第17話
017
その後のことを、少しだけ話そうと思う。
戦うことを決めたチサト先輩を筆頭に、教会の女たちは神父を告訴して社会的な抹殺を目指した。その結果、奴はムショにブチ込まれ死ぬまで臭い飯を食う羽目になったのだ。
まぁ、当たり前だわな。
大人の母親たちはまだしも、何も知らない少女を食い物にしてきたのだ。幾ら身寄りのない人間を保護していたからといって、見返りにも限度があるというモノさ。おまけに、少女相手の犯罪は、同房の受刑者に死ぬほどバカにされイジメられるらしいが。
……俺は、あの神父を助けてやろうとは思わない。地獄に叩き落した責任を負うから、あんたは地獄で後悔しなよ。
今回の出来事から俺が学ぶべき教訓は、せっかくの人助けを台無しにしないためにも対価は対等なモノを選ぶべきということか。しかし、それはある意味『対等な対価を貰え』という教えなのかもしれない。ロハで仕事を受けるべからず。そういう事も、密かに学んでいる俺なのであった。
「ありがとう、高槻くん。きっと、私も幸せになってみせるよ」
しかし、それで終わってしまっては元の木阿弥だ。ミヨコさんとチサト先輩はまだしも、他の心が疲弊しきっている女性たちが同じように自立して生きていけるとは思えなかった。
だから、俺は教会を買い取ることにした。資金はもちろん、鵜飼から貰ったあの金時計だ。
藁にも縋る思いで質屋に持っていくと、どうやら何かしらの限定品だったらしく、その店の現金がスッカラカンになるくらいの値段が付いた。そんなモノを腕に巻いて、あまつさえポンと渡してしまうあいつの狂った愛情には、死後ながら本当に恐れを抱かせられるな。
……まぁ、そのお陰で彼女たちも救われる。少しくらいは、あいつも罪を滅ぼせたと肯定してやろう。
「悔しいけどな」
そして、俺は教会の運営をミヨコさんとチサト先輩に任せることにした。つまり、あの教会は生まれ変わり現代の縁切り寺となったのだ。さしずめ、俺は北条貞時、ミヨコさんとチサト先輩の二人は尼様と言ったところうか。
「そんなことまで。本当にありがとうございます、シンジくん」
ただし、そうなると当面の心配は運営費用だ。何とかして巨大な額を稼がないとマズい。綺麗事で上手くいくほど世の中は甘くないことを、改めて突きつけられる形となった。
「何とかしますよ。今の俺は無職ですから、フットワークは軽いです」
しかし、渡りに船もあるモノだ。
どうやら、ミチルの父親の会社の一つに割烹料理を提供している店があるようで、そこで短期的に働いてくれる料理人を探しているらしい。高給を見て一も二もなく了承した俺は、更なる料理人として大成すべく北海道へと渡った。
「またシンジくんが他の女の為に頑張ってる! 私の男なのに!」
なんて、ミチルはガミガミ怒っていたが。それはある意味旅立ちを許してくれたことの裏返しだ。俺の女は、そんなことで俺を束縛したりなんてしない。分かってるから立ち止まらず、彼女にはもう少しだけ待っててもらうことにした。
「ごめんな。でも、彼女たちが自立できるまでは手伝ってやらねぇとさ」
「……うん」
そんなワケで北海道にやってきた俺は、カケルの母親に聞いていたとある墓地へ赴いた。理由は、資金の礼としてここに鵜飼を埋めてやるためだ。
最後の最後までメチャクチャで、報いを受けるべきクソ野郎だったとは思うが、俺同様に母親のことも狂うほど愛していた可能性も少しだけある。それに、あいつがどれだけの悪党だろうが婆ちゃんとの時間をくれたのは事実なのだから、俺くらいは真摯に向き合ってやってもいいだろう。
……いや、ミチルもいないことだし嘘はやめておこうか。
「努力はしたんですけどね。俺は、どうしてもあんたのことを嫌いになれませんでしたよ。鵜飼さん」
明日からは忙しくなる。束の間の休息を享受するためにも、この誰もいない墓場でゆっくり過ごすのもいいだろう。
そんなふうに、すべての問題が終わり朗らかな気持ちでいた俺は、墓石に刻まれていた名前を見てすべてを察していたのだった。
「……そうだったのか」
そこには、『鵜飼リホコ』と『鵜飼ショウ』の名前が彫られていた。リホコというのが俺の母親なんだろうが、気になったのはもちろんショウの方だ。
もしかすると、鵜飼の頭がおかしくなったのは、ショウとリホコさんの死がキッカケだったのかもしれない。現実を歪んだ形で認知して、もしかするとあいつの言っていた舎弟であるチンピラへ俺を押し付け、現実逃避のために裏社会へと身を落としたのかもしれない。
だから、まともに立っていられないほどの傷を受けて、ハーレムだなんてバカげた妄想を現実にして、一途でないことを主張し自分を騙していたのかもしれない。ならば、それだけ家族を愛していたからこそ、愛を失うために俺を捨てたのかもしれない。
俺を捨てたのは、母でなく鵜飼だったのかもしれない。だから、俺には母親との思い出がないのかもしれない。
……ということで、いいのだろうか。『かもしれない』ばかりのどうしようもない推理だが、一考の余地はある気もする。
「或いは、もしもあいつが語った話のすべてが狂言で、息子に似ているだけの赤の他人の俺を本物の息子と思い込んでたっていうなら――」
……んふふ。
「笑えないな」
実のところ、これだけの大それた物語を歩んでいきながら、肝心の『高槻シンジが何者なのか』という疑問について確かな答えは出ていない。すべての情報は人伝と個人の感覚であり、公的な文書も俺の生まれを知っている人間も、証拠と呼べるモノは一つも見つかっていないのだ。
けれど、それでいいと思っている。
俺は妹であるミチルと結婚することを決めたし、仮に他人なんだとすれば妹と勘違いするくらい大切にしたいと思ったということだ。いずれにせよ、俺たちを阻むモノなど一つもない。
今更、どんな真実が判明しても騒いだりはしない。俺は、俺がミチルを思う気持ちを『一途』だと決めた。あいつも、兄だろうが兄じゃなかろうが受け入れると決めた。
それで話は終わりだ。他には、何もないのさ。
「毎度、ありがとうございました」
石材屋さんが鵜飼の名前を刻んだのを見届ける頃、空はオレンジ色に染まっていた。北海道の広大な大地の向こう側に、貼り付けたような太陽が顔を覗かせている。
綺麗だ。出来ることならミチルと見たかった。町家にも、夕陽は燃えているだろうか。雲が出ていないことを祈りつつ、俺は瞼に光を焼き付けた。
……そろそろ、店にいかなければ。
鵜飼は、俺の力を才能だと言った。生まれながらに備わっている、イカれた精神力の賜物だと言っていた。普通の人なら死んでいるところを乗り切る根性は、尋常ではない代物なのだと言っていた。カケルの母親との誓いを守る意味でも、それは自覚しておかなければなるまい。
だが、料理の腕は別物だ。こいつは婆ちゃんから授かり、大将に育ててもらった大切な遺産だ。これだけが、二人が生きていてくれた証なのだ。
俺は、試したい。
才能でなく、後天的に身に着けた技術がどこまで通用するのかを試してみたい。婆ちゃんと大将が決して間違っていなかったことを証明したい。あなたたちがいてくれたからこそ、俺は生きていられる。あなたたちの息子は立派に生きているのだと、胸を張って伝えたい。
俺の親は、高槻サチとダイスケさん。それが、俺の中の真実だ。
……町家に戻ったら、何を話そう。
山川や東出や浜辺には、たくさん謝らないといけないな。サオリは、新しい恋を見つけられただろうか。晴田と青山はその後も健在だろうか。榛名と遊佐は前を向けただろうか。雲井と水窪はボートを続けているのだろうか。三年生の先輩たちは、どんな進路を歩んだのだろうか。
しかし、幾つ気になることがあろうとも、とどのつまり最初にすべき事は既に決まっている。
月野ミチル。
彼女の気持ちが変わっていなければ、その左の薬指へ指輪を嵌めてやらなければならないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます