第15話(榛名ココミ)

 015(榛名ココミ)



 地元名家の一人娘として生まれ育てられた私は、幼少の頃から躾は厳しくとも不自由のない生活を送ってきました。



 それは、将来的に私が榛名の家を継ぐことが約束されていたからです。父が、街のためにどれだけ尽力し財産を使ったのかを私は知っています。その役目を、私が引き継ぐためです。



 言わば、私は決められた不自由のために楽しい人生を先払いして貰っていたのです。大人になれば父と同じよう町家に尽くす未来が確定しているからこそ、その覚悟を決めるための生き方をさせてもらっていたのです。



 私は、そのことを誰に言われるまでもなく気が付いたほど、使命のある人生に責任を持っていました。



 人生を自分の好きなように生きていける人たちから見れば、それは酷く窮屈な生き方なように思えるかもしれませんが。私は少しだってそうは思いません。



 だって、私は町家が大好きです。



 そのために、教養と人脈を受け継いできたのです。自分の実力を発揮する舞台があるだなんて、そのために頑張ることが出来るだなんて、好きな生き方を選べる人よりも幸せだと思います。



 私が何者かと言われれば、町家の防人です。大好きな町を守ることが生き甲斐だと、心から信じていました。



 ……なのに。



「ココミ。お前は、榛名家のために生きる必要なんてない。今の時代、そんな責任を娘に託したりはしない。これからは、自分の好きなようにやりなさい」



 高校受験が控えた当時、父が告げたのは私が実家の重圧に耐えることはないという言葉でした。名門である白百合ヶ丘学院の入試のため、友人との時間を費やして勉強していた私を、どうやら父は見兼ねたようでした。



 父は、父親として私を逃がしてくれたのだと思います。きっと、私は自分では気付かないうちに無理をしていて、学力にそぐわない高校を目指していて、だから呪縛から解き放ってくれたのだと思います。



 思い返せば、それまでもずっとそうだったのかもしれません。私は、自分のレベルよりも明らかに高いハードルを越えようとしていて。そのたびに垣間見えた私の不安定な姿が、父は痛ましかったのかもしれません。



 そんな生き方を、可哀想だと思ったのでしょう。だからこそ、父は私に自由を選択するよう告げてくれたのです。



 けれど、そんなことを言われてしまった私は、途端に目の前が真っ暗になったような気がしました。今更自由に生きてもいいだなんて、何も決められていない道を歩むだなんて。



 ……人生が、怖くなりました。



 本当は、父の優しさだと思い込まなければ立っていられなかっただけなのです。父はきっと、白百合ヶ丘学院に入学出来ないであろう私には、町家を守ることなど到底無理だと知っていたのです。



 何故なら、父は優しくなりました。それまで厳しく躾をしてきた父が、まるでホームドラマで見るような理想的な父となった理由は、やはり私を諦めたことによるのでしょう。



 その甘さが、私は辛いです。防人の道を閉ざされた事実から目を逸らさせようと、私を守ろうとしてくれるのがひたすら辛いのです。



 町家を守るべきであった私が、これまでの人生で豊かさを享受してきた榛名ココミが。これからも町家が与えてくれる恩恵にだけあやかって、自分が何も返せないでいる現実が本当に苦しいのです。



 救われない人々がいることを、私だって知っています。何一つ持たずに生まれ、育ち、そして戦う人がいることなんて最初から分かっています。



 それなのに、もしかしたらその中に大きな才能があって、きっと町家を守ってくれる人がいるかもしれなかったのに。そんな芽を犠牲にして、救われない人の上に立って、私だけが普通以上の自由を謳歌しろだなんて。



「耐えられるワケ、ないじゃないですか……っ」



 出自を仕方ないと開き直り、恵みをどうしようもないと受け入れて、その上に胡座をかく生活を楽しいと感じられたのならどれだけよかったでしょう。



 ……でも、そんなの無理に決まっているじゃないですか。



「そう思わないように私を育てたのは、他でもないだったじゃないですか!!」



 叫んでも、父は優しく微笑むだけ。嘗てくれた厳しさは、きっと防人としての彼だった。本来の父親としての彼が、今の姿だった。

 ただ、それだけのことなのに。私には誰も守れないことを如実に表していました。私は、悔しさで泣くことも出来ず家を飛び出して。



 そして、町家の一番高い場所で灰色の景色を眺めていた。そんな時でした。



「……どうしたんですか?」



 その人は、酷く傷ついた様子でベンチの端に座っていました。私が声をかけたのは、絶望に包まれた彼の姿が、きっと私に酷似していたからだと思います。



 彼は幼い表情を酷く歪ませて、涙を堪えていました。いいえ。もう既に流し終えて、諦めてしまった後だったのかもしれません。そんなか細い魂から、絞るようにして彼はこう言いました。



「どうにもならなかった」



 一言だけ呟き、彼は町家繁華の一画を指差しました。町家の闇が渦巻く裏のエリアの、お城のような建物。あれが何なのか、世間知らずな私でも流石に知っています。



「失恋、したんですか?」



 彼は、何も言わずにベンチから立ち上がると私に背を向けました。一体どこへ行くつもりなのでしょう。どうにもならなかった現実から逃げた先で、私からも逃げ出して。脆い心のまま、次に何かを受け止めてしまえば、彼は一体どうなってしまうのでしょう。



 ……ならば、誰かが彼を守らなければいけません。



 町家の防人になれなかった私でも、たった一人の男の子なら守れるかもしれません。何より、私の大好きな町家に、こんな悲しい顔をしている人がいていいハズがないです。



「待ってください」



 こうして、私は晴田コウさんと出会いました。失われた使命を果たすため、彼を守ると誓ったのです。



 私が出会う相手など、誰でも良かったと笑う人もいるかもしれませんが、しかしこの偶然こそが運命です。自由を謳歌してもいいと言うのなら、失格した私の人生のすべてを彼に注ぐことこそが最大の謳歌だと感じたのです。



 真っ暗になった私の人生に、新たな道が照らされたような気持ちでした。

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