第10話
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一日目の観光を終えて、バスは立派なホテルへと辿り着いた。
新海が用意したという一人部屋は、西城高校の生徒たちが泊まるフロアから2つ上の階にあって、どうやら俺は完全に孤立してしまったようだった。
「問題を起こさないように」
その先生の言葉が、俺には『面倒だから見回りとかしないけど、変な騒ぎは起こすなよ』と言っているように聞こえた。
実際、多分そうなのだろう。プログラムをよく確認して夕飯と入浴の時間を絶対に間違えるなと三回も念を押されたからな。
「それにしても、いい部屋だ」
俺の住処よりほんの少し狭いサイズの部屋には、シングルベッドと小型冷蔵庫、電子レンジにケトル、更にはアメニティが充実していて、ロッカーには予想通り浴衣が掛けてあった。シャワールームも完備してある。
「……うむ」
帯を締めて羽織に袖を通し、やたらとしっくりくる和装姿の自分を姿見で確認しつつ、顎に手をやってカッコつけて遊んでいると、当然のことだが何の前触れもなくブブブとスマホが揺れた。
『あんた、同じホテルに泊まってたのね』
サオリからだった。何故か、直感で誂われていると思った。
だから、カマをかけるために『トボケなくていいぞ』と返信。更に送られてきたメッセージには『うっざ笑 脅かそうと思ったのに笑』と書かれていた。サオリは、最初から西城高校が同じホテルに宿泊することを知っていたようだ。
あいつは修学旅行の実行委員でもやっているのだろう。団員を引き連れて人助けをする程度にカリスマがあるのだから、抜擢されていても不思議じゃない。
『両想いにさせる作戦、早速取り掛かったわ。難しいけど、やり甲斐はある』
『そりゃよかった』
『あんたにしてみれば全然ごっこ遊びに見えるだろうけど、いつかは必ず並んでみせるから』
『すぐだろ、ミチルだってあっという間に俺を言い負かすようになった』
湯を沸かし、アメニティのグリーンティーを湯呑みに移すと持ってきた文庫本の続きを読む。
それから、何分後だろうか。再び震えたスマホの表示は、トークではなく着信の通知であった。
「どうしたよ」
「シンジ、もしかして一人部屋?」
「いいや、違うよ」
「窓の外、何が見える?」
駅の向こうには京都タワーが聳え立っている。ビルの足元は土産屋と居酒屋の提灯が夕暮れを照らしていて、京都と言われて想像するには些かモダン過ぎる風景だと思った。けれど、古都とはいえ現代日本だし、こんなのはどこの部屋からも同じモノが見えるだろう。
「ふふ、やっぱ一人部屋なのね」
なに?
「だって、死ぬほど貧乏人のシンジが修学旅行に来てることが不思議だもの。特例措置があると思った」
やられたな。どうして分かったのか、是非とも教えてくれないか?
「あたしの部屋、未成年しかいないからか落下防止のためにシャッターが降りてるの。隣の部屋もそう。多分、大人数で泊まれる部屋には事故防止で設置してある。そして5階より上のシングルルームには、外から確認してみたけどシャッターがかかってないみたい」
なるほど。呟いてから、俺はケトルの湯を湯呑みに注いで緑茶をチビリと飲んだ。
「でも、どうしてそんな変な嘘つくのよ」
「深い意味はないよ」
「あたしが遊びに行くと、ミチルを裏切ることになるから?」
「どうだろうな。なんでか分からないけど、この期に及んで俺はあいつに恋してないから分からん」
縦すべり出し型の窓を開く。冷たい風が吹き込んできて、とても心地よかった。
「男としてどうかしてる。女のあたしが言うのも何だけど、あの子にあそこまで真摯に慕われて惚れ返さないなんてあり得ない」
「色んな奴の恋愛を見て、嫌な部分を知りすぎて、当事者になりたくないって思っちまったのかもしれないな」
「……積み重ねたが故の臆病ってこと?」
「レトリックは任せる」
しかし、彼女は何も答えなかった。自己矛盾である種のパラノイアに苛まれていることくらい、自分でも充分に承知しているつもりだったのだが――。
「なら、あたしは?」
やがて導かれたのは、俺が想像だにしていなかった新しい命題であった。
「それ、面白いジョークだな。どこで売ってたんだ?」
「分からない。いつの間にか持ってたの、さっき気が付いた」
聞き慣れないサオリのしおらしい声のせいか、言葉に詰まったのは俺だった。下の大通りを救急車がサイレンを鳴らして走っていく。その行く末を見ながら何を言うべきか考えていたが、ついに俺は静寂を破れなかった。
「506号室ね」
「……怖いな、お前」
「推理じゃないわ、ちょうど外にいるから簡単な微分積分の計算をしたの。あんたがさっき言った部屋の景色、見えるのは5階の偶数部屋。6階より上は商店街の屋根で提灯が見えにくいハズだし、奇数部屋は廊下の反対にある」
思わず息を呑んだ。更に、サオリの推論は続く。
「ピタリと当てられたのは、今のサイレンの残響があんたの電話口から消えた時間と、あたしの目の前を通過した瞬間から逆算したから。そして、誤差の範囲に当てはまるのは504号室。そのホテルの客室に、末尾4の部屋はない」
アンビリーバボーだ。その力の強さに、俺が散々言われて辟易としている例の言葉を。ましてや、なんと言って返されるのかも知っているのに言わずにはいられなかった。
「スゲェよ、お前」
「買い被りよ」
確かに、解き方を知っていれば大した問題ではないのかもしれない。しかし、数学的な応用力が身についていない俺にとっては、そんな所業は神業だ。
そして、こんな神業を『買い被り』の一言で片付けられた気持ちで、ようやくミチルがどんな思いをしていたのかを知った。自分には出来ないことを否定されると、寂しい気持ちになるんだな。
「まぁ、いずれにせよ答えはノーだな。あの学級裁判がなくたって雪原サオリは俺の手に余る。お前は俺と出会わなくても、きっと今のように成長してたさ」
「嫌いだからじゃないの?」
「少しだ、それ以上に尊敬してる」
「ふふ、ちょっとは嫌いなんだ」
「嫌いなところもある、当たり前のことだろ。完全に嫌うのも完全に好くのも、極端なのは難しいモンだ」
三度、静寂。こうして電話を耳に当てたまま黙っているというのは、時間を浪費しているような気がして勿体ない感覚になってくる。
「クライアントと標的が両想いになる、いい方法を思いついたわ。今から、そっちに行っていい?」
「後にしてくれ、ミチルも呼んでおくから」
それに、お前のお陰で俺もいいことを思いついたさ。
「……へぇ」
肯定されると思っていなかったのか、興味深そうに呟いて通話を切ったサオリ。し『八時以降にしてくれ』と最後のメッセージを送り、それはすぐに既読となった。
……煮え切らない彼女の声を聞いて、俺はふと『恋をする資格』というミチルの言葉を思い出していた。
果たして、俺は本当にそれをてにいれることが出来ているのだろうか。なんの意味もなく抽象的な問題で悩む自分がおかしくて、俺は有無を言わず頭から水のシャワーを被った。
先に言っておくが、間違いなく間違いは起こらない。そういうイベントは、俺の物語には期待しないでくれ。
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