第15話
015
「ミヨコさん、あなた嘘をつきましたね」
「嘘、ですか?」
「えぇ、嘘です。忘れたんですか? ミチルがこの場所を離れたのは12歳の誕生日です。未遂とはいえ、彼女も儀式に巻き込まれていたんですよ」
「キミ! 急に何を――」
「黙ってろ!!」
ミチルとチサト先輩が、ビクッと肩を揺らして俺を見た。しかし気にせず、俺は力強く神父に人差し指を向ける。
あまりにもやり過ぎなポーズだが、しかし神父のように卑劣で狡猾な男にはそれなりに有効。なぜなら、正義と悪を明らかにしておくことは決着をつける上で最も必要だから。
そして、この男は自分が光の中にいると思い込みたい典型的なクズ野郎だ。人の弱みに付け込んで食い物にするくせに、善人ぶりたいカス野郎だ。
ならば、この俺が闇の中に引っ張り込んでやる。俺は、正義の味方じゃねぇんだよ。
「部外者は黙ってろと言ったハズですよ、神父さん。何度も同じことを言わせないでください」
「き、貴様……っ」
そりゃ、言い返す言葉なんて浮かぶハズがない。
喧嘩など、所詮は場馴れすることでしか方法は身につかないのだから。こうした言い合いのボキャブラリーだって、普段からパターンや予測をしておかなければ思い浮かばないのだ。
お前は、今日までずっと言いなりになる女で身の回りを固めてきた。覚えている上品な雄弁は、所詮洗脳と支配のためのフレーズだ。斬り込むために振る武器としては三流以下、金と宝石の剣じゃ敵を殺すことなんて出来るワケがない。
場数が違うんだよ、ボケ。
「ですから、ミチルはこの教会で何が行われているのかを知っています。隠す必要はないんですよ」
「……そんなハズありません」
首を横に振り否定するミヨコさん。無表情は一挙に剥がれ、泣きそうなか細い声を絞り出している。
「えぇ、あなたはそう思うでしょう。なぜなら、あなたはミチルの誕生日を偽っていた。あなたからすれば、彼女が儀式に巻き込まれる理由など一つもないからです」
「ど、どういうこと?」
震えた声で、ミチルが聞く。
「忘れたのか? 鵜飼は、『凶報は四つ重なった』と言ったんだ。そして、俺の本当の年齢は18から19歳。ならば、俺の妹であるミチルも俺と同い年かそれに近い年齢のハズだ」
「それって……っ」
「つまり、お前は逃げ出すより1年前、既に12歳になっていた。ミヨコさんは、ミチルに物心がつくより前から神父に犯されないよう仕組んでいたんだ」
ただし、この推理には不可解な点がある。それは、なぜミヨコさんはミチルの歳を誤魔化す必要があったのか。もっと言えば、なぜたった一年間だけでも守る必要があったのかだ。
「しかし、これも考えてみれば当たり前のことでした。ミチルが実際の年齢で12歳になったとき、ミヨコさんは彼女を教会の外へ預ける算段が付いていた。そういう約束があったから、一年の時間稼ぎが必要だっただけです。違いますか?」
「……知りません」
「そして、託そうと思っていた相手は鵜飼トオル。他でもないミチルの父親です。あなたは、鵜飼の元へミチルを逃がそうと考えていたんです」
何を証拠に、そう突っ込まれる前に俺はミチルからスマホを借りて一枚の画像を表示した。
「気になっていたんですよ、なぜミチルがこの入れ墨の模様の画像を持っているのか」
「なにが、そんなに気になるんですか?」
「だって、意味が分からないじゃないですか。肉体ではなく写生したイラストの画像を。しかも、俺の画像の一つ前に保存しているんですから。奴とは生き別れ、しかも月野家で育った彼女が持っているのは明らかにおかしいです」
ミチルの話によれば、俺を探すときに使っていた写真は山川がSNSにあげたモノを保存したのだと言っていた。あれが撮られたのは梅雨の頃、つまり半年前にミチルは入れ墨のイラスト、もとい原画を手に入れたので間違いない。
「ならば、これを渡した人間が何者だったのかという話ですが。イラストが原画なワケですから、もちろん鵜飼の入れ墨を彫った彫師です」
「……ダメ、やめて」
「あなたは、ペナルティ活動中に唯一の繋がりである彫師とコンタクトを取り、ミチルがどこにいるのかを調べた」
「も、もういいです。私が悪かったんです」
「その時、あなたは予想外の展開に出会った。ミチルはとある金持ちの家に拾われて、レースクイーンとして活躍していた。あれだけ目立つ職業だ、見つける手段など幾らでもあったでしょう」
ミチルは、何を思っただろう。必死に俺を止めようとするミヨコさんの手に、優しく自分の手を重ねて制した。
「力いっぱい生きる娘の姿を目撃したあなたは、自分の存在を心から恥じた。自分には出来なかった自立を、若干16歳の娘が平気でこなしている。母親として、女として、その劣等感とはどれほどのモノだったでしょう」
「……っ」
「そして、自らを嫌う激しい憎悪の他にこうも思ったハズてす。『私は、決して娘の邪魔をしてはいけない』と」
半年前、ミチルと駅前で会ったことがあった。あの時、あいつは私服でトートバッグを持っていた。定かではないが、俺はあの時のミチルのお使いこそが彫師と出会った日であり、入れ墨の原画を手に入れた日だったのだと思う。
なぜなら、トートバッグで俺を軽く叩いたときに鳴った乾いた音。あれこそが、原画をいれた筒のようなモノの音だったからだ。
「だから、父親との生活もミチル自身の選択に任せた。彼女が父親を望んでいるならば、そのイラストだけで見つけられると信じた。答えを押し付けることは生き方を制限してしまうような気がして、だからヒントだけを与えることにしたのです」
「わ、私は……っ」
「なぁ、ミチル」
そして、俺はミチルの呪いを解く言葉を言った。
「お前のお母さんは、お前のことを恨んじゃいないよ」
当たり前だ。
本当は、心の底から怖かったハズだ。神父のことなんてミチルはとっくに克服している。白百合ヶ丘学院での出来事を、あっさり過去のことに出来てしまったミチルなのだから、こんな小者を恐れて膝を揺らしていたワケがない。
ならば、彼女が恐れていたこととはなにか。それは、見捨ててしまったミヨコさんからの恨みだ。
人が自らの幸せを喜べない理由など、結局は罪悪感でしかないのだから。彼女は恋に落ちるまでも、落ちてからだって『自分が幸せになっていいのか』と葛藤していた。
そう考えれば、彼女の今日までの生き方にも説明がつく。誰かに勇気を与える生き方を選んた理由も納得出来る。彼女の根本にある自己犠牲の精神が、彼女が自分自身を顧みない事情が、あらゆる要素が彼女の在り方を決定付けていた。
月野ミチルの一生物の後悔。それこそが、カケルを選んだことだったのだ。
「……高槻シンジくん、でしたよね」
「えぇ。なんでしょうか、ミヨコさん」
「ひょっとして、あなたにはなぜトオルさんが私とミチルを裏切ったのか分かっているのでしょうか」
「はい。あなたたちが教会へ来た理由ではなく、ミチルが12歳の頃の出来事と言うのならば。ですが」
聞かせて欲しいです。そう言って、彼女は俯いた。
「僕のせいですよ、ミヨコさん」
「……え?」
「僕が、鵜飼へ育ての親の借金を返しに行ってしまったから、あいつは僕をエラく気に入った。それさえなければ、約束は果たされていたでしょう」
そして、そうでなければミチルの人生はまったく別のモノになっていただろう。言い訳する気もないが、だからといって、それが彼女の幸せに繋がったとは思えないのが悲しいけれど。
すべて、俺のせいだ。
「……そうですか。あなた、ミチルのお兄ちゃんだったのですね」
俺に、鵜飼の面影を重ねているのだろうか。名残惜しそうに目を細め、一瞬だけ笑みを浮かべたように見えた。納得したというより、俺を信じたといった仕草だ。
やがて、彼女は静かに口を開く。
「おいで、ミチル」
「……うん」
氷が溶けた。
彼女は、鵜飼トオルを過去に出来たのだ。
「辛い思いさせてごめんね、ミチル」
「……うん」
「よく頑張ったね、本当に偉いよ」
「……うん」
「あなたは、たった一人で弟を守りきって立派に育った。私は、それが本当に誇らしいよ」
「……うん……うん」
ミヨコさんはミチルを、ミチルはミヨコさんを受け入れた。紆余曲折あったが、二人は互いの人生を認めた。俺が語るのはあまりにもおこがましい、二人にしか分からない障害を乗り越えたのだ。
「本当に……っ。本当に、弱い女でごめんね。ミチル」
「大丈夫だよ、お母さん」
月野ミチルには、母親が二人いる。
一人は、彼女を育ててくれた女性。もう一人は、彼女を産んでくれた女性。
彼女たちは、俺が尊敬すべき素晴らしい女性たちだと信じられた。
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