第2話
002
翌日、修学旅行の予定決め特別ホームルーム。
特に問題もなく山川たちのグループへ参加した俺は、るるぶで仕入れたおすすめスポットを参考にして自由時間である二日目の最強観光ルートを構築していた。
「調べたところ、祇園エリアには食べ歩き出来る店が並んでる。まずはホテルからタクシーで女子の希望である八坂神社へ向かい、通りを抜けつつグルメを堪能したあとはメインイベントの清水寺へ行くんだ」
「なるほど。清水寺の近くに、俺が希望したうまいそば屋があるワケだな?」
山川の声に静かに頷く。どうやら、その付近に名店と言われる老舗があるらしいことは調査済みだ。
「そのそば屋で昼食を済ませ、今度は東出の希望にあった伏見稲荷へ向かう。そして、流れるように東福寺、三十三間堂を制覇したら宇治で抹茶のおやつを食べる。一服したら、最後に浜辺の見たがっている平等院を見てホテルへ帰る。これでとうだ?」
三バカが難しそうな顔を俺に向ける。
「かなりタイトなスケジュールだな、間に合うか?」
「交通状況次第では、東福寺か三十三間堂のどちらかを削ることになるかもしれないな」
「俺、そんなの嫌だよ。スムーズに動けるように準備しておこうぜ。シンジ、地図を見せてくれ」
浜辺に言われるがまま、くっつけた机にゼンリンの地図をコピーしたモノを広げ、四人であぁでもないこうでもないとワチャワチャ作戦会議を開始。
そんな俺たちの姿を見て何を思ったのか、同じ班の女子であると野瀬と蒲田が退屈そうに呟いた。
「こいつらガチ過ぎない?」
「ね〜、キモいね〜」
ふざけやがって、後参加とはいえ同じメンバーだ。俺が喝を入れてやる。
「お前らもマジメにやれ、京都をナメると死ぬぞ」
「えはっ!? ぷっはっは!」
「あっは! ひぃ〜っ!」
女子二人、いきなりの爆笑である。
その声に吊られて何事かと気になったらしく、他のクラスメートたちはノソノソと俺たちがビッチリ書き込んだプログラムとルート選択の地図を覗き、蒲田たちから伝播するように大爆笑し始めた。
な、なんだよ。何がそんなに面白いんだよ。
「シンジ。なんなんだ、こいつら。頭がおかしくなったのか?」
「分からんよ、東出。ほっといて作戦会議しようぜ。俺たちは、世界で一番京都を堪能する高校生を目指すんだ」
「そうだな、絶対に負けねぇ」
山川が何に負けたくないのかはハッキリ言って俺にも分からなかったが、楽しみたい気持ちは間違いなく一緒だ。早く動けるよう、フットワークの訓練もしておいた方がいいかもしれない。
そんなことを考えていると、突然肩を叩かれた。『殺されてぇか?』という残虐な気分で後ろを振り返る。そこに立っていたのは、想像もしていなかった人物だった。
「なんだよ、晴田」
爆笑していたクラスメートたちにも緊張が走った。
俺と晴田の仲など、下手をすれば学年中が知っていることなのだから。絶対にあり得ないことが起きている現実に目を疑っても、なんら不思議なことではない。
クラスの端に目を向けると、ヒロインズと月野がいた。前のようにギスギスはしていない。しかし、それとは違った不穏な空気が彼女たちを包んでいるように思えた。
「……は、話がある」
「なんだよ、このノートは見せねぇぞ」
「ち、違う。京都なんてどうでもいい。……いや、違う。どうでもよくない。……その、なんだ。話ってのは、実は悩みというか。頼みというか、今しか言えないことなんだが……」
「はぁ? 頼み? お前が、俺にか?」
思わず目を丸くして晴田を見上げると、奴は心底悔しそうな顔で右に俯いた。唯我独尊な晴田コウがタイミングも考えず、恥を偲ぶほどの並々ならぬ事情があるらしい。
……流石に、無碍には出来ないな。
「なぁ、長峰」
俺は、保健委員の長峰に声を掛けた。
「なに? 高槻」
「俺と晴田、保健室に行くから。なんか、こいつ体調悪いみたいだし」
「う、うん。分かった、先生が来たら言っとくね」
そして、俺は晴田を連れてカッポカッポと校舎裏へやってきた。自動販売機が視界に映る。奴の目を見て指差すと、渋る様子もなく100円玉を入れて俺にボタンを押すよう促した。
随分と察しがいいじゃんか。お陰で、ブラックコーヒーがミルクコーヒーに化けた。
「ごちそうさん。それで、なんの用だ?」
「……あの、だな。いや、別に大した用じゃないんだけど」
「大したこともないのに呼び出したのかよ」
「違う! 用がなきゃ誰がお前なんかと!」
「だろ? なら、話してみろよ。ミルクコーヒーも奢ってもらったことだしよ、ちゃんと聞いてやっから」
ボーっと空を見上げると、晴田は少し遠いところに寄りかかって息を整えた。
「ミチルにフラレたんだ」
「そうかい」
「幼馴染みにも会ってさ」
「ほぉ、珍しいこともあるもんだ」
「……トボけなくていい。お前、一枚噛んでるんだろ?」
「どうだろうなぁ」
苦悩する晴田の顔はいつもの数倍ムカつくようなイケメンだった。そういえば髪を切ったらしいな、耳と目の周りがスッキリしている。
なんだ、失恋した奴は髪を切るのがこの世界のお決まりなのか。仮に俺が失恋してこれ以上短くしたら、ほとんど丸坊主になっちまうだろうに。
「でも、ミチルのことを恨んでなんていないんだ。俺が休んでる間、お前が何をしてくれたのかココミたちに聞いてさ。いや、なんていうか。その……っ」
「いいよ、言わなくて」
「な、なんでだ?」
ミルクコーヒーを一口。いつも飲んでいるモノよりもスッキリとした甘みを確かめて、俺はゆっくり口を開く。
「俺らの仲に、そういうのはナシだろ。俺はお前が大嫌いだし、お前も俺が大嫌いだ。馴れ合いはよそうぜ」
すると、少し考えたあとに晴田は笑った。俺が初めて見た晴田の笑顔だった。
「本筋を話せよ、長居は出来ないぞ」
「そうだな。俺、この修学旅行の間に心を決めようと思ってるんだ」
「どうやって?」
意外なことを言っただろうか。晴田は何かを言いかけて、すぐに俺の方へ向き直す。
「……それが分からない。だから、お前に相談しに来たんだ」
「胸で選べばいいんじゃねぇのか、手っ取り早くて楽ちんだぞ」
ジョークのつもりだったのだが、晴田は切なげな表情を浮かべて首を横に振るだけだ。ついこの間まで鈍感過ぎるカス男だと思っていたのに、きっかけがあるだけでこんなにも思慮深くなるモノか。
「なぁ、高槻。お前、ミチルのこと好きか?」
褒めた瞬間、また逃げやがった。やっぱり、逃げ癖が根っこまで浸透してやがる。
「どうだろうな、嫌いじゃねぇけど付き合う気もねぇよ」
「……それ、あいつに言ってるのか?」
「あぁ、もう既にフってる。月野は、絶賛失恋中だ」
瞬間、晴田は俺の胸ぐらを掴んで軽い体を持ち上げる。手離してしまったミルクコーヒーの缶が、中身をぶち撒けながらカランカランと転がっていった。
「な、なんでだ!? なんでミチルをフったんだ!? お前が惚れさせたんだろ!? だったらお前が責任を取るべきだろ!?」
予想以上の戸惑い方だ。
俺を殴ったときよりも、泣きそうで脆い表情をしている。意味のない妄想のような話だが、もっと早くそんなふうに女を想えていればハーレムに俺が介入する余地など生まれなかっただろうに。
遅過ぎるんだよ、全部が。
「そんな話をしに来たんじゃねぇだろ」
晴田は藻掻いていた。己のプライドと、自己顕示欲と、喪失感と、希望の間で。苦しんで、足掻いて、それでもどうしようもない無力感に打ちひしがれて、両手で縋るように俺を掴んで。
そのまま、何秒くらい経っただろうか。奴は、既に硬い手へ更に力を込めて唸るように呟いた。
「みんなが幸せになる方法を教えて欲しい。もう、彼女たちが悲しまないで済む方法を」
……なるほど。
いよいよ、正気とは思えないな。こういう非現実的なことを宣う奴を見ると、どうしても頭にきてしまうのはなぜだろう。
俺は、冷静じゃいられなかった。
「どうせ本命じゃねぇ女どもだ、侍らせて飽きたら捨てりゃいい」
「そんなことは出来ない」
「今更いい奴ぶってんじゃねぇよ。何にも気付かねぇで被害者ヅラこいて、そうやって今まで過ごして来たじゃねぇか」
「気が付いたから変わろうとしてるんじゃねぇか! でもどうしたらいいのか分かんねぇんだよぉ!」
「どうにもならねぇよォ! どうせ狂った女どもだ! 見捨てりゃいいじゃねえか!!」
瞬間、晴田は右の拳を振り上げる。しかし、それを下ろすことはせず必死に我慢の形相を浮かべ、体全体を震わせながら俺を睨みつけた。
「みんなそうだ。お前の無自覚にクソムカついてるだけで、実力自体は認めてる。周りに見せつけてなきゃハーレムに文句なんてねぇだろ。黙って乱交でもカマしゃいいじゃねぇか」
目に宿る決意が弱まる。その程度なら、下手なことしない方がいいだろ。
「連中の目を困難から逸らさせて、否定しないことを優しさだと思い込ませて。それを異常だとも感じないで周りと世界を隔絶して、無神経で誤魔化してのうのうと生き恥晒して。そうやって、お前が作り上げた最高の状況じゃねぇかよ」
「……あぁ」
「そんな窮地に追いやられた女たちが、幸せになれる方法があるっていうのか。お前はまた自分が苦しむことから逃げて、楽しようとしてるだけじゃねぇのか!? あぁ!?」
俺の足が、地面についた。
晴田の頭は俺の目より低く、以前までの無気力なこいつからは想像出来ないほどに歯を食いしばる音がした。
表情は見えないが、頭をフル回転させて何とか方法を探っているのだろう。胸ぐらを掴む手が、うっ血して真っ赤に染まっていた。
やがて。
「……彼女たちに、過去と決着をつけるよう俺が説得する。そのための力を、お前に貸してほしい」
「その先に、今の状況をぶっ壊してでも手に入れるべきモノがあるのかよ」
「ある。今の俺は、そう信じてる」
……。
「なぁ、晴田」
「な――っ!?」
俺は、晴田の顔面を一発殴った。
――殴り返せ、それでこの件は終わりだ
俯いてから、泣きそうな顔で俺を見上げた。恐らく、彼も同じことを思い出したのだ。
「……高槻。俺は、初めて会ったときからお前が大嫌いだったんだ」
「知ってる」
「俺には無いモノを、こいつは全部持ってるって一目で分かった。俺がどれだけ羨んで求めても、絶対に手に入らなかったモノをすべてだ。近くにいてくれる女の気持ちが分からない俺なのに、それだけは嫌なくらいすぐに分かったよ」
……。
「俺とお前は、一体なにがそんなに違ったんだ。お前には、それが分かってるのか……っ!?」
「知るか、ボケ。テメーで探せ」
晴田は言葉を失っている間、落ちた缶を拾って設置されている青いゴミ箱へ静かに捨てる。やがて、彼は笑った。自嘲気味な曇った声。俺がなんと答えるのか知っていたかのような声。
前に進むことを決めた、俺の好きな強い声だった。
……仕方ない。
俺も一緒に、狂ってやるとしよう。
「お前のグループに俺を入れろ、修学旅行中に終わらせるぞ」
今しか相談できなかったならば、つまり俺を同じグループに入れたかったことに他ならないし、別に取り立てて指摘するようなことでもない。
踵を返し正面に立つと、静かに手を差し伸べる。彼は少しだけ考えてから、俺の手ではなく手首をガッチリと掴んで呟いた。
「あぁ」
どうやら本当にハーレムがくたばる瞬間が来たようだ。俺は、晴田の肩を一度だけ叩くと振り返らずに教室へ戻った。
……それにしても、やっぱり俺に暴力は向かないな。手がいてぇよ。
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