第2話 ①(月野ミチル)

 002(月野ミチル)



 居酒屋『ヨウコ』は、街の路地裏にひっそりと佇んでいた。



 周囲にはカラオケスナックと最近出店したであろうガールズバーが立ち並んでいて、何だか『ヨウコで食事したあとに遊びに来てね』といったメッセージを感じる様子となっている。



 そして、肝心のお店はというと。



「閉店になってるわね」



 ミキちゃんの言う通り、店の扉にはラミネート加工されたA4の用紙に太いマジックペンで「諸事情により閉店致します、長い間ありがとうございました」と簡素な文字が書かれた張り紙がされている。



「諸事情ってなんだろ」

「これ、シンジの文字だよな。テナントはまだ引き払ってないみたいだけど、ここにいるのかな」



 山川くんの言葉のあと、私は焦る気持ちを抑えられず3回格子戸をノックした。しかし、当然のことながら返事はない。薄暗い店内からは、一つの物音すら聞こえなかった。



「ねぇ、電気メーターが動いてるよ。多分、冷蔵庫が稼働してるんだ」

「ということは、この中に高槻がいるワケ?」

「いや、分からない。とりあえず、この辺に住んでる人に事情を――」



 彼の言葉の途中に扉を調べると、ガラリと音を立てて開いた。中は、飲食店特有の脂と旨味の匂いがする。不衛生な空気は一切ない。それと同時に、人の気配も感じなかった。



「これ、入ってもいいのかな」

「いいに決まってる、俺たちには知る権利があるよ」



 山川くんの言葉に勇気を貰って、いざ店の中へ。



 店内は6席分のカウンターが奥に伸び、内側がコンロと焼き鳥を焼くための溝と大口のコンロが設置されたキッチンになっている。更にカウンターの後ろ側に3つのテーブル席が設置されていて、町家のお店としては普通レベルの広さだった。



「随分と手入れが行き届いているわね。見なさいよ、シンクなんてピカピカ。まるで新品みたい」

「こっちの戸棚には写真と白い花が置いてある。多分、このお爺さんが大将さんだ」

「亡くなったみたいね、諸事情ってこれのことかしら」



 確かに、店の奥の棚には花瓶にさされた白い花が置いてあった。その傍らには、箱から取り出された生八ツ橋と地酒の一升瓶。町家へ帰る直前、シンジくんが悩みに悩み抜いて選んだ大将さんへのお土産の品。



 つまり、大将さんは修学旅行中に亡くなったのだ。



「ご家族はいらっしゃったのかな」

「うぅん、シンジくんは女将さんが亡くなって働きに来たって言ってたから独りだったと思う。だから、シンジくんのここ数日はご遺体の火葬や身辺整理で忙しかったんじゃないかな」



 考えていると、突然店の扉が開いた。ビクっとして、色んな言い訳を考えながら振り返る。すると、そこには一人の恰幅のいい壮年の男性が立っていた。手には何も持っていないから、何かしらの手続きをした帰りといったところだろうか。



「あれ、高校生が何しに来たんだ〜?」



 彼は、なんだか優しそうな表情で私たちに言った。落ち着いて椅子に座ったのを見るに、この人が店の鍵を持っているのだろう。関係者で間違いない。



「す、すみません。僕たち、ここで働いてた高槻くんの友達でして」

「あ〜、やっぱそうかぁ。いらっしゃい、シンジなら三日前に出てったよ」

「三日前、ですか?」

「あぁ、本当はすぐにでも旅立ちたかったんだろうけどさ。『最後まで見届けたいんです』なんて言って遺体を焼くまで付き合ってくれたんだ」

「旅ってなんですか? それ、学校を辞めてまですることなんですか!?」



 あらゆる過程をすっ飛ばして思わず大きな声を出してしまったが、彼は驚く素振りもせず落ち着くように手でジェスチャーをした。



「……とりあえず座りなよ。でも、そうか。シンジ、学校辞めたんだな。あいつは本当に不器用だなぁ」



 ため息。



 その呼吸に事情を察している彼の憂いを感じる。言われてみて初めて気がついたけど、シンジ君が不器用だなんて考えたこともなかった。



 彼は塚地さんと言って、この周辺に住んでいるヨウコの常連らしい。塚地さんはお店のグラスを手に取ると、冷蔵庫の中からペットボトルの緑茶を取り出して注ぎ私たちに一つずつ差し出した。



「ありがとうございます」



 受け取って、落ち着くために一口。私たちがグラスから口を離すと、塚地さんは徐ろに喋り始めた。



「うん。さて、君たちは何が知りたいのかな。俺の知ってることは少ないと思うけど、教えられることならなんでも答えるよ」



 それは、塚地さんがシンジくんの行き先を知らないことを示していた。ならば、他のヒントを得られるようにここで働いていたシンジくんのことについて聞いてみよう。



「そうだなぁ。一言で言えば、頑張り屋だったよ。大将のダイスケさんは無愛想でとにかく無口だったからね。教えてもらうこともせず、何とか手伝えないかって料理や接客を学んでいた。あいつが急にここで料理し始めたときはビックリしたねぇ」

「あのお料理を、一人で?」



 唯一、彼の腕前を知っている私が尋ねる。



「全部じゃないさ、サチさんのレパートリーから学んだ技術もたくさんあるって言ってたし。小学生の頃、老人ホームから帰ってきた彼女と一緒にご飯を作るのが好きだったらしい」

「サチさんって?」

「シンジの育ての親だよ、高槻サチさん。血の繋がりがないシンジを引き取ったヨウコさんの友達さ」



 そういえば、バイトを始めたキッカケを聞いた時に言ってたっけ。二人の縁で知り合って、その後に大将さんの雰囲気が暗くなったから自分が働き始めたんだって。



「サチさんは、なぜシンジくんを引き取ったんでしょうか」

「なぜって、まだ4、5歳の小さな子供が雪の中で震えていたら、普通の大人は助けるよ。もちろん、サチさんが筋金入りのお人好しってこともあるだろうけど」

「……それ、どういうことですか?」

「あれ、聞いてないの? 話しちゃいけなかったかなぁ」



 焦燥感。その話を聞いたら、私はシンジくんが二度と傷付かないようにどこかへ閉じ込めてしまうような気がした。



「聞かせてもらえますか? 俺たち、シンジのことが知りたいんです。あいつ、俺たちには自分の話をしてくれないから」



 山川くんの言葉に、塚地さんは深く考え込む。しかし、私たちの無言の圧力に負けたのか、何度か頷いた後で徐に話を始めてくれた。

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