第10話

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 色々と言い訳して、自分を納得させることは出来る。もっと言えば、血縁であることを包み隠すくらい大いなる心を主張し、本音をでっち上げ自分を騙すことが俺には可能だと思う。



 けれど、当然ながら俺たちの関係を正当化するためには嘘が必要になる。そんなモノが介在する恋愛を、果たして純粋と呼べるのだろうか。



 彼女がどれだけ俺を思おうが、俺がどれだけ彼女を思おうが、他人でないことがあまりにも巨大な壁として聳えている。彼女を想うことが当たり前である関係が、茫漠とした時間のように立ちはだかっている。



 この矛盾を無視できるほど、俺は器用な人間ではなかった。



 ……こんな話はどうだろうか。



 例えば、本人が幸せだからといってそれが幸せなモノだとは限らないと俺は思うのだ。何故なら、自己満足さえあれば救われるというのなら、自己満足に狂った俺の結末に整合性が取れないからだ。



 ミチルの育った環境も、きっとそうだった。



 傍から見れば明らかに異常な光景の中、彼女だけが正気を保っていた。この場合、悪意に立ち向かい苦しみに藻掛くミチルと、食い物にされていることにすら気付かない人間たちと、果たしてどちらが不幸だっただろうか。



 相対的な答えを出すのなら、俺はミチルの方が幸せだったと思う。気がついているということは、選べるということだ。悪かろうが正しかろうが、自分の行動を自分で決められるということに意味がある。幸せとは、還元していけば選ぶ権利のことを言うのだ。



「だが、兄は妹を選べないし、妹だって兄を選べはしない。そんなこと分かってるだろ」

「でも、絶対に嫌だ。何度だって言うけど私は絶対に認めない」

「……そうかい」

「根負けはしないし、諦めもしない。シンジくんと一緒じゃなきゃ幸せになんてならない。ここから、あなたを一人で帰したりなんて絶対にしないんだから」



 泣き腫らした目のままでミチルは強く言う。離れようとする俺の手を決して離さず、力強く握っている。分かってる。正しいことを選べば誰も幸せにならないことも、間違いがすべてを丸く収めてくれることも。



 それでも、妹なのだ。



 どうしようもなく、疑いようもなく、成す術もない。何度も俺を襲った庇護欲が、恋愛感情でなかったことを証明している。何よりも、すべてが明らかになったことで俺が悩んでしまってる。



 悩んだということは、疑っている。何よりも重要視するべきだと考えている心を裏切ったまま形にすれば、すべての根っこの部分が確実に間違いのないモノでなければ、その上に積み重ねてもまた崩れてしまうかもしれない。



 それは、俺の求めた一途ではない。そして、一途でないことなど俺が許せるハズもない。



「関係ない。大好きだから恋人になりたい。私は、ただそれだけなの」



 引き剥がせずウダウダしている俺は女々しいと思う。他人に聞いた話ならば、気にしなければいいと説得するとも思う。今日までみたいにスパッと決めて、ダメなモノはダメなのだと消え去ればいいと本気で思う。



 しかし、問題はここだ。俺は、ミチルを見捨ててこの場を離れることが出来ず。かと言って、何も気にせず手を握ることもせずにいる。



 ならば。



 恋愛が理性を超えていないという矛盾。俺は、そんな絶望に抗っている最中なのかもしれないな。



 ……。



「じゃあ、少し考えようか」

「え……っ?」



 引き伸ばしたゴムのように強張っていた体に、突如として雷が貫いたようなミチルの表情。



「考えよう、今日までずっとそうやって生きてきた。なら、最後に俺が縋れるのは思考だけだろ」

「私を帰すための方法?」

「違う」

「私に嫌われるための方法?」

「違う」



 トボけたミチルの頭に手を置いて立ち上がると、堤防の下に落ちたコートを拾って固まったままの彼女に手招きをした。どうせ、俺にはこいつから走って逃げるだけの体力なんて無いのだから、このままフェードアウトだって無理だ。



 コートのポケットからハンカチを取り出して、やって来たミチルに渡してから再び肩に掛けてやる。彼女はゴシゴシと不細工に涙を拭ってから、手を交差させコートを掴み少し早足で俺の隣に並んだ。



「どうして、急にそんな気になってくれたの?」

「だって、絶対に諦めないんだろ?」

「う、うん」

「なら、説得したって無駄じゃんかよ。まったく、こんなに頑固で強情なヒロインなんて見たことねぇよ」

「ん、んふふ。それほどでも……」

「何もかも捨てて離れるなんて、ありきたりな展開にしようと思ってたのによ。まったく、せっかくの悲劇が台無しだ」



 ミチルの今日初めて見せた笑顔に、俺はため息で返事をした。今はまだ、誰について考えるか、何について考えるか、どういうふうに考えるかも分からないが。ましてや、考えついた方法を実践出来るかも、やったところで好転するのかもサッパリだが。



「飯でも食いに行くか」



 とりあえず前を向こう。へこたれて立ち止まったって、どうせ誰も助けちゃくれない。ならば、まだ先の分からない暗闇に手を突っ込むほうがよっぽど希望もあるさ。



「うんっ」



 街まで歩いて入ったのは、24時間営業の牛丼屋。俺はなるべく金を使わないように、そしてミチルは持ち合わせがなかったので並盛を二つ注文した。



 牛丼は好きだ。食べていると、幸せな気分になれる。



「それにしても、女子高生がこんな時間に一人で歩いてたら危ないだろ。巻き込まれてからじゃ遅いんだぞ」

「シンジくんが私のこと捨てようとするからいけないんでしょ? 私のせいじゃないもん」

「……人聞き悪いな」

「というか、学校も辞めたしお家も無いのにどうするつもりだったのよ」

「どうするつもりだったんだろうな、奴が死んで自暴自棄になってたから自分でも分からん」



 ミチルは何かを言いかけて口を閉ざした。あの男の悪口でも言おうと思ったんだろうけど、俺が嫌いになれていないのが分かってしまったといったところか。



「私たちの父親って、どんな人だったの?」

「無責任でロクデナシ。でも、かっこよさはピカイチ」

「かっこいいって、そんなワケないよ。私たちに酷いことするような大人がかっこいいワケない」

「個人的な感想を言えば本質は俺と何も変わらない。自分が生きていていいと思えることを、ひたすらに追いかけてただけなんだよ」



 ……今のは失言だったな。なんか、変に庇ったみたいになってしまった。



「まぁ、クズだったことには変わりない。そのお陰で、俺たちはえらい迷惑を被ってるワケだし。死んで当然といえば当然だ、同情もしてねぇよ」



 すると、ミチルは安心してから届いた牛丼をモグモグと食べた。美少女と牛丼のミスマッチ感は、個人的にとても有りな組み合わせだと思った。店の奥では留学生だろうか、牛丼を持ってきてくれた東南アジア系の店員がイヤホンを耳につけスマホを見ている。



 誰に聞かれる心配もない。申し訳ないが、朝が来るまでここで寒さを凌がせてもらおう。



「でも、どうにかなるモノなの? これって、要するにシンジくんの気持ちの問題だと思うんだけど」

「ケジメの問題だよ。好きってだけで一緒にいるには、俺は人の想いを抱え過ぎた」

「なんか……、あっ。なんか、ママレード・ボーイみたいだね」

「いや、そんな急に思い出したみたいに少女漫画ネタを放り込まれても」



 さっきまでの悲しみはどこへやら。軽口を叩くミチルはいつも以上にいつも通りだ。とても、人を殺した男に向ける感情とは思えない。



「それでも、シンジくんが『考える』って言ってくれたんだもん。こんなに心強いこと他にないよ」

「買い被り過ぎだろ」



 封印していた言葉を久し振りに使った。いずれにせよ、高校生の手に余る問題であることに変わりはないからだ。



「そんなことないよ。だって、これで少なくとも私たちが不幸せになるような結末だけは無いって信じられるから」

「俺が失敗したらどうするんだ」

「失敗が成功になるまで一緒にいる」



 流石はミチルさん。死ぬほどポジティブで絶対にへこたれない。どうやら、信じるモノのため直向きに邁進するのが特徴らしい。一体、どこの誰に似たのやら。



「じゃあ、まずは今日あったこととお前の昔の出来事を聞いてもいいか? もしかすると、打開するヒントがあるかもしれない」

「今日のことはさておき、での出来事は知ってるんじゃないの?」

「何があったかはきっと分かってる。でも、ミチルが何を考えたのかは知らない。俺が考えるんじゃなくて、お前の口から聞かせて欲しいんだ」



 嫌なら今日のことだけでいい、付け加えてお茶を飲む。



「……そっか。じゃあ、ちょっと長くなるからね」



 そして、ミチルは最後のひとくちを飲み込んでから静かに箸を置く。



 しかしながら、俺の最後の人助け。対象が自分自身とその想い人だなんて、これはあまりにも出来過ぎなシナリオだと思った。

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