第11話 ②(月野ミチル)

 ……昼間の会話で、シンジくんはなんて言ったっけ。



 クライアントと標的は告白して成功させられる関係でない。絶対に成功させるなら絶対に成功する状況を作り出す。サオリを好きになったのは一瞬だった。



 サオリを好きになったのは、一瞬だった。



「……違う」



 そうじゃない。知り合ったことと好きになったことは、全くの別問題だ。



 そんなこと、私が一番分かってるではないか。私が恋に落ちたのは、コウくんをやっつけたシンジくんの最悪な印象が、周囲に聞いていたシンジくんの最悪な印象が、彼の一途さとひたむきな性格で一挙に裏返ったからなのだから。



 ならば、シンジくんが与えてくれていたヒントとは――。



「なにが違うのよ、ミチル」



 閃いた方法にハッとして、私はサオリの質問にそぐわない答えを口にしてしまった。



「今成功しないのなら、成功するまで下積みすればいい。つまり、クライアントをサオリたちの標的にして、その人に告白を我慢させるのが最善策なんだ。シンジくんは、



 その時のシンジくんの表情は、今までに見たことのないくらい驚いているようだった。それも、どこか優しくて温かい。まるで、私の成長を見てくれているお父さんのように心強い表情。



「ミチルの言う通り。あたしたちは、既にそっちへ行動をシフトしている」



 一方で、サオリは当然といった様子で極自然に会話を進めていく。流石は秀雲学園に通ってるだけある。彼女の会話のスタンダードは、ストレスのない知能と反応を備えた生徒で構成されているに違いない。



 二人にとっては当たり前。けれど、私にとっては大きな一歩。ようやく背中が見えてきたようで、私はすごく嬉しかった。



「まったく、自分の頭の硬さには嫌気が差すわね。なぜ円満に解決する方法がクライアントの依頼を達成することだけだと思ってたのかしら。どう考えたって、そっちの方が希望が見えてくるもの」

「仕方ねぇよ。そういうのって、経験して初めて生まれる発想だし」

「えぇ。だから、今回の作戦は旅行中に標的からの好感度を稼ぎつつクライアントを説得することに絞った。そのためには――」

「うぅん。それだけじゃ50点だよ、サオリ。クライアントの子の願いも聞いてあげて、人助けは初めて100点なんだと私は思う」



 言葉を遮ると、サオリは片方の眉毛をあげて私を見た。落ち着いていない。きっと、私は成長している私に興奮してしまって、相手の話を最後まで聞けるほど冷静じゃない。



「どういう意味よ、ミチル」

「好きだって告白することと、付き合ってくれと頼むこと。それもまた、別のことなんだから。修学旅行の最後には、クライアントの子が標的の子に好きだって告白させてあげるのがいいよ」



 そして、一拍だけ置いて。



「自分の好意を知っているからこそ、相手が許してくれるアプローチもある。私は、そういうふうに学んだよ。それに――」



 ……一瞬の間。続いて訪れた、こんなに静かな音を私は聞いたことがなかった。



 話の途中、徐ろに椅子から立ち上がったシンジくんは、ラウンドテーブルに置いてある湯呑みへパックを置きトプトプと柔らかく湯を注いだ。



 そして。



「ほら」



 こんなにも静かな理由が、自分の心臓が破裂しそうなくらいドキドキしていて、周りの音が遠く聞こえていただけなんだと気が付いたのは、お茶を淹れ終わったシンジくんが再び椅子へ座ってからのこと。



「落ち着け、ミチル」



 完全に、私が掌握されている。



 今、どんな感情でいたのかをすべて理解されている。それはきっと、天才じゃないシンジくんが踏み締めた道に私がいる証明なんだって思って。この高揚と酷似した感情で彼が犯した嘗ての失敗を、未然に防いでくれたんだって分かってしまった。



「……んふふ。うん。お茶、ありがと」



 不思議な幸せのせいで、私の意志とは関係なく動き出しそうな口にゆっくりとお茶を付け、熱い味でニヤけかけた表情を落ち着かせる。今度は、解き明かす危険に酔い痴れる感覚の甘さに耐えられように頑張らないと。



「……そっか。もう、手遅れなのね」



 呟いたのはサオリだ。自分を落ち着けるので精一杯の私には、彼女の呟きの意味は分からない。まだ、明日が丸ごと残っているのだから、依頼を成功させる算段なんてこの二人なら思いつきそうなモノだけど。



 シンジくんは、何も言わなかった。どうしてだろう。ここで何も言わないことが、シンジくんがサオリと一緒に私を呼んだ理由になっている気がした。



「サオリ。俺は、ミチルのやり方を勧めるよ。せっかくメンバーが集まるくらい良くなってるお前のチームの評判。こんなしょうもないクライアントのわがままで落とすワケにもいかないだろ」

「……そう、かもね」



 換気扇が回る音が響く。どれだけの間、それを聞いていただろう。やがて、サオリはベッドの端を掴むと首を傾げた。



「やるじゃない、ミチル。あんた、そんなに賢かったっけ? 少なくとも、あたしに相談持ちかけてた頃はもう少しアホの子だった記憶だけど」

「アホってなによぉ。私だって、一応西城高校に通ってるんだからね?」



 サオリが見せたのは、なんだか切ない笑顔だった。



「引き伸ばすための方法、ここで考えるか?」

「うぅん、いらない。さっきも言ったでしょ、ここに来たのは報告をするため。シンジの力なんて、もう借りたりしないんだから」

「そうかい」



 言いながら、お茶を飲み干して立ち上がる。



「あたし、もう自分の部屋に戻るわ。夜だって、貴重な行動時間だもん」

「分かった、頑張ってくれ」



 何となく、シンジくんが私にも出ていけと言っているような気がしたから、サオリに続いて立ち上がる。彼女は、引っ掛けてあるシンジくんの制服をジッと見つめてから、振り返らずに外へ向かった。



「あたしの依頼の顛末、興味ある?」

「いいや、ない」

「そう。なら、ここでお別れね。また、機会があったら会いましょう」

「あぁ、仲間たちによろしく」

「ふふ。あんた、そんなこと気にするガラだっけ?」

「昔は違った、今はそうなんだ」



 そして、サオリに続いて私もシンジくんの部屋を出た。扉を閉じる寸前、「手間ぁかけたな」と小声で呟いた彼の表情が、振り返っても狭い隙間からでは薄暗くしか見えなかった。



 ……。



 私は、やっぱり確かめることはしなかった。

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