第6話

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「さて、どこから話そうか」



 鵜飼さんは、自分で繋がれている管を外しベッドの背もたれを立てると咳をしてから項垂れるように座った。その気怠さは俺が知っている彼のモノだ。何事にも動じない、余裕のある振る舞い。



「ガキの頃から、俺ぁ女にモテてなぁ。ほら、ツラもいいし喧嘩も負けたことねぇし、今みてぇに頭のいいガキも少なかったからよ。何やっても失敗しねぇで、全て思うがままだった」

「別に、あなたなら驚かないですよ」

「ふっ。お前の言葉を借りるなら、ありゃハーレムっちゅう関係だった。連中はテメーの頭で考えることをやめて、俺の言う通りにしてりゃ大丈夫ってな具合でよ。どこ行くにも鬱陶しいくらいついてきて、ことあるごとに俺を狂ったみてぇに褒めやがるんだ」



 一拍置いて、彼はタバコに火を付ける。



「まぁ、それも今思い出してみればってヤツだ。当時は生きてるのが楽しくて、女共のことなんざ気付きもしなかった。舎弟を自称するアホも結構いたしよ」

「舎弟ですか、なんかイタくてダサいですね」

「カカカッ! ……あぁ、お前みたいな無頼の天才から見ればダッセェことこの上ないだろうさ」

「俺が、天才ですって?」

「普通の奴はお前ほど頑張れねぇし藻掛けねぇよ。その度胸と努力が並っつーなら、他の何が才能なんだよ。え?」



 この俺に才能があるだなんて考えたこともなかった。



「たまにいるんだよ、平気で精神のタガを外して一線を超えられる奴が。オメーは、それが出来る天才だ」

「そうでもしなきゃ生きてこられなかっただけです」

「だぁから、普通は死んでるんだよ。まぁ、認めねぇってんなら別に構いやしねぇけどな」



 俺の目を見る鵜飼さんは、どこか羨ましそうに見える。



「大学を出た俺は、東京の商社に入った。名前を聞きゃ誰でも知ってるデケェ会社さ。もちろん、その頃には自分がモテて仕方なくて、ハーレムが普通じゃねぇってことも自覚してた」

「……はい」

「一途なんて、クソ喰らえと思ってた。俺ぁこの持病と引き換えに世の中を好き勝手に生きる才能を神から与えられたんだって考えたからだ。だから、大して長くねぇ人生で一人の女に拘るなんて嫌で仕方なくてよ。ツラのいい女は手当たり次第俺のモンにして、笑えねぇようなムチャクチャだってやらかしたもんさ」



 強く咳き込む鵜飼さん。しかし、俺は彼に水を差し出さなかった。



「そんなある日、ガキが出来ちまった。しかも凶報ってのは重なるモンでなぁ、4人の女から同時に告げられたのさ」

「確かに、笑えないですね」

「あぁ。だが、俺は知ったこっちゃねぇと突っぱねたよ。だって、そのうちすぐに死ぬんだ。老い先短ぇ男に頼ってねぇで、テメーで言い寄った責任くらいテメーで取れって言ってやった」



 なるほど。



「あなたは、自分が孕ませた女の相手をするのが嫌で裏社会へ逃げたんですね。カタギじゃなければ、法的な措置だって恐れ無くて済むやり方も選べる」

「流石はシンジだ、その通りだよ」



 ……終わってるな、本当に。



「闇金を始めてからは、そりゃ儲かったさ。何せ裏稼業だ。同業連中、頭はキレても知識や営業スキルが足りてる人間なんてほんの一握りだったからよ。俺ぁ東京でノウハウを積んで、それから独立して適当な地方都市で荒稼ぎしてやろうと考えた」

「東京には、ライバルも多いでしょうしね」

「あぁ。そうやって辿り着いたのが町家だった。あの街はいい、俺の肌によく合った。中途半端に都会だからか自分の頭が良いと思い込んでるバカも多くてよ、やっぱり金も女も思いのままだった」



 紫煙が部屋の中に渦を巻き滞留する。俺は立ち上がると、換気のために窓を開け海の向こうの水平線を眺めた。



「そうやって、10年くらい経ったか。俺んところに、ダイスケのジジイが客としてやってきたのは」



 冷たい風が頬を撫ぜる。そうして冷静になったからか、無駄に頭が回って俺が何者なのかを確信させる要素が幾つも思い浮かんでいく。



「社会ってのは残酷でよ、昼も夜もなくガムシャラに働いたって報われねぇ。それどころか、頭ぁ使ってやらなきゃ貧しくなる一方だ」

「理解はしてますよ」

「あのジジイは本当に不器用だった。腕は確かなのに人付き合いが出来なくてよ。料理以外に知識もねぇから、誰を頼りゃいいのかも分からない」

「店をやってるんだからクラウドファンディングや、或いは銀行やベンチャーキャピタルを騙して融資を得ることも出来たでしょうね」



 鵜飼さんは、嬉しそうに笑った。ずっと見てきた、俺を見守る優しい目だ。



「だが、あいつにはネットで人を集めることも偽の事業をでっち上げて金を借りることも思いつかなかった。その結果、手っ取り早く金を借りられる俺のところに来たのさ。オメーの育ての親、高槻サチを保証人に連れてな」



 捨てられたボロッ布のような俺を拾う根っからのお人好しな婆ちゃんなら、友達の旦那のために保証人になることだって何も不思議じゃないだろう。



「そうなりゃ、あとは芋蔓式さ。保証人の高槻にも融資して、その知り合いからも金を毟る。デカイ競馬場に競艇、賞金のかかったモータースポーツ。町家にゃ金を欲しがる貧乏人がわんさか居る。食い扶持は食い扶持を呼んで、金融屋にとっちゃまさに天国みてぇなところだった」



 違う。



 そういうところに躊躇なく首を突っ込んで、良心に苛まれることなく悪事に手を染められる鵜飼さんだからの結果だ。

 悪いから成功したんじゃない。積み重ねた経験と知識があったからこその結果だ。他の人間が同じことをやったって、同じ結果を得られたとは俺には思えない。



 彼の本質は俺と同じ。ただ、勤勉なのだ。



「毟って、毟って。その間にもバカな女どもは俺の周りに群がって。ヨウコのババアが死んだことも知っていた。他の顧客の家族だって、何なら俺のガキだって苦しんでるだろうと思ってた。だが、俺は無関心を貫き続けた」



 紫煙が鼻腔を擽る。こんなにも懐かしい匂いを、俺は他に知らない。



「俺の使命は金を集めることだ。使い道なんざ考えたことねぇ。ただ、誰よりも『金』って力を身に着けて、人より長く生きられねぇ俺が強いってことを証明したかったのさ」

「存在、証明……」



 深く心に突き刺さる言葉。この男は、嫌になるくらい俺に似ている。だから、なぜそこまで拘り、どうしてそこまで意地を張るのかがよく分かってしまう。



 ……いや、俺が彼に似ているというのが正しいか。



「やがて、高槻のババアが死んだ。デケェ保険金が手に入った。ヨウコの時と同じように、俺は顧客に吹っ掛けてる生命保険の受取人を囲わせてる女にしてるからな」

「金のない老人に貸し付けても、取りっぱぐれる心配のない最低なやり方ですね。ハーレムの主じゃなきゃ通用しない方法ってワケだ」



 ジジ、という音が聞こえた。タバコの火を潰したのだろう。



 俺は、覚悟を決めて振り返った。



「そして、俺はお前と出会った。中坊にしちゃ考えられないような、バカデカい金を手に抱えたお前にな」



 いつからか、俺自身きっと気付いていたことだ。じゃなきゃ、高校生の俺が彼の事務所に行くことも、彼がヨウコへ飯を食いに来てくれることも、絶対にあり得なかったのだから。



「あの日のことは今でもよく覚えてる。この俺が思わず尻込みするような目付きをした痩せっぽちの貧乏臭ぇガキが、1年前に出した形だけの取り立ての便りをデスクに叩き付けてよぉ。俺を見るなり――」



 ――婆ちゃんが借りたモノは、俺が返します。



「呆気にとられる暇もねぇくらい、すぐに思い知ったよ。、俺とこのガキは他人じゃねぇ。間違いなく、俺が作ったガキの一人だってな」

「……はい」

「オメーが帰ったあと、もちろんオメーの過去を調べたさ。そうやって分かったモンを見て、予感は確信に変わった。信仰する神の形が違うだけで、オメーの生き方は俺と同じだったから」



 ……もう、逃げられない。



 高槻シンジはこの男の。



 鵜飼トオルの、実の息子だったのだ。

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