第18話(月野ミチル)

018(月野ミチル)



 トロッコ保津川峡駅、付近のベンチ。



 車両を降りてから随分と時間が経った。もう既に、時刻は13時を回っている。



 駅前のベンチに座ったまま、スレ違うとこちらを見てニコリと笑うお婆さんたちに私は照れている。しかし、流石は居酒屋さん。気さくに「調子はどうですか」なんて聞くシンジくんには、いつもの陰キャ感があまりなかった。



 いや、ただお婆ちゃん子なだけか。



「お二人は、お付き合いされて長いの?」

「いえ、僕らはそういう関係ではないんですよ」

「あらあら、ごめんなさい。何だか、とても落ち着いた雰囲気だったのでつい勘違いしてしまいました」

「気にしないでください、僕が老けているだけです」



 ……まぁ、このおバカはさておき。



 気になるのは、彼が1時間に二度やってくるトロッコが到着するたび入口に振り返っていること。

 誰かを待っているのが分かったのはついさっき。しかし、今話していたお婆さんたちが駅の中へ入ったのを見届けたところで、シンジくんはとうとうため息をついた。



「行こう、晴田が帰っちまうかもしれない」



 やっぱり、コウくんがどこに行ったのかは分かってたんだ。3時間も待ったということは、自分の推理が絶対に間違っていないという確信を持っているのだろう。



 行き過ぎた推理力は、きっと予知能力と変わらないんだと思う。シンジくんの力強い瞳を見ると、圧倒的な力の差に吸い込まれそうな気持ちになった。



 ただ、この強大過ぎる力も今では心地いい。なぜなら、彼が私の味方だって信じられるから。



「誰を待ってたの?」

「……まぁ、な」



 何だか困っているようで、私はそれ以上何も言えなかった。仕方なくベンチから立ち上がり、彼の後をついていく。



 保津川へ向かって歩いていくと、そこには古ぼけたお寺が建っていた。どうやら、もう使われていないらしい。狭い境内には雑草が生えっぱなしになっているし、あるべき神額(お寺の名前の看板)が外されているからだ。



「入っていいの?」

「ダメだろうな」



 言いながら、シンジくんは境内の中を進んでいく。追いかけるとすぐに石に躓いて転びかけたけど、シンジくんの背中に前のめりでもたれかかった。



「ほら」



 振り返ると、彼はそっと手を貸してくれた。体勢を立て直し、出来れば繋いだまま歩きたかったけれど、そこまでしてくれるワケではないらしい。再び離して、彼は自分が転びそうになりながらゆっくりと進んでいく。



 お堂の側面に着く。すると、角の向こう側から楽しそうな声が三つ聞こえてきた。一つはコウくん、一つは……。この女の子の声はシズクちゃん? まさか、秀雲学園だけでなく芒商業まで同じスケジュールだったなんて。



「風谷と会った日、俺はサオリとも会ったんだ。雲井を説得するのに協力してくれてな」

「ふぅん。私、それ聞いてないよ」

「あんな場所にサオリがいた理由は、同じエリアの高校が手を組んで同じホテルに宿泊し割引を使用するためだ。昨日の夜、ウチの実行委員の諏訪に聞いて確かめた」



 私の反応は無視ですか。



「諏訪さんってどんな人?」

「隣のクラスの女子生徒、浜辺のカノジョ」

「……あぁ、なるほど。あの茶髪の子か」



 どうやら、シンジくんは仕事通り浜辺くんと諏訪さんをくっつけていたらしい。それにしても、そのさり気なさはちょっとカッコよすぎるんじゃないでしょうか。



「だから、俺は晴田に芒商業の存在を伝えた。あいつは逃げたんじゃない、自分の過去と決着をつけに来たのさ」



 角を曲がると、三人が私たちの方を見る。私の見知らぬ男の子が一人。けれど、彼の正体は考えるまでもなく明らかだった。



「やっぱり、お前が最初か」



 言われ、シンジくんは寂しそうに笑った。こんな表情、初めて見る。



「よっす、シンジ。この人が、ウチのナニガシくんね」



 シズクちゃんに紹介されて、何某くん改め水窪カイトくんがハニかむ。コウくんとは違うタイプで、浅黒い肌と顔が男らしく結構カッコいい。ボート部に入っているせいか、二の腕と肩の盛り上がり方が凄かった。



 強そうな人だ。この人が昔はコンプレックス塗れだったというのだから、男の子って分からないなぁ。



「はじめまして。キミにはお世話になった。……ってことでいいんだよな?」

「さぁ、どうだろう。雲井からはなんて?」

「俺の次にかっこいい男だって」



 シズクちゃんを見ると、ニヤニヤしながら私の顔を見ていた。なによ、今更その程度じゃ私は心配なんてしないんだから。



「それで、晴田。昔話は終わったのか?」

「あぁ、終わったよ。凄く楽しかった。二人の祝福も済ませたし、晴やかな気分さ」



 シズクちゃんと水窪くんは、どうやらそういう関係らしい。



 私が言っていいのかは分からないけれど、他のモノはすべて持っているのに、コウくんは自ら欲しがったモノを一つも手に入れていないことに気が付いた。



 ……謝ったら、絶対にダメだよね。



「これが、お前の望んだ結末なのか?」

「そうだ。お前には、本当に感謝してる」



 どういう意味だろう。首を傾げるのは、私とシズクちゃんと水窪くん。しかし、シンジくんはまたしても小さくため息をつくと何故か頭を振った。



「……もう少し、待ってみてもいいんじゃねぇか?」



 私は耳を疑った。あの高槻シンジが、前に進もうとしている人の足を引っ張っているように聞こえたからだ。



 彼は、そういう人間を嫌悪しているし何よりも見下している。それなのに、きっと迷いを吹っ切ったハズのコウくんの発言を取りやめるように提言したのだ。



 そして、その時ようやく理解した。



「いいんだ。俺は、その程度の男だったんだよ」



 シンジくんは、コウくんの実力をこの世界の誰よりも認めていたんだって。



「……どうして、コウくんがここにいるって知ってたの?」



 頭をポリポリとかいて、意外そうな顔をするシンジくん。認めてくれたのは嬉しいけど、それを私が知っていると思うのはいくらなんでも買い被り過ぎだ。



「今回はほとんど直感だよ。強いて言えば、晴田が水窪と会いたがってるならここしか無いんじゃないかってくらい。お誂え向きな場所だからな」

「……あ、子供会の入寺体験か」



 それは、コウくんが前を向いていなければ、本気で過去と決着をつける気がなければ、絶対にこうはならなかった結論だった。逆説的に、シンジくんがコウくんを信頼しているということになるのではないだろうか。



 自分だったら、ここを選んだから。彼が、そう言っているようにしか聞こえなかった。



「俺さ、本当は分かってたよ。多分、高槻しかこの場所を見つけられないってこと」

「……そうか」



 シンジくんが唇を噛み締めている。なぜ、そんなに辛そうにしているのだろう。



「ミチルにフラレてからずっと考えてたんだ。どうして、俺はまた恋なんてしてしまったんだろうって。あんなに辛い思いをしたのに、不思議で仕方なかったから」

「答えは出たのか?」

「出なかったよ。だから、お前にみんなのことを頼んだんだ」



 そして、コウくんは気がついているだろうか。



「でも、たった今。幸せそうなシズクとミチルを見てわかったよ」



 自分が、声もなく泣いていることに。



「本気で恋をしている女の子に。一人を選ばなければ決して貰えない美しさに。俺は、いつの間にか見惚れてしまっていたんだ」



 水窪くんとシズクちゃんがコウくんの肩を叩く。



 それを受けて、コウくんの目から涙が溢れ出す。まるで、今までずっと無表情と鈍感がせき止めていた感情が決壊したかのように、泣きながら、彼は最大の自嘲を含めた笑い声をあげる。



 シンジくんは、私たちに背を向けて空を仰いだ。



 ……やがて。



「さて、高槻。力の足りない俺に、どうか彼女たちの過去を教えて欲しい。それで、ホテルに戻ったら淡々とすべてを終わらせるよ。誰も選ばないのなら、簡単なことさ」

「……あぁ」

「はは、お察しの通り。お前が最初に来たのなら、俺は誰も選ばないって決めてたんだ。お前がきっとそうだったように、俺もすべて壊してゼロになって。また、新しい恋でも探してみるってね」



 ……シンジくんは、一体どんな気持ちでやってくるトロッコを見ていたのだろう。コウくんは、一体どんな気持ちで私とシズクちゃんを見ているだろう。



「ごめんな、晴田」



 ポツリ、上を向いたままシンジくんが呟く。



「な、なんでお前が謝るんだよ。意味が分からないぜ?」

「今の俺なら、もっと上手にやれた。お前のことも救ってやれた。足りなかったのは俺の実力だ、彼女たちは悪くねぇ」



 そんなことないって否定したかったのに、ならば誰が悪かったのかが分からなくて言葉が出てこない。



「否定したかった。俺は間違ってないって思い込みたかった。だから、あの日の俺はお前にムカついたんだ」



 だから、せめて彼の震える背中から、私が目を逸らすワケにはいかなかった。



「ハーレムを作るこいつには、きっと俺が恋をする女だって、片手間で愛する気持ちを向ければ充分なんだろう。俺がいくら本気を出したって、お前が少しいい顔をすれば俺はその女から見捨てられるのだろう。そう考えただけで、怖くなった」



 水窪くんがシズクちゃんの手を握った。多分、無意識に縋ったのだろう。



「そんな俺の劣等感が、人助けという俺の唯一の存在証明すら曇らせた。ただ、お前に嫉妬して捻くれた方法を選んだ。ミチルにもキツい思いをさせた」



 誰のことも信じていない。一途を求める彼こそが、誰よりも人のことを信じてない。きっと、それはシンジくんが最も嫌うタイプの人間だ。裏切りより、無関心より、何よりも嫌いな人間こそが彼にとっては高槻シンジだった。



 歪過ぎるよ、本当に。



「悪かった」



 目を拭うと、こちらへ振り返る。



「……っ」



 彼は、また大人になったみたいだ。



「じゃあ始めるけどよ。雲井と水窪には、聞かせちまっていいのか?」

「あぁ。むしろ、巻き込んだから最後まで付き合ってもらうよ。俺のことを、二人にも知って欲しいんだ」



 そして、ゆっくりと顔を向けたシズクちゃんと水窪くん。シンジくんは諦めたように笑うと、私に聞かせてくれた三人の過去を静かに語った。



 シンジくんが教えてくれなかったみんなのお願い。どうやらコウくんは、自分の力だけで解決しているようだった。

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