第8話(月野ミチル)

 008(月野ミチル)



「その翌日、あいつは急に死んじまった。医者の話じゃ、俺にずっと言えなかったことを伝えたせいで、精神力が尽きちまったんだってよ」

「……っ」

「ならば、あいつを殺したのは間違いなく俺さ。俺が、あのクズ男にトドメを刺したんだ」



 膝が震えて、もう立っていられなかった。



「復讐、だったのかな。俺を不幸のドン底に叩き落とした張本人を、この手でブチ殺したんだから。意識してこなかったけど、やっぱり『どうして俺がこんな目に』って考えたこともあったし」

「い、いや……っ」

「でもさ、俺は絶対に復讐するべきだって考えてたのに。どんな形であれ必ず自分で手を下すべきだと考えていたのに。なんでだろう」

「やめて……っ!!」

「全然、心がスッキリしてねぇんだ」



 なぜ、世界はこんなにもシンジくんを追い詰めるのだろうか。彼は、この事実だって一人で受け止めてしまう。今日までと同じように、誰のせいにもせず戦ってしまう。



 そんなに理不尽を抱えて、まともに立っていられるワケがないのに。



「ごめんな。俺は、ミチルとは一緒にいられない。あんだけ色々あってこんな最後かよって感じだけどな」

「どうして? どうして、そんなことになるの?」

「女として、好きで仕方ないから」



 ……ダメだ。



 私は、もう感情を抑えきれない。



「お前のこと、本当に好きだ。今までの誰より好きになったんだ。前に進もうとする姿が美しいと思った。一緒にいて心強かった。でも、それは妹に覚えちゃいけない感情だ」

「そんな告白、嫌だよ……」

「学校は辞めた、町家にも戻らない、お前と会うこともなくなるだろう。だから、お前は他に熱中出来るモンを探せ。きっと時間が解決してくれる」

「嫌だよぉ!!!」



 膝を付き、私に目線を合わせてくれているシンジくんに叫ぶ。



「絶対に嫌だ! 父親が死んだなら私たちが兄妹だって知ってる人もいないでしょ!? なら、そんなことに拘らなくていいでしょ!?」

「俺たちの問題が血縁じゃないことなんて、お前自身が一番分かってることだろ?」



 ……分かってる。



 シンジくんに追い付きたくて、いつの間にか私も一途を追い求めるようになっていた。世の中の人がどうかは知らない。けれど、少なくとも私とシンジくんにだけは、想い合う気持ちに混じり気があってはいけない。



 そうでなければ、今日までの話がすべてが嘘になってしまう。家族であるという絆が、恋愛においては枷になってしまう。だって、それだけが彼の正義だから。



 なにか一つでも不純を認めれば、想いそのモノが消え去ってしまう。シンジくんが最も欲しがり追い求めた、迷いの中で『信じる』という力が失われるのだ。



 ……それでも。



「い、いいじゃん。だって、シンジくんのせいじゃないもん」



 私は、これ以上あなたが傷付くのが耐えられない。



「そうだよ。全部、全部、全部全部全部全部ぜぇーんぶ!! まったくこれっぽっちもシンジくんは悪くないよ! 捨てた父親が悪いよ! 虐待したチンピラ夫妻が悪いよ! 違法な金利にした金融屋さんが悪いよ! あなたに頼るみんなが悪いよ! 頼って! 頼り切って、そして恋までしてしまった私が悪いんだよ!!」



 シンジくんは悪くない。シンジくんは、何も悪くない。



「だから、もうやめようよ。私、シンジくんだけは失いたくない……っ」

「その道を辿って来なかった俺を、お前はそこまで愛してくれたのか?」

「やめて!!」



 シンジくんに喋らせちゃダメだ。私が説き伏せられたら、もう彼は二度とまともな人生を歩めなくなる。



「そ、そうだ。私も学校辞めるよ。それで、一緒に暮らそうよ。シンジくんはお料理が出来るし頭もいいし、私は一応レースクイーンになれるくらいの食い扶持はあるからさ! ね!? だから、私と一緒に逃げよう!?」

「出来ない」

「シンジくんは古い建物とか好きでしょ? だから、二人で色んなところを見て回るの。絶対に楽しいよ! 函館の五稜郭とか、仙台の大崎八幡宮とか、名古屋とか姫路にもお城があるし、沖縄だって絶対に楽しいよ!」

「ダメだ」



 私は、シンジくんに抱き着いた。彼が地面に倒れ、私は馬乗りになって彼の瞳を見ている。コートが風に流れ、堤防の下の道へ落ちていった。



「私ね、シンジくんのことが大好きなんだよ? ずっと我慢してたけど、本当は全部独り占めしたいくらい大好きなんだよ! 他の誰かと話しているのを見るだけで嫉妬に狂いそうなんだよ!!」

「そうか」

「だから、兄妹とか関係ないよ。こんなに愛してるんだから問題じゃないよ。言わなければ誰も気付かないよ。これからも一緒にいようよ。私は、だって……っ。し、シンジくんのこと……っ」



 ……その先が、言葉にならなかった。



 以前の私なら、最後まで狂えたかもしれない。けれど、彼に憧れて追いかけたせいで、どうしても理性が邪魔をする。何を言ったって、何をやったって、正攻法を貫くための道を探してしまう。



 でも、勝てない。探したって反撃の材料は見つからなくて、だから目茶苦茶に考えた偽物の荒唐無稽な言葉で引き留めようとしたけれど。



「ありがとう、ミチル」



 やっぱり、何一つ通用しない。



 ……どうして、シンジくんだけがこんな目に合わなきゃいけないのよ。



「私は、あなたがいなければ幸せにならないよ」

「そんなことないさ」

「最後に私を助けてくれるんでしょ? だったら助らない。そうすればシンジくんは私から離れられない。あなたは、絶対に最後まで仕事をやり遂げる人だもん。それを嘘にすることは許さない」



 地面に抑えつける手に力を込める。暴力で抑えつけることは、きっと私自身を疑っている証拠だ。何を言ったって、最後には必ずシンジくんに納得させられてしまうと恐れているのだろう。



「幸せになれる、お前にはカケルがいるんだから」



 ……ほら、言ったそばから。



「あいつを捨てることは、俺たちを捨てた男と同じにならないか? そうやって切り捨てられるなら、どうして育った場所から連れ出したんだ?」

「私の過去は考えないって、言ってくれたのに……」



 私を突き放すために、彼は突き止めてしまったのだ。



「俺には何も無い。けど、お前にはカケルがいる。それは離れ離れになった子供たちの中で、きっと唯一二人だけが持つ掛け替えのない絆だろ」



 あなたはいつも、私を助けてしまう。どんな時だって幸せになる方法を見つけてしまう。



「あいつはいい奴だ。一緒にいるだけで、お前は幸せでいられる」



 今日までずっと、そうやって生きてきたんだろうね。何も持っていない不幸せなあなただから、誰よりも人の持つ幸せに気が付くんだろうね。大切にしているモノを見つけられるからこそ、完膚無きまでやっつけることも、前に進めるよう助けることも出来るんだろうね。



 ……ズルいよ。



「ほら、俺のことを呼んでごらん」



 嫌だ。



 その呼び名を口にしたら、ここで恋が終わってしまう。



「俺は、ミチルを妹として認めた。あとはその言葉だけだ。元の形に戻ろう。そうすれば、離れていたって別れたことにはならない」



 認めたくない。



 それなのに、半年前のあの日から今日までずっと私を見ていてくれて、助けてくれて、慰めてくれて、可愛がってくれて。それが私たちにとって運命的に、或いは必然的だったのだとすれば、今日までのあなたがあまりにも自然に見えて、辻褄がカチリと綺麗に嵌ってしまう。



 まるで、今までもずっとそう呼んでいたかのような錯覚に陥る。心は否定しているのに、頭で彼を認めてしまう。楽になる道、不幸せになる道。痛みにはきっと慣れて、10年後か20年後か、やがて互いに笑い合って話せるであろう道。



 誘われるように、足を踏み出した瞬間。



「お、おに――」



 私は、ようやく気が付いた。



「……っ」



 シンジくんは、泣いていたのだ。



「……い、いつも一人で、そんな辛そうに泣いてたの?」



 私の涙が落ちたのではない。確かに、シンジくんの瞳から頬を伝っている。彼自身も気が付いていなかった。雪のように儚くて、凍り付くように寂しい雫。



 手の力を緩めても、少しだって抵抗はない。離れていくことを望んでいない。どこか諦めにも似た彼の表情が、間違いのない確かなことだと認めている。



 黙っていると、彼は唇を噛み締めて笑った。どう見たって、取り繕っただけの人を不安にさせないための笑顔。全然作り慣れていない、不安定で歪な微笑み。



 今までに見たことのない、切ない笑顔だった。



「……ミチルと一緒に、これからは家族として清く付き合っていけばいいと他人は知ったようなことを言うかもしれない。けど、そんなこと出来るワケがない」

「どうして?」

「もう、分からないんだ」



 力のない言葉に、シンジくんがどれだけ追い詰められているのかを知った。



「いつかお前の心の傷が癒えた時、俺は爛れたようなことを望むかもしれない。お前が望めば、それ以上に応えたくなるかもしれない。一度知れば依存するだろう、その関係に溺れて甘えるに決まってるだろう。けれど、それは許されないことだよ」



 ……うん。



「そもそも、俺は本来そこまで強くないんだ。お前がクラスのアイドルを騙ったように、俺はピカロを騙っただけなんだ。心から好きになった女を目の前にして、清廉を貫けるほど人間が出来ちゃいないのさ」



 知ってたよ。だって、何度も似ているって思ったもの。きっと、それがずっと覚えていた違和感の正体なんだもの。



「無いモノを我慢することは慣れてる。けど、すぐ側にあるモノを我慢することなんて出来ない」



 そして、シンジくんは体を起こすと私を離した。



「何度も挫けて這い蹲って後悔して、それでも進んだ先に待っていたのは最初から決まっていたニセモノの結果だった。あれだけ信じた一途すら俺を裏切った」



 感情はいつもと変わらないのに、相変わらずの強い姿なのに、瞳だけが彼の意識に逆らっている。



 とっくに壊れてしまっている心を映し出した、何よりも真っ黒な星のない夜空みたいな瞳。見ていると吸い込まれそうなくらい、切なくて儚くて苦しい。



「家族に対する気持ちをそうは呼ばない、他人を想うからこそ一途なんだ。その矛盾に耐えられるほど、俺は強くない」



 なのに、何一つ彼を慰める言葉が思い浮かばなかったから、ただ抱き締めて「行かないで」と叫び泣くことしか出来ない。



「ごめんな」



 声は、暗い夜に響き海の音を切り裂く。



 シンジくんは、ただ優しく私の頭を撫でていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る