第7話

 007



「不思議だったよ、俺が金以外のモンに惹かれるなんてよ。初めて見たときから、まるで消えかけの蝋燭みたいに生きるオメーが尊くて仕方がなかった」

「……そうですか」

「実を言えば、オメーと会ってからオメー以外のガキにも何人か会ったんだ。だが、連中にはまったく価値を感じなかった。むしろ、俺みてぇなロクデナシに関わらなくてよかったなって笑っちまったくらいさ」



 更にもう一本、タバコに火を付ける。



「それなのに、シンジだけは違った。唯一信じている金すら、お前から受け取ったモノだけは使えなかった。……いや、使えなかったなんてモンじゃねぇやな」



 煙を吹き上げ、弱々しく俺に手を伸ばす鵜飼さん。震える手が何を掴みたかったのか、考えるのが辛かった。



「金より大切なモンを育てるために使いてぇって、イカれたことを考えちまった。でも、俺ぁダイスケと同じで金を稼ぐ以外のことを知らなかった。だから、預かった金を育てて更にデカく貯め続けて。ずっと使い道に迷って手ぇ拱いてる間に、とうとう天誅がくだっちまった」

「逮捕されるキッカケになった口座ですか」

「カカッ。ありゃ本当に情ねぇよなぁ。やっぱり、人生ってのは迷ったらダメなんだ。身に沁みて思い知ったよ」



 俺だって同じだ、やり方を迷ったから晴田を救い切れなかった。そんなことは自分が一番分かってる。



「そして、半年前。シンジが同級生のハーレムをぶっ壊そうと画策したって話を聞いて、俺ぁ怖くなった」

「なぜですか?」

「さっき言ったろ。オメーは、平気で一線を超える。どんだけ腕っぷしが強かろうが、どんだけ頭がよかろうが、オメーに噛み付かれた相手は絶対に逃げられない。殺されるまで諦めない奴と喧嘩することほど厄介なモンもねぇからな」



 正直なところ、俺はそんな褒められ方をされたところで少しも嬉しくなかった。それどころか、自分の生き方を否定されたような気分になってくる。



「こいつは、この歳で行くところまで行っちまったんだって分かったよ。何があったって、信じてるモンの為ならくたばるまで突っ走るんだろうなってな」

「それが、どうして俺への恐れに繋がるんですか?」

「シンジの根幹にある信念。それが壊れた時、オメーが正気でいられるのか心配だったから」

「……そういう、ことですか」



 つまり、俺自身が悪魔の証明なのだ。



 慎ましくも温かくもない不幸せな家庭だってある。この世にはみんなが不幸になる空間が存在している。だから、離れ離れになってしまった鵜飼さんと母親の関係は、出会ったときから決まっていたモノだった。



 ……少なくとも、彼にとっては間違ったことではなかった。



 失われたのではなく、最初から存在しなかったのだ。忘れるハズもなく、ずっとそれだけを信じていた結果なのだ。幼い俺を捨てた事情だって、ただ耐えるつもりが無かっただけなのだ。



 両親は愛し合っていなかった。互いの独り善がりだった。俺が生まれたことは間違いだった。誰にも望まれていない、しかし母親には俺を殺す覚悟すら無かったから、見えないところで野垂れ死んで欲しくてチンピラの家に押し付けたのだ。



「あなたが母を愛していないことが、俺の――」



 ……ダメだ、止まれ。それだけは絶対に口にしてはいけない。



「シンジの、なんだ?」



 お前が一途でなくなったら、お前に救われた人間の心はどうなる。



「俺の根幹を成す一途への想いは――」



 忠告、したからな。



「なんの……っ。なんの根拠もない、俺の勝手な妄想の産物だった。俺は、最初からずっと間違っていたのか」



 何よりの拠り所としていたモノは、ありもしない理想に聳える砂上の楼閣だった。俺の両親は愛し合っていなかった。高槻シンジは、誰にも望まれていない人間だ。



 そりゃ、そうか。考えてみりゃ当たり前だった。



 あんな酷い幼少期を生きた俺が、望まれて生まれたワケがなかった。物心ついて最初の記憶が、知りもしないチンピラ夫婦にブチのめされて追い出された過去を持つ人間が正しいワケがなかったのだ。



 それなのに、綺麗なモノを信じようとした。婆ちゃんも大将も救えなかった俺が、間違いのない一つの答えがあると思い込もうとした。縋って、縋って、こんなの晴田に縋った盲目的な彼女たちとなんの違いもないのに。



 ……あぁ。



 醜いな。



「ほらな。オメーは、たった一言ですべてが分かっちまう。賢すぎるのも、やっぱり良くねぇなぁ」

「あんたは、俺を捨てたその口で恵まれているだの恵まれてないだの偉そうな能書きをこいたんですか?」

「そうだ」

「自分は親としての役割を放置したくせに、俺には俺にしか出来ないことをやれだなんて宣ったんですか?」

「……そうだ」



 そうだ、だと?



「ふざけないでくださいよ! なんで、そんなことするんですか!? 今さら何考えてんですか!? あんたが地獄に叩き落とした張本人に、罪悪感も覚えないで説教って! 一体どれだけ狂ってりゃそんな事ができるんですか!?」

「お前を愛しちまったからだよ」

「舐め腐ったことを抜かすなァッ!!」



 俺は、この男の胸ぐらを掴んで持ち上げた。先ほど、自分で体からコード外したせいだろうか。室内に患者の危険を知らせるブザーが響く。タバコが奴の膝の上に落ちて皮膚を焦がしていく。しかし、奴はその熱になんの反応もしない。



 それどころか、少しも動かない。咳を一度だけして、俺の目を真っ直ぐに見つめるだけだ。



「あんた、感覚は……?」

「もう、ねぇよ」



 ……っ。



「シンジ、お前は俺の最初の子供だ。俺が作ったガキの中で一番最初に生まれたんだ。一応は高二ってことになってんのか? 俺の記憶じゃ、オメーは今年で19になるハズだけどな」

「だからなんだってんだよ!?」

「本当に、立派なお兄ちゃんになったなぁって思ってたんだよ」



 ……その言葉でふいに思い出した。この男のマンションで見た、あの女の目のこと。 



 あれは、カケルの目だ。



 初めて出会ったとき、カケルは俺を「お兄ちゃん」と呼んだ。あの時は歳下だからだと思っていたが、考えてみればあんなにも頭のいい子供が他人の席に座ってなんの迷いもなく「お兄ちゃん」と呼ぶワケがない。



 あんなにも姉思いの弟が、見ず知らずの人間を「お兄ちゃん」などと呼ぶハズがなかったのだ。



「まさか……っ」

「月野の娘は、オメーのことが好きみてぇだなぁ。もしかすっと、オメーも気に入ってんじゃねぇのか? だから、あんなふうに悩んでいたんじゃねぇのか?」

「あいつは、月野ミチルは……っ!」

「あぁ。……ありゃ、シンジの腹違いの妹だ」



 ふと、窓ガラスに反射した自分を見てしまった。



「……はは」



 なんて。



 なんて、情けない表情なんだ。



「残念だったな、シンジ。お前は、恋なんてしていない」



 なぜミチルが俺を好きになったのか、ずっと気になっていたんだ。



 最初の依頼を受けたときから違和感はあった。何度も助けてやりたくなった。何度も頭を撫でてやりたくなった。何度も教えてやりたくなった。好きでもないハズの女に、見下してた怠惰なハズの女に。何度も、何度も、何度も。



 ミチルは言っていた、友達が欲しかったのだと。



 あいつは、あの晴田ですら恋に落とせなかった。それは、あいつが恋愛よりも友愛を優先する女だからだ。どれだけ酷い目に合おうと、命を救われたことで人々が美しいと信じざるを得なくて。だから、あいつは決して友達を裏切れないし、恋人よりも友人を欲しがってしまったのだ。



 しかし、どうだろう。



 そんな女がたった一度、自分を助けた男を信用するだろうか。死ぬほど男を恐れるような経験をしたのに、自分の心を見透かされたくらいで恋に落ちるだろうか。友達という関係をすっ飛ばして、唯一俺にだけ恋をした理由とは何だったのだろうか。



 ……つまり、あいつは無意識のうちに分かっていたのだ。俺とは絶対に友達になれないことを。



 どれだけ親密になろうが、血縁が決してそれを許さない。絶対に友達になれない男であると分かっていたから、あいつはまたしても勘違いを起こした。俺が何度も庇護欲を覚えたのと同じように、ミチルも何かを感じていて――。



「その違和感を、俺とミチルは恋愛だと思い込んだ。本当は、妹として甘えているだけだったのに」



 胸ぐらを離す。ブザーはまだ、鳴り響いている。



「これが、テメーが好き勝手に作ったハーレムの結末だぞ……っ」



 奴が俺に手を伸ばす。しかし、すぐに力を失ってポトリとベッドに落ちた。



「これが……ッ!! テメーが好き勝手に女を誑かした結末だぞ!!! 一人を選ばねぇ無責任の先にあるモノなんだぞ!!! テメーは!! 俺から何度大切なモノを奪えば気が済むんだよ!!!」



 廊下には幾つもの足音。そして、入っきたナースたちは俺を見るなり羽交い締めにして身柄を拘束した。そんな俺を、奴は今までの人生で受け取ったことのないくらいの、慈愛の笑みで見ている。



「オメーと会ってから、本当に楽しかった。この世界のすべて、シンジ以外はどうでもよかった。本気で愛するってのは、気持ちのいいことだったんだなぁ」



 ……やめろ。それ以上言うな。



「もっと早く気がついてりゃ、オメーに苦労かけることもなかったのになぁ」



 やめてくれ……っ。



「もっと、一緒にいたかったなぁ。まさか、俺がこんな後悔抱えて死んでいく、なんて、なぁ……」



 お願いだから、お前のことを嫌いにさせてくれ。

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