第6話(月野ミチル)

006(月野ミチル)



 ……何故か、手を握ってくれてる。



 手を握ってくれてる。肩を貸してくれてる。優しく握ってくれてる。シンジくんの匂いがする。牛乳石鹸の優しい匂い。ちょっと渋いお線香の匂い。この前お家に行ったときに嗅いだ匂い。



 好きな男の子の匂い。



「起きたのか」



 薄めで見た彼は、文庫本を広げて目も向けないまま気怠そうに言う。けれど、どうしてもこのままでいたくてシンジくんの声を無視した。本のタイトルは『毒入りチョコレート事件』。私でも名前だけは知ってる、すごく有名な話だ。



「人って、起きてると自然に体に力が入るんだよ。さっきまでのお前より、幾分か軽くなったぞ」

「……私、そんなに重くないハズですけど」



 しまった。



「そうじゃない。意識が無くて全部の体重を預けてるのと、首に力を入れて乗せるのじゃ掛かり方が違うってこと。もっとも、俺とお前じゃそこまで体重に違いはねぇだろうけどさ」

「はぁ!? いや! 絶対にそんなことないから」



 しかも、ダブル墓穴だ。



 私は、手の方にばかり集中して体全体の強張りを考慮していなかったのだ。せっかく死ぬ気で脱力して寝てるフリを貫こうと思ったのに、どうしてそんなに酷いことをするのかしら。



 やっぱり、触れ合ってても嬉しいのは私だけなんだって。何だか、ちょっぴりセンチメンタルな気分になった。



「ミチル、行きましょ」



 バスが金閣寺に到着すると、ミキちゃんが私に声をかけた。



 友達じゃなくなってから、彼女は個別で私に話しかけてくるようになった。ある意味、関わり方の変化が一番大きかった子だと思う。このグループに誘ってくれたのも、実は彼女だったりするのだ。



「うん」



 ミキちゃんは、シンジくんを一瞥すると私と一緒にバスから出た。どうやら少し酔ってしまったらしい。顔色がよくないように見えたから、自販機でお水を買って渡すとベンチに座って二人で池の上の金色を眺めた。



 彼女は、気の強い性格に反してあまり体が強くない。今までに何度か、体調不良で休日の予定をキャンセルすることもあったのだ。



「……なんか、調子でないのよ」

「なんで?」

「高槻の奴に色々言われたせいで、ちょっと恥ずかしくなったから。あたし、タダでさえ素直じゃなかったのに、ココミやカナエみたいに開き直れなくてさ」

「ふぅん、そっか」



 ミキちゃんが、自分が素直じゃないことを知っていたとは思わなかった。彼女みたいなツンデレちゃんって、てっきり無自覚なモノだとばかり。



 金髪とロング丈のブラウスにテーパードのかかったスラックス。この妙に隙のない感じも、わざとじゃなかったのだろうか。



「あれ。でも、私には素直に話すんだね」

「だって、あんたは強くなったもの。あたしより強い奴に甘えるのは、別に恥ずかしくないわ」

「変だよ、それ」

「でも、仕方ないじゃない。女って、多分そういう生き物なのよ」



 拡大解釈に聞こえるけれど、肯定も否定もしなかった。



 それにしても、果たしてそこまで言ってくれる、しかし友達じゃない間柄なら私たちの関係は何だろう。少し考えたけど答えは見つからなくて、もしかするとそれが私の導くべきモノなんじゃないかって思った。



 ……不思議な気分のまま、行列を眺める。



 クラスのみんなが、ゾロゾロと砂利道を歩いている。その中でシンジくんは金閣寺の写真を撮ると、少しだけニヤついてから楽しそうに歩くハーレムのあとを静かについていった。



 得意料理といい、お寺や神社巡りといい、彼の好きなモノって本当にお年寄りみたいだ。何でかわからないけど、ちょっとかわいい。



「ミチル。高槻から、あたしのこと聞いた?」

「うん、頑張るって言ってたよ」

「病み上がりなのに?」

「彼には、そういうの関係ないんだよ。やるって言ったら、必ず最後までやり遂げてくれるの」

「そう……」



 少し経って、ミキちゃんが立ち上がったからあとに続く。ザッザッという小気味よい音を鳴らしながら、彼女は徐ろに口を開いた。



「ミチルはさ、あたしの昔のことって考えたことある?」

「うぅん、ないよ。だって、互いに詮索しないのがルールだったじゃん」

「……あたしは、実はずっと気になってたわ。もしも、あたしの過去が一番ショボくて、みんなと比べたときに全然絶望するレベルじゃなかったらって思うと怖かったの」



 前を向いているから表情は見えない。けれど、彼女がどんな気持ちでいるのかは察してあげられる。



「『その程度、全然普通だ』ってみんなに言われたら、もう立っていられないかもってさ。本当に、あたしって弱いわよね」



 私は、ミキちゃんの少し前を歩いた。



「行こう」

「……えぇ」



 みんなのところへ合流すると、コウくんはカナエちゃんと楽しそうにお話しをしていた。シンジくんとココミちゃんが微妙な距離間で二人を見ている。意外にも、彼女は嫌そうな顔をしていなかった。



「待たせたわね」

「あぁ。ミキ、具合は大丈夫か?」



 コウくんが訊く。



 どうやら、人の機微を感じ取るようになったというシンジくんの考察は正しいようだ。以前ならば、なんというかこう、もう少しトボけたことで結果的に元気付けていたからだ。



「悪くないわ、ミチルに看病してもらったから」

「そうか」



 少し気まずそうな表情で私を見る。コウくんと私は、あまり言葉を交わさなくなったけど、前よりも彼の言いたいことが分かるから返事を静かに頷くだけに留めてココミちゃんと立ち位置を入れ替えた。



 ……一抹の不安がある。



 なぜなら、私たちは無関係でいられることに安心していたのだから、コウくんが無自覚でなくなったとき、果たして彼は彼女たちの救いとなり得るのか? という命題があるからだ。



「それはそれで、晴田の計画通りなんじゃねぇかな」

「どういうこと?」



 報告がてら相談すると、シンジくんは金閣寺にスマホを向けてシャッターを切った。



「なぁ。この金ぴか、お釈迦様がいる建物は正式には舎利殿っていうんだ。三層からなっていて、テッペンには鳳凰が止まってる。有名な火の鳥、あれだけが創建当時から残る唯一の遺品さ。他は全部、一回燃えちまってるんだな」

「ほ、ほぇ〜。でも、急になに?」



 普段から饒舌なシンジくんが、まるで油でも指したベアリングみたいにもっと饒舌に話した。ためになる知識とはいえ、今は私の疑問を聞いて欲しいと思った。



「ほら、こっち来いよ。今な、ラインでカケルに写真を送ってくれと頼まれたんだ」



 何のことやらと思い近寄ると、シンジくんはスマホのインカメを向けて一緒にフレームに入ってくれた。パシャリと音が鳴った時、顔を作り損ねたと思った。



「……っ!?」



 あまりに咄嗟のことで反応ができない。彼は何とも思っていない様子でポチポチと文字を打ちそれをポケットにしまう。多分、カケルに写真を送って満足したのだろう。本当に、すべてが唐突で嫌になっちゃう。



 ……あとで、カケルに貰っちゃお。



「それで、なんだっけか」



 言いながら、彼はどこで買ってきたのか不明の緑茶を飲んだ。



「晴田の無関心の改善はヒロインズの幸せから遠ざかるって話だっけか」



 陰キャ、というには写真慣れし過ぎている。もしかして、シンジくんが働いているという居酒屋さんには若い女の人も来ているのではないだろうか。その人たちと一緒に写真を撮って、何なら知的さの虜になったファン的な人もいたりするのではないだろうか。



「ミチル?」



 ……ヤバい。モヤモヤがとんでもないことになってきた。



 しかも、こんな気持ちになったということは、つまり私がいつの間にかシンジくんを私のモノだって勘違いしていたってことだ。周りがみんな怖がっているからって、彼の一途な想いを向けてもらえているって思っていた証明だ。



 一体、いつからだろう。もしかして、最初からだったりするのかしら。恥ずかしい。



「役に立つって大見得切ったんだから、一緒にやってくれないと困るぞ」

「……うん」



 不貞腐れていると、シンジくんは呆れてしまったようで私から目を離す。この男の凄まじいところは、これを無自覚や当て付けでなく、私が何を思うか完全に分かってやってるってことだ。本当に自分へ向けられる好意度に興味がないのだろう。



 少しくらい、事情を聞いてくれてもいいのに。



 私は、みんなにバレないよう小さくなって、シンジくんの背中にコツンと額を当てた。

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