第20話
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まだ観光の時間が残っている真っ昼間だと言うのに、俺は自分の部屋のベッドで唸りながら突っ伏していた。
トロッコを降りてから青山の姿を見て安心したせいだろう。昨晩の徹夜もあって完全に風邪がぶり返し、意識が朦朧としている。何となく本調子ではない気がしていたが、これほどまでに自分が疲れているだなんて分からなかったな。
「くそ……」
ルームサービスで氷嚢を貰ったが、中身は既に冷たい水と化している。仕方ないから下の売店で氷と、ついでにスポーツドリンクに薬を購入して再び自室へ。
アンダーシャツは、青ざめたような汗でびっしょり濡れている。体がだるくて仕方ない。しかし、このまま寝たら更に気分が悪くなりそうだから、一度シャワーを浴びて流さなければ。
必死の思いで汗を流し、しっかり体を拭いてから解熱剤を服用。神様、頼むから明日の朝までに動けるようにして欲しい。一泊余計に泊まって金を取られるだなんて、そんなの死んでも嫌だからな。
まぁ、ここは京都だ。健康の神様だってどこかにいるだろう。
「……はぁ」
目を閉じても、グラグラとした感覚が眠気を覚ます。体はすぐにでも眠ってしまいたいと訴えているのに脳がそれを拒み続ける。これは、今眠ったら殺されるという危機感からくる、太古の時代のシックスセンス的な代物なのだろう。
無論、マンモスを見たことのない現代日本人の俺としては、命の危険など忘れてとっとと眠りたい限りなのだが。
「……大丈夫? 髪の毛、まだ濡れてるよ?」
ボーッと空を見ていると、ずっと黙っていたらしいミチルが口を開いた。そういえば、さっき売店に行った時に会ったっけか。弱った俺を見たミチルに対して何と言ったか忘れたけど、多分――。
「伝染るから近寄るなといったハズだぞ、出てけよ」
「そんなこと出来るワケないじゃん。心配だから、黙って後ろから入ってきちゃったの」
「俺の心配は無視するのかよ」
「残念、これは心配バトルです。公正な審判の結果、私の方が心配していたのでシンジくんの拒否権は剥奪されたのです」
なんなんだ、こいつは。意地を張るポイントがズレてるだろ。
「……んふふ」
「俺がダウンしてるのがそんなに面白いかよ」
「違うよ。私、ずっとシンジくんの様子がおかしいと思ってたんだ。考えてみれば、今回のあなたは違和感まみれだったよ。今更それに気がつくなんて、なんだか自分がおかしくて」
ならば、どういうところに違和感を覚えたか説明願おうか。
「サオリと私のことを部屋に誘ったでしょ。あれ、いつものシンジくんなら絶対に別の場所を提案したハズだもん。多分、他の場所だと倒れた時にヤバいって無自覚に分かってたんだね」
「……そうだな」
「しかも、コウくんの居場所を分かった理由が直感って。シンジくんが本当に直感に頼り出したら、それは本当におしまいだよ。だって、あなたが一番信じてるモノを裏切るってことだもん」
「……まぁ、そうかもな」
「今思えば、説明出来ないくらい苦しいのを我慢してたんだね。顔に出さないから、察してあげられなかったけどさ」
言うと、ミチルは氷嚢の中に氷を入れて俺の額の上に乗っけた。こいつがいるとますます眠る気が失せるのだが、話していると苦しさも多少マシに思える。ベッドの上なら力尽きても問題ないという安心感のせいだろうか。
「みんなへのヒントがラインだったりとか、妙に口数が少なかったりとか、私の手を握ってくれたりとか、間接キス許したりとか。……あ、そうだよ。だから、伝染るかもなんて心配したって遅いんだよ」
「失念してたよ。確かにもう遅いな」
つまり、俺が月野ミチルを認める過程にあった出来事のすべてが熱のせいだったワケか。果たして、不覚というべきか、幸運というべきか。
何にせよ、少しくらいは話に付き合えそうだ。どうせ言っても聞かないのだから、大人しく本章のオチに付き合ってもらおう。
「シンジくんはさ、ミキちゃんが来るって知ってたの?」
「いいや、誰が来るのかは分からなかった。ただ、もしも本気で憧れたのなら、最後まで諦めないのは晴田じゃなきゃいけない理由のある青山だと思ったのさ」
「……そっか、コウくんの才能は普通と格が違うもんね。ココミちゃんとカナエちゃんはコウくんの弱さに惚れてたけど、ミキちゃんは強さに惚れてるんだ。あんなに凄い人、なかなかいないもの」
「あぁ」
短く返事をする。少し咽て咳き込むと、ミチルはベッドに座り俺の頭を持ち上げてスポーツドリンクの入ったコップを口元に傾けた。
「余計なことすんなよ、飲み物くらい一人で飲める」
「シンジくんだって、私に無理矢理うどん食べさせたじゃん。おあいこだよ」
そんなこと言われると、断りにくいじゃないかよ。もしかすると、俺がミチルを言い負かす機会は永遠に失われたのかもしれない。
だって、言い返したときにミチルが何を思うか。そんなことを考えてしまえば、傷付くような言葉なんて使えないから。
ずっと笑っていて欲しいと、強く思ってしまうから。
「きっと、みんなからコウくんへの依頼も受けてたんでしょ? それってなんだったの? 今なら教えてくれてもいいでしょ?」
「お前を忘れさせてやって欲しいって頼まれてた。だが、晴田は一人で解決した。俺の力なんて最初から必要なかったんだ」
ミチルは、少しだけ考えた。
「それはちょっと違うよ。シンジくんがみんなのことを手伝わなかったら、あんなに頑張ってくれなかったら、この結果は得られなかったと思う。私のことを認めてくれたように、コウくんもシンジくんの頑張りを見て覚悟を決めたんだと思う」
「……俺はそうは思わない。この依頼に俺より強い奴はいなかった。けれど、俺より弱い奴もいなかった。それだけの話さ」
氷嚢の位置を直すと、ミチルは俺の頭を撫でた。異常に恥ずかしくて、甘え方も分からなくて。だから、俺は彼女から離れると体を起こしてベッドと接地している部屋の壁に体を預ける。
ミチルは、イタズラな笑みを浮かべた。誂われたって、今の俺には返す刀を振る力など無い。氷嚢を首筋に当てて、少しでも冷静でいられるように努めた。
「シンジくん。ちょっと、お話を聞いてくれないかな」
「なんだい」
「この旅行でね、私とみんなの関係って何かなって考えてたんだ。私たちって友達じゃないのに、むしろ今の方が前より仲良しだったりしてさ。なんか、不思議な関係だなって思ってたの」
……へぇ。
「それでさ、分かったんだ。私たちは、シンジくんとサオリの関係に似ている。お互いに尊敬し合ってて、嫌ってるところもあって、共通点も多くて、けれど近づき過ぎない関係。それに、便宜上名前をつけるなら――」
「仲間、か?」
言葉に詰まったミチルに、ポツリと助け舟を出す。
「……うん。それ、凄くシックリくるよ。そうだね、私たちって仲間なんだ」
納得してくれたようだ。お前が笑ってくれるなら、最後の知恵を振り絞った甲斐がある。
……。
「なぁ、ミチル」
「なぁに?」
「ミチルに伝えたいことがある」
息を呑む音。ミチルの想像した俺の言葉は、きっと寸分の狂いもなく正しかった。
「こんな情けない病気中の姿じゃなくて、しっかり目線を合わせなきゃいけないこと。そして、俺たちの今後に影響する凄く大切なことだ」
彼女は、顔を真っ赤にして俯いた。ピクリと指を動かしたかと思うと、少しだけ俺に伸ばして掛け布団を強く握る。俺の言葉を察して、何かをしようとして、ギリギリで踏みとどまったのだろう。
「……うん」
「その時は聞いてくれるか? 出来るだけ、時間は取らせないようにするから」
「聞くよ」
赤い顔と、潤んだ瞳で俺を見る。必死な彼女を見ていると、心細い今の俺では感情がどうにかなりそうで。だから、深呼吸をしてから心を落ち着かせ、距離を遠ざけるためにもう一度言葉を使った。
「ありがとう」
……その後の記憶は、俺にはない。
力を使い切ったからか、どうやら眠ってしまったようで、次に起きた時は翌日の早朝。まだ朝もやが残る4時頃で、当然ながらミチルの姿もなく。廊下に出て周囲を見渡しても、ホテル内はシンと静まり返っていた。
山川たちと再会したのは、朝食の時間だった。
連中、不完全ながらに京都を満喫したようで。すっかり上機嫌で俺にスイーツや神社の写真を見せつけながら。
「なんかシンジが可哀想だしよ、今度は4人で来ようぜ」
そんな提案をされた。両手を挙げて同意したいくらい素晴らしいアイデアだ。俺は一も二もなく返事をして、それから晴田と話をした。
「これからの問題は、一人で何とかするよ。安心してくれ」
何か憎まれ口の一つでも叩いてやろうかと思ったが、彼の決意の籠もった目を見ればそんなことは出来なかった。もしも顛末を聞く機会があれば、その時は俺が茶の一杯でも奢ってやろうと思っている。
こうして、俺たちは帰りのバスに乗り込んで町家へと舞い戻る。乗車中、ミチルは昨日の俺の言葉について言及せず、口にするのはいつも通りのくだらない世間話。
「見て見て、昨日の夜に山川くんたちが企画した肝試しの写真。私は脅かす側で、雪女の役だった。お墓で一人だったから暇だったよぉ」
「こ、怖かったとかじゃねぇのか」
「怖い? なんで?」
「オバケが出るだろ、あぁいうところは」
「出ないよ。だって、本当にオバケがいるならシンジくんのお婆さんが会いに来ない理由を説明できないじゃん」
なんて、ミチルの意外な強さの一端を垣間見たり。かと思えば、海岸沿いの道から見える水面を跳ねるトビウオの群れを見て無邪気にはしゃいだり。
そんな姿を見て、俺はどう告白してやろうかと考えていた。
「大将、お久しぶりです」
そして、解散後。
俺は家に帰る前に『ヨウコ』へやってきていた。結局、ホテルの売店で購入した生八ツ橋と地酒になってしまったが、果たして正解を選べたのだろうか。大将が喜んでくれると、終わりよければ全て良しで片が付くのだが。
「大将? いないんですか? お土産を渡しに来ましたよ!」
暗い店内には、俺の声が反響するだけでシンと静まりかえっている。看板は仕込み中だが、鍵が開いていたから中にいると思っていた。もしかすると、お使いにでも行っているのかもしれない。
カウンターの外側から業務用冷蔵庫の扉を見る。外からの光で薄っすらと読めるメモ書きには『濃口醤油・ネギ』と書かれている。先に連絡はいれているし、重たい物があるのなら俺に任せてくれればいいものを。
なんて、考えながら店内へ目を向けると何かが光の届かない奥に倒れていた。暗くてよく見えないが、そんなところに何を放置しているのだろう。
俺は、何の危機感もなく電気を灯した。
「……あらら、また飲み過ぎですか。そろそろ仕込みの時間ですよ」
そこに倒れているのは、やはり俺の大好きな白髪の爺さんだった。今までも何度かカウンターに突っ伏して寝ているのを見たことがある。今回もその類だろうと、そう思っていた。
「流石に体壊しますよ、起きてください」
鞄とお土産袋をカウンター席に置いて、彼の下へ近付く。心配したり寝てるのを起こしたりすると無言でゲンコツを落とされるが、流石に放っておけるような状況でもない。
後でブン殴られよう。この人のゲンコツは痛いけど、何故か安心するからなぁ。
なんて考えて、静寂の中触れた彼の体は――。
「……大将?」
俺が一人になった夜の婆ちゃんと同じ、寂しくて悲しい温度に包まれていた。
――――――――――
ということで、第三章は終わりです。
次回、絶望の最終章。書き終わったら投稿します。
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