第13話

 013



 結論から言えば、カケルの母親から俺とミチルの血縁に関する話を聞くことはほとんど出来なかった。



 彼女の話によれば、奴に自分以外の女の影を見ることが無かったとのこと。そして、俺の母親、つまり彼女の姉は間違いなく奴と子供を作ったこと。それから、俺を産んですぐに死んでしまったこと。その墓は現在北海道にあること。ミチルの母親と直接の面識は無いとのことだった。



 しかし、その中でも興味深かったのは次の文言だ。



「トオルさんに気に入られようとして、子供を作るためにワケ分からないことやらかしてた子も結構いたらしいよ」



 ワケの分からないこととは、即ち奴との本当の子供か不明な命を身に宿すということだ。果たして金か、それとも奴の素の魅力なのだろうか。とにかく、その為に尋常ではない手段に身をやつす女も少なからずいたらしい。



「昔からそういう女を見てきたから、もう慣れっこだとは言ってたけどね。多分、色んなモノにウンザリして、けれどプライドがナメられることを許さなくて。いつのまにか時間が経って段々とおじさんになって、たまたま最後にあたしと会ったからあたしで落ち着いたんじゃないかしら」



 小学生の頃ならまだしも、今となってはモテる男とは程遠い俺には理解しかねる状況だ。晴田、お前ならば鵜飼の気持ちが分かったりするのだろうか。



「カケルの母親、凄く綺麗な人だったね」

「あぁ」

「昔はなにやってたんだろ、東京に居たならOLさんかな。それとも、普通に営業かな」

「どうだろうな」

「モデルさんとか、有名なキャバ嬢とか、何をやっててもおかしくない人だったね。私の次に美人だったよ、私の次にね」

「そうだな」



 希望が一つ潰えたせいか、ミチルは無理矢理に明るく話をしようとした。何だかんだ言って、挑戦が失敗に終わる経験が彼女には足りていないみたいだ。



「安心しろ、まだ終わってない。次に調べるべき場所もある」

「……ほっ」



 あからさまな反応だった。表情がコロコロ変わるのは見ていて楽しいが、果たして俺は妹に対しても同じことを思うのだろうか。

 怒らせたり驚かせたり、泣かせたり……は見たくないが。色んな表情を見てみたいというのは、どんなふうに感情を見せてくれるのか知りたいというのは、家族にも思うことなのだろうか。



 そして、それが漠然と違うような気がしているのはなぜだろうか。



「ただ、お前にとっては辛い場所かもしれない。行きたくなければ町家に戻ったらいい」

「バカなこと言わないで、シンジくんと一緒じゃなきゃ帰らない。……でも、どこに行くの?」

「ミチルが育った教会だ」



 ここから町家方面に向かって、今度は島中湖の反対側へバイパスを真っ直ぐに向かう。道中、少しだけ背の高いビルが増え空が狭くなったかと思えば、すぐに山々と野っ原と平屋が疎らに並ぶだけの田舎となった。



 バスに乗っている間、ミチルは俺の手を握って離さなかった。力強く握って、しかし俺とは目を合わさずに窓から青空ばかり眺めている。

 俺の手の冷たさは、とっくにミチルの体温に絆されている。かじかまない指先など、一体いつ以来の感覚だろう。



「次のバス停だよ」



 促されてバスを降りた。時刻は15時、太陽は既に西側へ傾いている。



 一見してそれなりの規模の都市だが、どうにも物寂しい雰囲気だ。何故だろうと考えて近くの商店街を覗いてみたが。理由は明白、ほとんどの店にシャッターが下りている。



「なるほど」



 恐らく、近くに大型のショッピングモールが出来ていて、そっちに客を取られてしまったということだろう。違和感の正体は物音の少なさだった。この街は、人の気配があまりにも少ないのだ。



 ここはゴーストタウンだ。きっと日本中に点在する、過去に取り残されたままの忘れられた街。



「昔ね、一回だけここのお肉屋さんでコロッケを買ったんだよ。給仕のおばさんが腰を悪くして、チサトちゃんと二人でお使いに来たとき買い食いしたの」

「いい思い出もあるんだな」

「別に全部が悪いことってワケじゃなかったんだよ。歌を歌うのは嫌いじゃなかったし、みんなの注目を集めても恥ずかしがらずに済んでるのはその経験のお陰だもん」



 しかし、言っていて気が付いたようだ。彼女は母親だけでなく、そのチサト先輩とやらのことも見捨ててしまっていることに。



「絶対に謝るなよ」

「……え?」

「お前は何も悪いことなんてしてないし間違ってもいなかった。だから、母親にも先輩にも罪悪感を抱くなんて必要はないんだ」

「でも、私はみんなのこと――」



 俺は、有無を言わせずミチルを抱き締めた。説得するよりも手っ取り早く、きっと俺には許されている方法。そして何よりも、俺がこうして励ましてやりたかったからだ。



「大丈夫、お前は悪くない。それに、俺がついてる」



 数秒経って体を離すと、ミチルは顔を真っ赤にして固まっていた。それどころか、俺が目を見つめると「うぅ……」と小さく唸り、静かに目を瞑って覚悟を決めるように上を向いた。



 あ、ありえねぇ。



「いいよ、シンジくん……っ」



 ミチルは、キスを待っていた。



「そういう場合じゃねぇだろ!!」



 チョップで脳天を弾くと、「いてて」と呟き先を早足で歩く俺の後ろをトボトボとついてきた。脈略的にどう考えたって、イチャイチャするシーンではなく勇気付けのシリアスなシーンだっただろうに。



「だって、超カッコよかったんだもん」



 そりゃどうも、素直に喜べねぇけど。



「あぁ、ここなんだなぁ、意外な展開だなぁ。って思っちゃった。人がいないとはいえ、昼間の商店街のど真ん中でなんて大胆だなぁ。とも」

「とも、じゃねぇよ! アホ!」



 呆れてモノも言えず、セーターの裾を伸ばしてから身を縮めポケットに手を突っ込む。山の麓はからっ風が厳しい、なるべく建物の陰に隠れて寒さをやり過ごそう。



「ホッカイロ、コンビニで買ってきたの。貸してあげるね」



 コートと交換のつもりだろうか、ミチルが俺の首筋にポンとカイロを置いた。彼女が寒い思いをするくらいなら要らないと思ったが、拒否して寂しがられる方がよっぽど嫌だったからありがたく借りることにした。



「サンキュー」



 しばらく歩き、俺たちは郊外の丘までやってきた。蛇のようにグネグネと歪む道の先に、青いトンガリ屋根と白いレンガの建物が立っている。頂点には聖なる十字架、あれがミチルの育った教会で間違いは無さそうだ。



「大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

「怖くないか?」

「うん、怖くない」



 ……嘘つけ。



 膝、めちゃくちゃ震えてるじゃねぇかよ。



「それじゃ、行こうか」

「うん」



 確認を済ませると、俺はミチルの頭を撫でてから教会のベルを鳴らした。中から出てきたのは一人の少女、年頃は俺たちと同じで修道服を着ている。



「どちらさまでしょうか」

「高槻シンジと申します、こちらは月野ミチルです」

「……ミチル?」



 その反応から察することの出来ないほど愚かな俺ではない。彼女はきっと、昔のミチルを知っている。なんなら、かなり親しかった間柄だろう。ハッとして思いを巡らす程度の関係だったのだろう。



 つまり、彼女の正体は――。



「チサト……ちゃん?」



 運命の女神は、ご都合主義を許さない。知らないところで勝手に救われているだなんて、そんな展開は認めない。



 ミチルが捨てた古巣には、今でも暗雲が立ち込めている。ミチルを見る修道女の暗い目が羨望と嫉妬に燃え、現在にまで続く惨状の絶望を痛いくらいに物語っている。同じ場所で育ったハズのミチルを認められず、『なぜお前だけが』と叫んで哭いている。



 ここは悪魔の巣窟だ。グロテスクで腐りきった習慣が白蛇のように女たちに絡みつき、縛って決して離さない狂った地獄。無知を糾せず、怠惰を弾じない、一度嵌まれば抜け出すことの出来ぬ甘い毒が溜まった釜の底。



 即ち、ハーレム。俺が忌み嫌い憎み尽くしている、一人の男と多数の女の爛れた模様がここにはある。



 ……俺は、静かにミチルの前で立ちはだかる。



 きっと、ここで決着がつく。何故か、そんな予感があった。

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