第16話 ①

 016



「さて、これでミヨコさんには神様に許してもらいたい罪も無くなりました。もう、教会に居続ける理由もありませんね」

「……はい」

「ここを出ましょう。ここは、あなたに相応しくない」

「ふざけないでもらおうか」



 ……まぁ、そりゃそうだよな。流石に突っ込まれることは分かっていたよ。



「キミ、さっきから黙って聞いていれば本当に好き勝手なことを言ってくれるね。何様のつもりなのかな」



 俺の言いなりになって黙っていた神父が、突然素敵な笑みを浮かべて言った。素敵というのは、敵役としては中途半端ながら実に彼に似合っている邪悪、という意味だ。



 余裕と偽ることで渡世を生きてきた。そんな、戦わずして勝つ神父の過去が手に取るように分かった。



「別におかしなことを言っているつもりはありませんよ、神父さん」

「いいや、そんなワケがないだろう。キミのようなぽっと出の小僧に、なぜわたしの教会を引っ掻き回す権利があるんだ? 勝手に決められるとは実に心外な侵害だよ」



 言葉遊びは俺も好きだが、あいにく嫌いなジジイに付き合ってやる気もない。



「人は好きに生きていい、当たり前のことだと思います。そして、その聖書を教典にしている以上、ここはあなたの宗教ではないでしょう」

「少しばかり知恵が立つと思って、いい気になっているんじゃないぞ」



 俺は、何となくチサト先輩を見た。出会った頃のミチルと似ている、そんなふうに思った。



「彼女は、まだまだペナルティの精算が終わっていない。そして、ミチルはわたしを傷つけた罪を贖うべきだ。そうでなければバランスが取れない。違うかね?」

「違うでしょう。罪を問い罰を与えるなら、私刑ではなく法律に則った厳粛な代物を与えるべきです。それでこそ現代日本ってモンですよ」

「ここまで教会に住まわせてやったのはわたしだぞ!?」

「今日まではそうだったでしょう。しかし、明日からの彼女は自分を許し前へ進まなければならない。そのためには、この教会は重荷でしかない」



 そして、俺はテーブルに置かれた聖書を手に取った。



「ところで、彼女たちのために随分と話がズレてしまいましたが。俺が問いたかったことは別にあるんですよ」

「な、なんだ」

「なぜ、ミヨコさんは嘘をつかなければならなかったのか、ということですよ。神父さん」



 聖書を片手に、見下すように笑う。



 今から、悪役としての格の違いをお前に見せてやるよ。



「まぁ、それについては分かりきっています。ミチルがあなたを傷つけ、そのことであなたはミヨコさんを洗脳したのでしょう。厭味ったらしく罪の意識を擦り付けて、その贖罪を求めたのでしょう。彼女は、娘のためにあなたの言いなりになっていたってワケですね」

「だったら、何だと言うんだね。母親なんだから当然だ」

「だから、僕はそれが嘘だと言っているんです」



 俺は、聖書の凹み部分を指で差し神父に見せた。



「おかしいでしょ。12歳の少女が、咄嗟に殴っただけでこんな凹み方をするなんて」

「……何を言い出すんだね、まったく」

「この聖書、皮のカバーが掛かっていますね。こいつは牛革でしょうか、靴や財布にも使われる耐久性の高い代物です。紙媒体を長期保存するためのモノですし、聖なる書物の為を思えば当然です」



 この時点でピンとこないということは、この神父、他人を騙すうちに自分まで自分の嘘に飲み込まれてしまっているのだろう。自分を悪だと理解していないゲスでクズな邪悪とは、本当に心からの軽蔑に値する。



 終わってるね、本当に。



「さて、物理の時間です。と言っても、簡単な高校物理です。力のモーメントくらい、脳みそスッカラポンのあなたでも聞いたことくらいあるでしょう?」

「す、スッカラポンだと!?」

「運動エネルギー=1/2mv^2ですから、これに当時のミチルの数字を代入すれば正しい数字が得られるでしょう。この聖書の重さは約1.5キロ程度でしょうか? 本の耐久度まで含めて俺が直々に計算して差し上げましょうか?」

「き、貴様! そんな小難しいことを言って煙に巻こうとするんじゃあないぞ!」



 そう思っているのは、神父の他にはミヨコさんだけだ。現役で学んでいる俺とミチルはもちろん、チサト先輩にとっても当たり前の知識であるというのに、やはり大人になると勉学は身近にないモノなのだろう。



 残念ながら、サオリのやり方は通用しないみたいだ。ここでの正解は正しいことを導くのではなく、神父に敗北を認めさせることだからな。



「だったら、もっと分かりやすく説明してあげましょう」



 そして、俺はその聖書の凹んでいない方を思い切りテーブルに『ガンッ!』と叩きつけた。しかし、当然ながら牛皮のカバーを掛けた聖書は多少の傷を増やしただけでべコリと凹んだりはしていない。



 丈夫だ。果たして、この男の頭蓋はこのテーブルよりも頑丈かね。



「んな……っ!?」

「俺は平均的な男子高校生よりもよっぽど非力ですが、比較対象が12歳の女子小学生というならこの場合は便利でしょう。見てください、こんなに大袈裟な凹み方をしていますか?」

「火事場の馬鹿力ということもあるだろう!?」

「そんな力があったなら、聖書に頼らずともあなたを跳ね除けられたでしょう。ちゃんと、自分の言葉の整合性を考えてから発言してくださいよ。神父さん」



 いよいよ我慢できなくなったのか、神父は俺の頬をぶん殴った。流石、言いなりになる女で身の回りを固めていた人間は堪え性が無いな。普通の大人だったら、もっと真剣に言葉を探したハズだ。



 ミヨコさんとチサト先輩が小さく悲鳴をあげる。しかし、ミチルだけはただ静かに俺を信じてくれていた。



「そもそも、犯されそうになったから抵抗した。これのどこに罪を問われる理由があるんですか?」

「だから! それはわたしたちの神聖な儀式であってだな!」

「神聖、どう神聖なんですか?」

「教徒を尊ぶためにはわたしが彼女たちの清らかを証明しなければならないのだ! そうしなければ、神に彼女たちを救う頼みも出来ないのだ!!」

「へぇ、そういうモノですか」



 だったら、なぜミヨコさんは今日まで罪の意識から逃れられなかったんだ。なぜチサト先輩はそんなに羨ましそうに俺を見るんだ。カケルが幸せそうに生きていられるのは、ミチルがここから連れ出したお陰なんじゃないのか。



 だから、俺はお前なんて信じない。お前程度の悪じゃ、人を助けることなんて出来ねぇよ。



「分かったか!? 小僧!!」

「なら、なぜチサト先輩はそんなに苦しそうなんですか?」

「……は?」



 大丈夫です、俺はあなただけを見殺しにしたりなんて絶対にしません。



「ミチルと仲直りしたミヨコさんは、とても幸せそうにしています。この結末を、あなたに身を捧げることで得られたんですか? これは、彼女が過去と決別し前を向いたからこそ出会えたモノなんじゃないですか?」

「減らず口を……っ」

「とはいえ、別にそういう形の宗教があることはどうでもいいんですよ。重要なのはそこじゃない」



 そうだ。そんなことは、俺にとって本当にどうでもいいことだ。なぜなら俺は、俺とミチルの関係を証明するためにここへ来たのだから。

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