エピソード3

正直、透のお見合いがどうなろうと、志貴しきには関係のないことだった。


目の前に出された、恋い焦がれ続けたアメリカの人気ロックバンドのライブチケットを出されるまでは。


「志貴…!一生のお願い!!」


透に一生のお願いをされたことは、手の指だけでは足りないくらいされているが、こんな人質を出して、更に頭を下げると言うことはのっぴきならない頼み事があるのだと、一瞬で悟った。


しかし安易に差し出された餌を掴んではいけないと、頭の奥で警告が鳴っている気がした。


志貴は、ここがまだ来て早々の行きつけのバーであることを思い出して、カウンターの奥にいるマスターにいつものウイスキーを頼んだ。


着ていたジャケットを脱ぐと、タイミングよくすっとどこからともなくスタッフが現れてジャケットを受け取る。


ここは会員制のバーだ。


いわゆる金持ちしか入れない、特別な場所。そこに呼び出されたのはついさっきのことだった。


大学卒業時から就いている歯科技工士の仕事が終わり、更衣室で着替えているとタイミングよく透からの着信。


『志貴!緊急事態!集合!』

「は…?」


謎の召集令号。


志貴はため息を付きながら着ていた白衣を脱いだ。


すると、更衣室のドアが控えめにコンコンと鳴らされた。


すりガラスの向こうに人影が見える。よく見なくても背丈からすると女性スタッフだろう。


複数名いることを認識すると、志貴は再びため息をついた。


『どうした?』


電話の向こうで透が尋ねる。


2回目のため息は自分ではない誰かに向けられたものだと気づいたのだろう。


「…いや。…わかった。いつものバーでいいな?」

『…あ、あぁ!待ってる!』


志貴は手短に約束を取り付けて電話を切った。


そして更衣室のドアを見て、面倒くさそうに目を細めた。


小さな歯科クリニックではあるが、スタッフに女性は多い。


もともとそれなりに整った顔をもって生まれたため、周りの黄色い声を浴びることが多かった。


若い頃は役得と思って、かわいい子がいたらとりあえず付き合ってみる、というなんとも若気の至り感の強い付き合い方をしてきたが、30歳を目前に控えた現在は、遊ぶ体力はもうほとんどない。


適当にあしらって、のらりくらりが鉄則だ。


と言いつつも、この年になってくると両親、親戚からの「結婚しないの?」とありありと感じる視線が痛い。


家業を継がず、好きなことをさせてもらってきた恩もあるが、「いい人がいたら」と言い逃れて来たら、もう三十路だ。


思いふけていると、再びドアがコンコンと鳴った。


「…あ、はい」


控えめに返事をする。


すると、スライド式のドアをものすごくゆっくり開けて、ひょっこり女性スタッフが顔を出した。


バッチリ上目遣いだ。


三園みそのさん、…今日このあと予定あります?」


後ろにいるスタッフも彼女越しに覗き込んで、お決まりの上目遣い。


志貴は「あー」と悩むふりをして、ぽりぽりこめかみをかく。


「今日は、大学の友達と飲みに行く予定で」


いつもなら嘘でごまかすが、今日に限っては本当に大学の友達、もとい透のところに行かなければいけない。


「…そうですか…」


スタッフはあからさまにがっかりしたように肩を落として「わかりました」とつぶやく。


「いつもタイミング悪くてすみません。ぜひまた今度」


志貴はそう言ってお決まりの爽やかスマイルを炸裂させると、彼女の横をそそくさとすり抜けてクリニックを出た。


先程、透と約束したバーに着くなり、冒頭の一生のお願いを突きつけられたのだった。


志貴は目の前に置かれたウイスキーを一口飲み込んだ。


透とは高校の時からの同級生だ。


同じ大学の医学部に行き、一緒に実習を受けて、医者と技師、違う道に進んだが、志貴にとっても透が一番の友達だ。


だから、こうやって頼まれると、呆れもするが、結局聞いてしまうのだ。


こういうときは決まって彼の恋愛絡みのことが多いのだが。


「んで?今回はなんだよ」

「心の友よー!」

「…古いだろ」


透は、カウンターの椅子を最大限に回して、体ごと志貴と向き合う。


いつもの相談よりも言いづらいのか、じっと彼を見つめて、ゴクリと喉を鳴らす。


「…?」


歯切れの悪い感じに、珍しさを覚える。


志貴も彼を見ると、急にがばっと志貴の手を取り、引き寄せた。


「俺の代わりにお見合いに行ってくれないか!?」

「……は?」


目が点になる、ということを、彼は初めて体験した。

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