第5話

 005



 修学旅行当日の朝。



 結局、俺はヒロインズの過去を暴くヒントをほとんど得ることが出来なかった。というか、そもそも風邪をひいたせいで学校に通えていなかった。



 なんてタイミングの悪い話なんだと我ながら情けなく思うが、実を言うと俺はそれなりに病弱だ。適当にサボっても担任の新海に文句を言われないのは、このガリガリの体が突発的な病気に説得力を持たせているからという理由もありつつ。



 つまり、本当に診断書を貰えてしまうような始末になることも多々あるワケで。今回も、その例に漏れず季節の変わり目にちゃんと具合を悪くしてしまったということなのだ。



 本当に、想定通りに物事の進まない人生だな。



「情けねぇ」



 制服を着用し、おろし立てのシャツと、白シャツ、パンツ、靴下を予備含めて三着ずつ、そしてタオルに洗面用具をボストンバッグに詰めると、俺はマスクを付けてから家を出た。パジャマを持たないのは、一人部屋の俺は常備してある浴衣を借りられるみたいだからだ。



 熱は下がったものの、病み上がりの気分の優れ無さは布団で寝ているときと同じだ。まだ陽も浅い午前6時、冷たい空気と新聞配達のバイク音を聞きながらトボトボと学校へ向かう。



 頭がボーッとしている。さっき服用したロキソプロフェンの錠剤が、きっちり作用してくれるといいのだが。



「……おはよう、シンジくん」



 例の別れ道に、彼女は立っていた。ややタイトなニットにロングのプリーツスカート、39リットルサイズのキャリーバッグを持って不安げな表情を浮かべている。



 どうでもいいけど、クラシカルな服装も上品過ぎると逆にあざとく感じないモノなんだと思った。素材の問題だろうか、それともデザインのディテールだろうか。ミチルが身に着けているのは、明らかに高級な服だった。



「おはよう、ミチル。なんだ、わざわざ待ってたのか?」

「う、うん。やっぱり辛そうだね、大丈夫?」

「心配するな。晴田とヒロインズの仕事は、しっかりこなしてやるから」

「そういう意味じゃないよ。私は、シンジくんの体が心配なんだよ」

「大丈夫、元気いっぱいだ」



 ミチルは、フラフラ歩く俺の後ろをトボトボとついてきた。フラついて壁に手をつくと、後ろから俺の肩を支えて心配そうに俺を見上げる。せっかくの修学旅行の日に、そんな悲しそうな顔をするなよ。



「シンジくんが断るのを無視してでも、私が看病してあげれてればもう少しマシだったのかも」

「そんなことねぇよ、伝染る方が始末に負えなかった」

「ほ、本当に?」

「あぁ、本当だ」

「本当の本当に?」

「本当の本当だ。一緒に行くなら、いつも通りのしょうもない話をしてくれ」

「……じゃあ聞くけどさ。シンジくん、なんで制服なの? 意味分かんないよ」



 これこれ。この少し生意気で一言余計な感じが月野ミチルだよ。



「春と秋用の服を持ってないから。夏は、大将がハワイ旅行の土産にくれた幾つかのアロハと短パン着てるけどな」



 すると、なぜかミチルはヘラヘラと笑った。まるで、それを着ている俺の姿を知っていると言ったような思い出し笑いだった。はて、縁日の日は作務衣を着ていたハズだが、夏休み中にどこかで見られたかな。



「じゃあ、冬はどうしてるの?」

「制服に、婆ちゃんが使ってた紺色のダッフルコートを着てる。レディースだからボタンが逆で、ちょっと着辛いけどな」

「んふふ。なにそれ、私が服買ってあげよっか?」

「ばか、それは流石にたかり過ぎだろ」

「私からすれば、服もご飯も大差ないけどね」



 多少無理をしているようだが、ミチルがいつもの調子に戻ってくれてよかった。何も変わらないでいてくれる方が俺も気を負わなくて済む。メンタルが軽い方が、具合だって良くなるというモノさ。



 それから、出欠確認のホームルーム。バスは一クラスで一台、六台もの巨大な車両が立ち並ぶ姿は圧巻だ。生まれて初めて乗る乗り物に、俺は少しだけ興奮していた。



「おはよう」



 顔を合わせると、ヒロインズたちは申し訳無さそうな顔をして返事をする。嫌いな奴が病気してるのなら、もっと煽り倒すのが道理だと思うのだが。

 そんなことを考えていると、何とも意味深長な様子の晴田がやってきて、俺の顔色を文字通り伺ってから八の字眉で呟いた。



「高槻って、ちゃんと人間だったんだな。大丈夫か?」



 うるせぇや。



 なんだか無性に悔しかったから、連中をシカトしてバスへ乗り込んだ。隣には、まるで決まっていたかのようにミチルが座る。不思議に思い改めてしおりを開き座席表を見ると、確かに隣はミチルになっていた。



「俺の隣は山川だったハズだぞ」

「予定が変わったんだよ」



 山川を見る。奴は、不器用なウィンクをしてヒラヒラと手を振るだけ。



 俺が休んでいる間に、クラスメートたちが何かを仕組んだのが分かった。あらゆる不安が胸中に渦巻くが、バスは低いエンジン音を響かせて出発。余計に困りたくないから視界を細く開き、逃げるように狭い青空を眺めた。



「シンジくん、シンジくん」



 高速道路に乗ってもいないのに、すぐさまミチルが小さな声で言う。



「なんだ」

「推理ゲームしようよ。なにか問題出してみて? 私、絶対に解いてみせるから」



 どうやら、彼女は暇つぶしを所望しているらしい。薬の副作用で少し眠たいし、放っておいてくれるとありがたいが。シカトした方がむしろ面倒なことになるだろうから、とっとと出題するのが身のためだろう。



「みかんが売れるようになると、泥棒が増えた。なぜだろうか」

「ふぁ?? ちょちょちょ、もう一回! もう一回言って!!」

「……みかんが売れるようになると、泥棒が増えた。なぜだろうか」



 もう一度告げて、目を閉じる。心地よいバスの揺れに身を任せていると、次第にクラスメートたちの喧騒が耳に入る。その中から、座席の問題だろう。晴田とヒロインズの会話が一番大きく聞こえてくる。



「コウさんは、京都に行ったことがあるんですか?」

「うん、あるよ。昔、お寺に泊まったことがあったんだ」

「へぇ、一日だけの入寺ってこと? なにしてたの?」

「朝起きてお寺の掃除して、精進料理食べて、座禅を組んで、写経して。そんな感じだったかな」

「ふぅん、まんま僧侶さんのお仕事体験だね」



 なんか、今までのヨイショヨイショと少し毛色が違う会話だ。宗教や仏事に詳しくない俺は、それなりに晴田の経験に興味があった。彼の出自的なイベントだろうか。



「うぅ〜……っ」

「なんだよ、ミチル」

「分かんないよぉ! みかんと泥棒にどんな関係があるのよ!?」

「そういう、一見して共通点のないモノ同士に理論を立てるのが推理なんじゃないのか?」

「だからといって、いきなり難し過ぎるよ! ヒントちょうだい!」

「じゃあ、風が吹けば桶屋が儲かる」



 すると、ミチルは何度か瞬きをして顎に手をやりのウンウンと首を傾げる。しばらくは会話もないだろう。俺は、再び晴田の声に耳を向けた。



「昔って、いつ頃?」

「小学生の頃だよ」

「誰と行ったんですか? 一人で?」

「まさか、昔入ってた子供会のイベントだよ。多分、会長の趣味」

「ふふ。それって、興味のない人からすればいい迷惑ね」

「当時の俺もそう思った。でも、今となってはいい思い出だから」



 普通の口調で、しかも爽やかな話題をスットボケもなしに答える晴田は、控え目に言ってもモテる理由が分かってムカついた。やっぱり、欠点の無くなったイケメンってマジでムカつくし、力を貸すのも――。



「……あれ」



 俺、あんまりムカついてないな。なんでだろ。



「わかった! 泥棒さんはみかんが好きなんだよ!」



 首を傾げたとき、自信満々ってアホ面をぶら下げたミチルが人差し指をピッと立てていた。



「なら、今度はりんごが売れたときに泥棒が増える理由を説明出来ないと証明にならないな」

「えぇ!? えっと、それは……。も、もういっこヒント!」

「犬が西向きゃ尾は東」

「その慣用句を知らないけど!?」

「当たり前のことって意味だよ」



 顔を真っ赤にしながら考え込むミチルはどこか不細工で、いつもよりもかわいらしく思えた。尖らせた唇と眉間に寄せた皺。マドンナと親しみやすさは二律背反だろうが、俺はこっちの方が好みだった。



「もうダメ! 答え! シンジくん、答えくださいな!」

「冬が始まったからだよ」

「なにそれ!? なんでそうなるの!?」



 元気な奴。まるで、カラッと晴れたこの青い深秋の空みたいなテンションだ。



「みかんは言わずもがな、コタツのお供だろう。完熟して一番おいしい時期も9月から先の寒い季節だし」

「う、うん」

「そして、泥棒が活発に動き出すのは行楽シーズンの秋から年末までだ。つまり、みかんが売れる時期に人は家を空けるから泥棒被害が増える。いわゆる、相関関係ってヤツさ」



 こういう考え方こそが、推理の本質なのだと俺は思う。誰しも閃きさえすれば、何の関係も無さそうな情報同士が連結して当然の答えに行き当たる。むしろ、因果関係を探る方が答えから遠ざかることもあるほどなのだ。



 だから、俺は周囲の俺への評価を買い被りだと言っている。こういうのって、ほとんど気付けただけの運だからな。



「なら、空が澄むとか山火事が増えるとかでもいいってこと?」

「その通り、察しがいいじゃんか」

「あぁっ!! ぐやじいっ!!」



 どこからどう見ても納得してくれたようだった。少しでも退屈を凌げたのなら、俺は役目を果たせて満足だ。



「まだやるかい?」

「……やらない。私は寝るから、着いたら起こしてね」



 旅行が楽しみで夜更かししてしまったのだろうか、ミチルはブランケットを顎の下まで被って目を閉じた。以前にも増してアイドル感が薄れたような気がする。それが、どこから離れどこへ近づいてるのか、考えて小さくため息をついた。



 しばらく窓の外を眺めていると、ミチルは本格的に寝息を立てて俺の肩に寄り掛かった。「あざとい」と呟き白い頬をつねる。

 嫌な夢を見ているのか苦しそうな表情でいたから、ブランケットをかけ直して再び窓の外を見て知らんぷりをした。



 緑の案内標識を見ると、ちょうど京都へ入るところだった。ミチルが少し蹲る。今度は流石に放っておけなくて、窓の外を見たままブランケットの下で細く冷たい手を優しく握る。



「……行かないで」



 寝言を言っているのを見るに、確かに眠っているようだ。彼女が夢の中で誰を引き止めているのか、俺が知っているミチルの過去にその人物の心当たりはなかった。

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