第12話

 012



「あら、フリーターじゃない。葬儀の手伝いをしてくれた礼は済んでるハズだけど?」



 鵜飼さんの妻。



 いや、カノジョか愛人か同居人か、関係性はイマイチ分かっていないけど。とにかく、彼女は数日前に会いに来たのと同じように、エントランスに設置されているオートロックのインターホンからぶっきらぼうな声を返した。



「お話したいことがあります。不躾なお願いですが、また中に入れてもらえないでしょうか」

「なに言い出すのよ、嫌に決まってるでしょ。今、あたしは落ち込んでるんだから」



 想像通りの性格の人だ。建前を使わずに自分の気持ちだけで会話をしていて気持ちがいい。こういう人には、回りくどい策を練らないほうがいいことを俺は雲井の件で嫌と言うほど学んでいた。



「知っています。ですが、僕たちにはあなたの息子さんの兄妹として聞きたいことがあるのです」



 10秒くらい経っただろうか。静かな大理石のホールに痛いくらいの沈黙が続いたあと、クリアガラスの自動ドアは無機質なモーター音を鳴らして両開きに道を開いた。



「入れば」



 入室して開口一番、ミチルは彼女にシャワーを借りたいと願い出た。いきなり何を言い出すんだと思いはしたが、女子的には何よりも大事なエチケットなのかもしれないと考え口を挟むことはやめた。



「どういう事情?」

「実は、昨日の朝から家に帰れず体がベタついてるんです。潮風に吹かれたから髪だってパサパサです。このままでは、私はカケルのお母さんと不潔なままで話すことになりそうです。あぁ、申し訳無さ過ぎてどうしよう。目上の方の前で無様を晒すのは女として本望ではありませんのに」



 ……ワザとらしい。



「そう、好きにしなよ」

「ありがとうございます、それではお言葉に甘えて」



 カケルの母は、俺の顔を見て呆れたようにため息をつくとタバコに火をつけダイニングテーブルの一席に座った。その内心には同感だ。もしかすると、俺と彼女の性格は似ているんじゃないかと思った。



 大方「あんたの気持ちは女としてよく分かるし、これ以上相手をするのも面倒だ」とでも感じたのだろう。一方で俺は、一日くらいならセーフと考え小さく頭を下げてから彼女の目の前に座る。



 手っ取り早い解決方法を選ぶ彼女のやり方が、俺は存外嫌いではなかった。



「んで、あたしの息子。カケルっていうの?」

「えぇ、あなたがどう呼んでいたのかは知りませんが。僕たちはそう呼んでいます」

「シンジよ」



 ……なに?



「あの子の本当の名前はシンジ。教会へ行かせるまで、私たちはそう呼んでた」



 俺は、あの男の想像以上のイカれっぷりにド肝を抜かれていた。奴が告白の際『やっぱり』と言っていた通り、俺がトリカイローンへ金を持っていくより前から俺のことを知っていたのだ。



 だが、考えてみれば当然だ。



 俺が借金を返すつもりになったのは、取り立てのダイレクトメールが発端だったのだから、亡くなった婆ちゃんの元へわざわざ送ったという時点であいつが同居人の存在を知っていたことは疑いようもない。



 俺が奴と会ったことを忘れていたのか、はたまた向こうが一方的に知っていたのか。いずれにせよ、それほど狂ったように俺を愛していたのに、あいつは少しも気取られることなく振る舞っていたということだ。



 ……形容する言葉が見つからねぇよ、クソ野郎。



「3年くらいかな。一緒に生活して、シンジが会話を覚えてしばらく経った頃『こいつは違う』って呟いたっきり、それまでのトオルさんとは思えないくらい子供への興味を失ったみたいでね。辛かったけど、あたしにとって一番大切なのは子供じゃなくてトオルさんだったし、彼に捨てられたら育てていける自信も無くて預けちゃったの」

「そうですか」

「どう? シンジ、元気にしてる?」



 落ち着け。



 俺に母親などいない。彼女は、俺のことを言っているワケではない。そして、今更この程度の無責任に腹を立てている場合でもない。



 俺は冷静だ、やるべきことをやらなければなるまい。



「えぇ、元気ですよ。僕の兄弟とは思えないくらい明るくて真っ直ぐな奴に育ってます」

「ふぅん、そう。なら、あたしの元を離れたのは正解だったワケね」

「それは結果論です。あなたの元で育ったのなら、あいつは別の正解に行き着いていたと思います。言わせてもらいますが、それは罪の意識から逃れているだけです」



 落ち着けっての。



「……でも、いずれにせよシンジはあんたみたいにはならなかった。そうでしょ?」



 何の迷いもなく、苦しみもなく、かと言って嫌味もなく彼女は言った。



 どうやら、俺の反応でなぜ親父がカケルに『シンジ』という名前を付けたのか理解したらしい。努めて平穏に振る舞ったつもりだったが、どうにも母親という生き物は騙し難い。



 確か、彼女も俺の顔を見て『どこかで会ったか』と疑っていた。ならば、あの時からすでに正体に気づいていたのかもしれない。



「カケルと会いたいと思わないんですか?」

「別に、会ったって何を言ってあげればいいのか分からないし。教会だって、あんたやあんたの妹を見れば私よりマシな場所だって思うし」

「……そうですか」 



 今の言葉、ミチルが聞いていなくてよかったと心から思った。当たり前だが、彼女は本当に何も知らないらしく、ミチルの過去どころか俺が教会の出身だと思っている。



 しかし、俺はミチルとカケルの苦しかった過去を逃げた母親に説明してやる気などない。だから、生返事だけでこの話を終わらせた。カケルに会う気もないというのに、説明してやる義理など一つも見つからないからな。



「トオルさんは、あんたの代わりを求めたのね。道理で私が選ばれたワケだわ」

「どういう意味ですか?」

「じゃあ、どういう意味だと思う?」



 試されるとは予想外だが、一考の余地はある。即ち、奴が彼女に俺の代わりを産むことを求めたのなら、彼女にもまた俺の母親の代わりとなり得る価値があるということに他ならないからだ。



 俺の代わりに愛そうとした、俺の代わりに育てようとした。その行為にどんな意図があったのかは考えたくもないが、あいつが他の兄妹の存在も知っている以上少なくとも罪の意識が動力というワケでもないだろう。



 それに、奴が俺の何をそこまで愛したのか分からないが、似るモノを欲しがっていたことは間違いない。ならば、人として、人だからこそ、その方法でしか似たようなモノを生まれ持つ人間など作ることが出来ないのだから。



「つまり、あなたが僕の母親の妹だからですね」

「……なるほど。トオルさんがあんたを愛してやまなかった理由が分かった」



 そして、同時に理解した。俺の母親は既に――。



「あんたのこと、この世で一番嫌いだわ」



 ……その目には、憎しみが込められていた。やり場のない、八ツ当てようのない、どうしようもない怒りが俺を突き刺していた。今までに見たことのない、冷たくて鋭い怒りだ。俺のことなど一生許せない、そんな意図をヒシヒシと感じる視線だった。



「極悪人だって、見る人間が違えば恩人です。誰にでも悪い奴なんていない。そこのところは、僕も理解しているつもりです」

「知ったようなこと言うじゃない」

「知ったような、ではありません。僕は知っているんです」

「随分と傲慢ね。それとも、悲劇を気取った自意識過剰なワケ?」

「いいえ、他のことは何も知りません。僕はたまたま、唯一それのみを知ってるだけです」



 すると、彼女は俺を睨みつけたまま泣いたが、ハンカチを貸してやるようなマネは決してしなかった。



「姉さんのことも大嫌いだった。あんたみたいに、何でも知ってるくせに何も知らないフリをして。同じ目線に立って、優しく諭すようにして。本当は、あたしみたいな頭の悪い人間なんて軽蔑してるクセに」



 俺は、黙って彼女の話を聞くことにした。



「バカにだって、見下されてることくらい分かるのよ。わざわざ知能のレベルを下げて、無理して話を合わせてくれてるってこともね。でも、そんな心遣いは劣等感を逆撫でするだけ」



 あなたがそう感じているだけだ。そう言いかけて、俺は文字通り言葉の通じない人間を見下していた過去の自分を思い出し言い訳を掻き消す。



「トオルさんは、そんなあたしを救ってくれた。バカはバカなりに、バカのまま使い道があると教えてくれたの。あたしみたいな人間に自分の使い方を分からせてくれる人は、あぁいう人しかいないのよ」

「僕には、あなたと僕にそこまで違いがあるとは思えませんが」

「だから、そういう本気の優しさがムカつくのよ。あんた、多分あたしよりよっぽど酷い目にあって、辛い目と戦ってきたんでしょ。それくらい分かるわ。そのクセして、穏やかにしているのだって分かるわ。でも……」



 だからこそ、人は勝手に助かるだけだなんて。そんな、人の孤独と自立を信じるような言葉がまやかしであることを知っている。



「人助けは、確実に存在する。助けが必要なのは助けられなきゃ助からない人間で、他に助けられなくても自分で勝手に助かる人がいるだけ。孤独なんて感じる必要のない場所で生きている人がいる、孤独を何とも思わない人だっている。孤立して人知れず死ぬ人もいるし、たった一人で勝ち残るあんたみたいな人だっている。世の中には色んな人がいて、本当に不公平で……」



 だから、選ばれた人間が才能に無自覚でいることが心の底から許せない。



「……今の話は、心に留めておきますよ」



 奴が死んで、何一つ決着をつけられなかった俺だから。姉が死んで、何一つ決着をつけられない彼女の気持ちが痛いくらいに分かった。



「えぇ、そうしてちょうだい。それでこそ、あたしのクソみたいな人生が浮かばれる」



 ならば、奴の忘れ形見である俺が彼女の憎しみを背負ったっていいだろう。それが奴への弔いであり、彼女への手向けだ。歪な形の親孝行だ。それをする為に、きっと俺はここへ訪れたのだ。



 他に思ったことは、特に有りもしなかった。



「お待たせしました。お風呂、ありがとうございました」

「……ふふっ、気にしないで」



 反面、入浴を済ませ合流した湯気のたつミチルへ向ける表情は幾らか柔和なモノだ。年相応への反応というか、ちゃんと高校生に対する大人の対応といったところだ。



 もしかすると、俺たちが聞きたいことに遺恨なく答えようとして、ヘイトを俺に集めミチルと不自由なく会話出来るように下準備をしたのではないだろうか。



 その気遣いが優しさでなければ、他の一体なんなのだろう。彼女もまた、出会う人間が違っていれば、少しでも運が良ければ、そんなふうに自分を嫌いにならず済んだだろうに。



 やはり、彼女と俺は似ている。



 彼女が親父に選ばれた理由も、きっとそれなのだろう。

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