第18話(高槻ミチル)

 018(高槻ミチル) 



 今日は、高校時代の同窓会の日だ。



 みんな、どうしているだろうか。大きな怪我や病気などはしていないだろうか。そんなことを考えながら、私は久しぶりに帰ってきた月野家の自室で文庫本を片手に、ボンヤリと空に線を引く飛行機雲の行方を眺めていた。



 なんだか、物語に集中出来ない。私ったら、久しぶりのみんなとの再会に浮かれてしまっているみたいだ。



「姉さん、コーヒーどうぞ」

「あら。ありがとう、カケル」



 高校生になったカケルが、マグカップを持って部屋の扉を開いた。わざわざお盆に乗せて二つ持ってくる辺りが、相変わらずの気遣いの良さを表していると思った。



「シンジ、元気にしてる?」

「相変わらず、ずっと仕事ばっかりだよ。私のこと、全然構ってくれないんだから」

「んふふ、本当に変わらないね。あの人は」

「ねぇ、聞いてよ。この前だってさ、せっかくの休みだったのに私よりもチサトちゃんのこと優先したんだよ? ありえなくない?」

「まぁ、それは仕方ないでしょ。聖職者見習いのチサト姉さんには、シンジみたいな頼りになる人間が必要だよ」



 それから、しばらくカケルにシンジへの愚痴を聞いてもらっていたが、言えば言うほど惚気話にしかなっていないことに気がついてしまった。それを嬉しそうに聞いてくれるカケルを見ていると、何だか高校時代に戻った気になってくる。



「言いたいことがたくさんあるのは分かるけど、シンジに直接言ったりはしないの?」

「……言ってるよ。でも、ちっとも張り合いないんだよ」

「張り合い?」

「前はさ、何か言ったらちゃんと喧嘩してくれたのに。最近は、私が怒っても妙に優しくしてくるんだよね」

「浮気してたりして」



 瞬間、私はカケルの頭を引っ叩いた。



「怒るよ」

「も、もう怒ってるじゃん」



 それから、私はカケルに滾々と説教をした。正座になって、文字通り水が湧き出るように説教をした。しかし、それは結局シンジのいいところを羅列しているだけで、やっぱり惚気話になってしまっていることに気付いてしまった。



 なんか、ずっと付き合いたてみたいで変な感じ。



「ところで、姉さん。そろそろ時間なんじゃない?」

「あら、いけない。それじゃ、お姉ちゃん行ってくるね」

「うん。いってらっしやい、姉さん」



 実家を後にして、最寄り駅まで一人で歩く。別に住んでいる場所が遠いワケではないけれど、やっぱりこの辺は落ち着く。地元というのは不思議なモノで、帰ってきたという安心感がとても心地よいのだ。



 もちろん、この居心地の良さに甘えてはいけないけれど。それでも私は、帰ってきていい場所があるって思うと何だか心強かった。



 電車に乗って、町家繁華へ向かう。



 幹事の山川くんは、既に合流しているかもしれない。ただ、彼らは割と頻繁にシンジと会っているし、今更改まって話すようなこともないか。ミキちゃんやココミちゃんやカナエちゃんとは、私も時々会っているし近況は知っている。でも、コウくんは一体、どんな男になっているのだろう。



 そんなことを考えていると、ふと駅の構内で声をかけられた。



「あら、ミチルじゃない」

「……サオリ! うそ! いつ日本に戻ってきたの!?」



 思わず叫んでしまった。いい大人がみっともないと思いつつ、しかし久しぶりの再会に感情が隠せない。



「昨日よ、しばらくは実家に居候するつもりなの」

「んふふ、そうなんだ! 連絡してくれればよかったのに!」

「いきなり行ってビックリさせたかったのよ。まったく、せっかくの計画が台無しだわ」



 呆れたように笑うサオリは、妙に大人に見える。ルックスはやっぱり、ちょっと幼くてかわいい感じがするけれど。話してみるとイメージを覆される毒気と鋭い雰囲気がある。



 変わってない。サオリの言っていた『最適化』という言葉は正しかったようだ。やっぱり、才能のある人の青春ってそういうモノなんだなぁ。



「シンジ、最近はどう? やっぱり、相変わらず人助けに精力的のワケ?」

「うん、仕事しながら例の教会に足繁く通ってるよ」

「あははっ! あいつ、ハーレムで死ぬほど迷惑かけられたのに結局は自分がその主になっちゃったってこと!?」



 ケラケラと笑うサオリ。シンジが大変な目に合っていると聞いて嬉しそうにする女の人は、世界広しといえども彼女だけだろう。というか、彼女にしかその資格がないというのが正しいか。



「わ、笑えないこと言わないでよ……」

「んもぅ、冗談よ。相変わらず、真面目でからかい甲斐のある子なんだから」

「……ぶぅ」

「それに、あたしのは分かりやすい嫉妬じゃない。自分で言っておいてなんだけど、気にする必要なんてないわよ」

「その性格、本当に羨ましい」

「もっと褒めなさい、気持ちがいいから」



 サオリは、国境なき医師団に所属する女医さんだ。人助けのために世界中を回って、紛争地域や恵まれない人たちのために医療を提供している。その勝ち気な性格と鉄火場仕込の応用力で、若きエースとして活躍していると雑誌の記事のインタビューで読んだことがあった。



 月並みな感想だけど、サオリの行動力と性格は本当に尊敬出来る。彼女には、やりたいと思っても出来ないことなんてモノはないのだろう。



「カレシは出来ないけどね。まったく、世の中の男どもは本当に見る目がないわねぇ」

「んふふ、いい人紹介しようか?」

「……そうね、お願いしようかしら。こう、癒やしてくれそうな男を希望しておくわ」



 なんて言葉を交わし、数日後に会う約束をしてから私たちは別れた。彼女の元気な姿が見られて、とてもいい気分だ。



「やぁ、月野。……じゃなかった、高槻さん。今からかい?」



 その気分のまま町家繁華を歩いていると、前から買い物袋をぶら下げた山川くんと出会った。トレードマークの理知的なメガネは、相変わらず理系大学の院生のイメージにピッタリだ。



「んふふ。月野でいいよ、山川くん。私もシンジの手伝いをしようと思ってさ」

「そうか、忙しいそうだから助かると思うよ」



 どうやら、山川くんはシンジにお使いを頼まれていたらしい。買い物袋には卵とネギ、そして黒糖が入っている。今日は大切な日だというのに、仕入れを間違えるなんてシンジらしくな――。



「あ、注文したの私だ」

「ははっ。やっぱりそうだったんだ、シンジが苦笑いしてたよ」

「……め、面倒かけてごめんね」

「俺は別にいいよ。でも、シンジは『最近、構ってやれてないから怒ってるのかなぁ』って心配してたよ」



 ……分かってるなら一緒にいてよ、ばか。



「まぁ、でも。だったら、待たせ過ぎなシンジも悪いかもね」

「待たせる? 何を?」

「それは直接聞きなよ。多分、そろそろ教えてくれるハズさ。それとも、月野は聞いたこともなかったのかな」

「聞くって、全然分からないよ。シンジが何を考えてるのかなんて、昔っから分かんない!」



 何故か盛大に笑う山川くんに気がついたようで、向こうからやってきた東出くんと浜辺くんも合流した。シンジくんは彼らを『三バカ』だなんて呼ぶけれど、こうして誰よりも先に集まってくれると信じているからこその呼び名なのだろう。



 男の友情って、凄く羨ましいな。



「遅かったな、ミチル。山川たちも一緒か」



 店の中に入ると、先に来ていたコウくんがシャツの腕まくりをした姿で言った。彼がこんなに早く来ているだなんてビックリだ。身長が伸びて顔つきも大人っぽくなって、何だか見違えたみたいにカッコよくなっている。



 これは、シンジが嫉妬しちゃいますねぇ。



「久しぶり、コウくん。ミキちゃんたちは?」

「そっちでシンジの仕込みの手伝いをしてる、俺は料理が出来ないから配膳の準備さ」



 まぁ、ヒントが出尽くしてしまったので隠すことも出来なくなったからここでネタバラシ。このお店は、シンジが町家へ帰ってきて始めた料理屋さんだ。北海道での修行の成果は、確実に人々の心を打っている。



 有り体に言えば、他県から食べに来る人がいるくらい流行っている。そのせいでシンジは忙しく、私に構ってくれていないというワケなのだった。



 因みに、店の屋号は『たかつき』。彼は『みちる』がいいって言ったけど、流石に恥ずかしいのでやめてもらった。



「私もお料理、手伝っちゃおうかなぁ」

「ミチルがそう言ったら、配膳の手伝いをさせるようにってキツく言ってたよ」

「な、なんでそんな酷いこというのよ! シンジぃ!!」



 厨房に向かって叫ぶと、向こうから女の子たちの笑い声が聞こえてきた。やがて、手を拭きながらミキちゃんがやってくる。今では見慣れたけれど、最初は彼女の黒髪のショートカットに驚いたモノだ。



「絶対に入ってくるな、ですってよ」

「むきぃぃぃ!!」

「妙に疲れてそうな笑顔で『あいつは、愛情を入れれば何でもおいしくなると本気で思ってるんだ』なんて言ってたわ」

「なら、その場で味付け間違ってるっていいなさいよ!」

「……って言われたら、『それでも愛してる』と返してくれって」

「それ言えばいいと思ってるでしょ!! バカシンジ!!」



 最初はムカついたけれど、みんなが笑っているのを見ていたらどうでもよくなってきてしまった。なんだか、凄く楽しい。シンジがいなくなったあとの西城高校って、みんなが寂しげで大声で笑い合うこともなかったから。



「こんにちは、ミチルさん」

「やっほー、ミチル。また、随分と惚気けてくれますなぁ」

「の、惚気なのかな」



 どうやら、ある程度の仕込みも終わったらしい。あとはシンジくんにしか出来ない作業だから、こうして二人もやってきたのだろう。あまりにも自然にいられるから、まるで昔っから仲良しだったような感覚になってくる。彼女たちと、いつの間にか友達になっていた。そう言葉に出来ることが私は嬉しかった。



 ……絶対に否定するだろうけど、この未来はシンジのお陰だ。あなたがいてくれたから、こうしてみんなで笑えているんだよ。



「待たせたな」



 シンジは、真っ白な調理服に和帽子を被りとネクタイを締めたいつも通りの出で立ちだ。高校生の頃の幼さなど微塵も残っていない、それなのに独りぼっちの狼みたいな怖い雰囲気は欠片もない姿に成長している。



 どこにでもいる優しそうな男の人。それが、今の高槻シンジなのだ。



「ところで、ずっと気になっていたことなんだけど」



 しばらく談笑するうち、浜辺くんが徐ろに言った。その言葉に対して、シンジは悟ったように答える。



「なんだよ、浜辺」

「結局、シンジと月野って兄妹だったのか? それとも、二人の勘違い?」



 その質問に、みんな息を呑んで黙り込んだ。山川くんとコウくんに至っては「お前は本当にバカだな」と怒っている始末だったけれど、実を言えば私とシンジはそんなことをちっとも気にしていないのである。



「この法治国家の日本で、俺たちは普通に結婚出来た。それが答えなんじゃないか?」



 そう、それでいい。



 だって、振り返ったって仕方ないんだもん。間違えていたって、私はシンジと一緒にいられればそれだけで充分なのだ。



「大体、考えてもみろ。ミチルが本当に俺の妹だったらこんなポンコツなワケないだろ」

「んなっ!?」

「普通、今日みたいな大切な日に黒糖と黒豆を間違えるか? どうするんだよ、あの大量の在庫は」



 言いながら、シンジは玄関先に置いてある10kgの黒豆を指差す。さっきの質問には少しだって動揺しなかったのに、本当に顔から火が吹き出しそうなくらい恥ずかしくなった。



「……た、確かに」

「おまけに、こいつが結婚式やりたいっていうからチサト先輩に相談してたのに、今度は全然構ってくれないとか言い出すんだぞ。男心を分かってなさすぎだろ」

「そうだったの!?」

「高槻さんは、妙に乙女心を理解しているところがありますからね。ミチルさんとは似ていないかもしれません」



 ココミちゃんにまで弄られて、すっかり言葉を失ってしまった。結婚式のことなんて、偶然そんな動画を見たからちょっと言ってみただけだったのに。



 ……本当に、この男は。



「それじゃ、俺はそろそろ料理を始めるから。山川、来た奴から適当に案内してやってくれ」

「おう、任せろ」



 二人のやり取りのあと、私は黒豆の件で本格的に怒られるかもしれないなぁと思い、内心ビクビクしながら恐る恐るシンジを見上げた。



「ちゃんと反省しろよ」

「……うん、ごめんなさい」

「それじゃ、今日も一緒に頑張ろう。頼りにしてるぞ」

「……そ、それだけ?」



 怒られる側として、流石に消化不良な感がある。これからどうすればいいのかを私じゃ思い付かない失敗をしたのだから。もっと、ちゃんと言ってくれていいのだけれど。



 そんなことを考えていると、彼は和帽子を整えネクタイを締め直し。



「お前の代わりは誰もいないんだから、ちゃんとやってくれないと困る。これでいいか?」



 いつものように、優しい笑顔でそう言ってくれた。



「……うん」



 エプロンを身に着けてからドリンク台の前に立ち、開店の準備を始めた。カーテン越しにみんなを見てから、ひょっとして黒豆以外に何か間違えていないかと気になり在庫を確認する。



 少し落ち込んだからか、妙に浜辺くんの言葉が引っかかってしまう。この気持ちのまま仕事をしたら、私はまた失敗するかもしれない。そうしたらまたシンジに迷惑をかけるかもしれない。



「なぁ、ミチル」



 不安になった瞬間、厨房に入ったハズのシンジが私の手を奪った。何が起きるのか、すぐに分かった。みんなに隠れてこんなこと、凄くはしたないんだろうけど。そんな時にも気にしてくれたのが嬉しくて、何も言わずに目を閉じる。



「ん……っ」



 シンジは、私の唇にキスをしてくれた。元気づけるみたいに、怒っているみたいに、守るみたいに、甘えるみたいに、慰めるみたいに、縋るみたいに。いつものように、優しく、優しく、短いキスをしてくれた。



「こんなに好きなんだから、それでいいだろ」



 やっぱり、シンジは結論を間違えずとも過程を間違える。私が落ち込んでいるのは、兄妹の可能性を指摘されたからではないというのに。心から嬉しい言葉をくれる理由が、私の欲求とズレてしまっていることが何だかおかしかった。



「んふふ。うん、そうだよ」



 一途を知ったあの日、彼に答えられなかった想いを今はありったけ伝えられている。この唇に、世界で一番の幸せがあるって信じられることが、私たちのすべてを証明してくれている。



 だって、好きってことはきっと、血の繋がり以上の絆だから。



 それが、私たちの永遠の答えなのだ。

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