第11話

 011



 ミチルから、すべてを聞き終わった頃。



 日が昇り始めたから、店員が清掃を始める前に牛丼屋を出た。水平線から直接差し込む朝の光と、まだ人に触れていない新鮮で冷たい空気が体を包む。



 彼女の話を聞いて、俺はミチルを説得することなんて無理だと改めて知った。彼女の俺への思い入れっぷりなど、いや、有り体に言ってしまうが俺を好き過ぎる気持ちを鑑みれば、俺自身か、或いは世界を騙す方が幾分か楽な道だと思ったくらいだ。



 仕方あるまい。



 ならば、最後の最後まで抗ってみよう。ミチルはまだしも、出生登録すらされていなかった俺の問題とは法律や倫理観の話ではないのだから。俺が俺を、納得させる。そのための方法を探して、俺自身へ突き付けるのが最善だ。



 ずっと、そうやって人を助けてきた。もしかすると、それらすべての経験は今日のための予行練習だったのかもしれないな。



「つまり、私たちが互いに思う気持ちを兄妹間のモノではないと証明することが出来ればいいんだよね」

「その通りだ、何かいい方法が思い浮かんだのか?」

「うぅん、全然。そもそも、人が人を想う気持ちに明確な線引なんてないもん。他人同士だって『これは何となく恋かな? こっちは友情かな?』って曖昧に決めてるだろうし」



 曖昧か。あまり、好きな言葉じゃないな。



「でも、異性間の考え方なんてそれでしかないよ。尊敬とか、同情とか、そういう色んなモノを内包した大枠の名前が『恋』なんだと思うなぁ」



 概ね同意だが、ミチルの言葉は単に俺たちの問題を浮き彫りにしたに過ぎない。



「他人同士なら心配すべき事柄、例えば浮気や喧嘩別れなんかを血の繋がりで気にせずいられてしまうことがアンフェアなんだろ。この際、愛だの恋だのの定義に大した意味はない」



 むぅ、と唸るとミチルは距離を縮めて肩を押し当てる。あまりにも近過ぎて歩きにくいったらありゃしない。



「離れろよ、暫定的には妹なんだから」

「別にいいでしょ、迷惑料だよ」

「いや、だから――」



 その刹那、脳裏を掠める。ミチルの話の中にあった微かな違和感。言うなれば、公的な証明材料がないからこその確信と、俺たちの関係がまだ人伝と直感に基づくモノでしか無いという事実の間に揺れる人物。



 思い出したのは、親父のクソったれなハーレムに依存していたハズの明らかなイレギュラーの存在だった。



「カケルの母親。あの人だけが、親父に選ばれて一緒に暮らしていた。ハーレムの主で一人を選ぶのなんて嫌だと宣った親父が、今際に抱えていた理由はなんだ?」

「さぁ、一番若いからじゃないの?」



 頭を捻る素振りもなく、簡潔に述べるミチル。どうやら、親父のことは考察するのも嫌なくらい嫌っているようだ。



「どうだろう。化粧で分からなかったが、あの人は少なくとも20代後半だった。横暴な金持ちが女を若いと称するには少し行き過ぎてるだろ」

「世間的にはさておき、金持ち的にはそうかもね」

「ならば、カケルを産んでから7年も経っているのになぜ捨てられていなかったんだ? 別の女を侍らせていても、仮にあの人がファーストレディ的な立ち位置だったとしても、そもそも抱える責任を負うこと自体が鵜飼トオルという男に矛盾しているのに」



 希望と呼ぶには、明らかに足りていない些末な要素。しかし、俺がミチルを愛している以上調べずにはいられない。恋愛だろうが家族愛だろうが、彼女には永遠に幸せでいて欲しい。それだけは揺るがない事実だ。



 そして何よりも、この物語こそ高槻シンジが『俺の中の真実』を追い求め続けた結末なのだから。これを曖昧なままにしておくのは、絶対に間違っているだろう、



「もしかして、私たちが兄妹じゃない可能性があるってこと?」

「親父はミチルのことを調べて、確かに俺の妹だと言ってたから望みは薄いけどさ。俺は元より人の言ったことを鵜呑みにするような純粋な性格なんてしてねぇし、俺たちには必要なことだろ」



 しかし、あいつは公的な証拠のない俺の何を調べたのだろうか。その筋を俺も知ることが出来れば、まだ望みが生まれるのだが。



「んふふ。何でも疑ってかかるもんね、シンジくんは」

「猜疑心は、愚か者に残された最後の処世術だよ」



 言うと、ミチルは羨むように俺を見上げた。いや、慰めるようにだろうか。とにかく、羨望と同情は紙一重なんじゃないかと思うような表情だった。



「愚かじゃないよ。だって、あなたは本当になんでも疑うんだもん。悪いことだけじゃなくて、自分にとって善いことも」

「都合のいいことが勝手に起こらないと知ってるだけさ」

「残念だけど起こる人もいるよ、シンジくんが不幸なだけ」



 イタズラに笑う彼女の額を「コンニャロ」と拳で軽く小突いた。下唇を噛んではにかみ誂う表情が、俺のことを本当に心強く思ってくれているのだと分かった。

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