「と、透さん…?」


慌てて返事をする。


「偶然ですね。職場この辺なんですか?」


そう尋ねられて、急いで舞の働くクリニックの場所を思い出す。


確か、もう二駅先の大通りにあったはず。


「…ちょ、ちょっと買い物に…」

「あぁ、そうだったんですね」

「透さんは…?」

「俺は仕事帰りです」

「…え…!?」

「え?」


彼の返答に、かがりは急に焦り出した。


かがりの職場はすぐそこ。彼の職場も近いということは、今のようにばったり会ってしまう可能性が各段に高くなってしまう。


勝手に一人で焦っているかがりを不思議そうに見ながら、首をかしげる。


「歩くのが好きで。ちょっと遠いんですけど、自宅まで歩いている途中なんです」

「と、ちゅう…?」

「はい」


その言葉を聞いて、焦ってたくさん吸った息を思いっきり吐き出した。


「(…よかった。職場が近いわけじゃなかったのか…)」


そんな様子を見ながら、彼はまた楽しそうに笑う。


「舞さん、この後お時間あります?」

「…え?えぇ…」

「良かったらごはん行きません?」

「…え…!」


その誘いに、かがりは自分の着ている服を見た。


普段のオフィスカジュアルの恰好ではあるが、お金持ちが行くようなお店に入っていい恰好なんだろうか。


「急なので、近くのお手軽な居酒屋とかになっちゃいますけど、それでも良ければ」


そう言って笑う彼を、かがりは目を見開いて見上げる。


何も答えて無いのに、心を読んでいるかのように言葉をくれる。


「(…エスパー…)」


んなわけあるかい。と自分でツッコミを入れ、再度彼を見て、うなずいた。

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