第14話
014
部屋に通された。
ここは、応接間だろうか。教会らしいといえばらしい装飾で、基本的には落ち着いたダークブラウンの木材と白い壁、白い陶器のオブジェクトで形作られている。壁の一部はステンドグラス、煙突と直結した暖炉、足の低いテーブルを挟んでソファが三脚。ドア側が二人掛け、奥側が一人掛け二脚だ。
俺はこれを見て、なんだか鵜飼の事務所の間取りに似ていると思った。もちろん、宗教団体だからといって金の匂いをさせるなというつもりは無いにしろ、稼ぐことが悪いと思っていないにしろ、教会という場所であるが故に商談を隠すつもりの無い構造には多少の辟易を思った。
まるで、一般人に迎合しているような気さえする。もちろん、ミチルの言う通りの儀式が行われているような汚れた場所に何か神秘的な趣を期待する方が間違っているのかもしれないが。
「気に入らないな」
思わず口にしてしまった。そして、そんなことを平気で言う俺を見て何を思ったのか、チサト先輩は再び嫉妬の籠もった瞳でミチルを見つめた。
「間もなく、ミヨコさんがいらっしゃいます。しばしお待ちを」
ミヨコ、それがミチルの母親の名前か。
「お構いなく」
返事をしても、俺へ向ける目はただ悲しいだけ。戦うことを止め、羨むような視線だった。
女の敵は女、という言葉がこれ程似合うシーンも珍しい。勝手にやって来て悪態をついて、そして今からロクでもないことをやらかそうというのは、ミチルでなく俺ということくらいチサト先輩にも分かっていることだろうに。
彼女の怒りの矛先は、決して俺へ向けられない。しかし、ミチルは彼女に何を言うわけでもなく、ただ正気を保つように歯を食いしばっていた。
……まぁ、何も言えるワケがないよな。
彼女はきっと、お前の初めての友達であり。そして、お前が友愛を求めるきっかけとなったはじまりの人なのだから。
「いや、待たせてしまってごめんね。えっと、高槻くんだったかな」
言いながら扉を開けて部屋へ入ってきたのは、白髪を綺麗に整え肌艶もいい、紳士的な壮年の神父だった。その姿は神様へ向けるモノとして正しいだろうし、キャソックと大仰な白い十字架を首から下げ聖書を手にしているのだから神父で間違いない。
しかし、なぜ手に聖書を持って現れたのだろう。そんなあからさまなキャラ付けをしなくとも、高校生ともなればどんな職業なのかある程度知っているというのに。
「……っ」
瞬間、ミチルが目を逸らした。神父の姿からではない。母親の姿を見たからでもない。見たのはもっと局所的、ただ一部に何かを思い出してとっさに反応してしまったといったところだ。
改めて神父を見る。彼の持っている聖書、よく見ると角のところがべコリと大きく潰れている。何かに思い切りぶつけたような、
「この本を見るたびに、君のかわいい顔を思い出していたよ。ミチル。今日はどうした、ようやく謝罪に赴く気になったのかな?」
……洒落にならないキモさだと思った。
前提として俺は暴力が苦手だし嫌いだし、ミチルの方法が唯一の正解だったとは思えないが、それにしたって嫌な責め方だ。たかが12歳だった少女の力無い一撃に、例え驚いて蹌踉めいてしまったのだとしても、ここまで根に持ち掘り返すだなんて余りにも器が小さいのではないだろうか。
お呼び立てしたミヨコさんを差し置いて出しゃばる性格といい、男として軽蔑に値するには充分過ぎる発言といい、余裕を演じるニヤついた笑みといい。
俺は、この男が嫌いだ。
「君のせいで、わたしは頭に大きな傷を負った。君の母親も重大なペナルティを背負う羽目になったよ。本当はこんな事を言いたくないんだけれどね、償いをしてくれないとバランスが取れないんだ」
「そ、それは……」
「聖歌隊で歌を歌い、教会での活動に貢献していた。それで充分でしょう」
しかし、大丈夫だ。
俺は落ち着いているし、ミチルだって落ち着いている。こんな見た目だけ紳士の子供みたいな男に、俺たちが目くじらを立てて張り合う必要はない。
それに、過去の件に敢えて勝敗をつけるならミチルは勝っている。何も恐れるような必要はないのだ。
「知ったようなことを言わないでいてくれるかな、わたしはミチルと話しているんだよ」
「それはこちらのセリフです。そもそも、僕らはあなたのことを呼んでいません」
「……なに?」
「僕らは、ミヨコさんと話しに来たんです。監督者として同席するのは構いませんが、部外者が私的な用事で彼女に話しかけることはやめていただきたい」
「高槻さん、神父様にそれは――」
チサト先輩が言い出した刹那、俺は彼女に右手を伸ばし人差し指を向けてストップをかけた。これ以上、俺たちの恋路をメチャクチャにしないでいただきたいからだ。
「この場へ呼んでいない人間は喋らないでください。俺は、そんなに難しいことを言っているつもりはありません」
……黙ったか?
黙ったみたいだ。
「ミチル、お前の出番だ」
「うん。久しぶりだね、お母さん」
「……そうだね。久しぶり、ミチル」
二人は、ぎごちないながらに話をした。別に感動の再会というワケではないらしく、感傷的な反応も見せない。この母娘には互いに大した思い入れもないのだろうか。ただ普通に、ごく自然に、二人は最近の調子や簡単な世間話だけを繰り広げた。
娘がどうやって生きてきたのか気にならない母親と、母親がどんなペナルティを受けたのか気にならない娘。冷めている関係どころか、冷める温度もないような関係、と言ったところだろうか。
つまり、無関心。
彼女たちは、決して過去を振り返らない。そして、一様に気にする態度をとらないところが、この二人が母娘であることを確かに表しているような気がした。
……ただ、あまりにも寂しいな。
「――だから、私のことを教えて欲しいの。私は、間違いなく鵜飼トオルの娘なのかな」
すると、ミヨコさんは深く息を吐いてから静かに言った。
「間違いないよ。だって、私は彼しか男を知らないから」
この教会には儀式があるというのに、実にくだらない嘘をつくモノだと思ったが、すぐにその考えは掻き消した。何故なら、彼女がそう答えたときの神父の顔が酷く歪んでいたからだ。
……理由を、少し考えてみる。
つまり、これは教会の儀式が表に出ないようにするための嘘。ならば、さっきから続いているミヨコさんとの会話もきっと、すべてが神父に操作された偽りの会話だった。この場に俺という部外者がいる以上、一つを偽るなら皿まで偽るのが当然だからな。
そういえば、ミチルは嘘が上手いんだった。本当はワガママで熱血なクセに、大事なモノを守るためなら平気で嘘をついて。辛い素振りも決して見せないで、おまけに学校中を騙してアイドルを演じていたのだから。
……彼女は。
ミヨコさんは、そんなミチルの母親だ。
「もう、ウンザリだ」
「な、何がですか?」
俺の呟きに反応したのは、意外なことにミヨコさんだった。真っ先に反応するということは、怯えているということ。誰よりも気を張って、気を付けているからこそ咄嗟に反応が出るのだ。
その平静を装った姿の下に、神父への恐怖を隠している。事前に言われたことを守り、綻ばないように努めている。
……俺に助けを求める人間は、必ずこの目をしている。
自分だけじゃ何ともならなくて、けれど間違っていることは自覚していて、もうどうしていいのかが分からないといった目。戦わなければいけないのに、戦い方が分からない。そんな自分が大嫌いで、その苦しみが滲んだ目だ。
山川は言っていた。
「高槻くん。キミ、失礼じゃないか?」
……なら、俺は助けるよ。
「シンジくん?」
だって、それが俺の存在証明だから。
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