第4話

 004



「どこまで行くの?」

「そこだよ、ほら」



 歩きながら指差したのは、スマホで調べた学校から一番近い個人経営のクリーニング店。その店先を見ると、体操着姿のままガラス戸の向こうを今か今かと眺める女子生徒が二人いた。



 片方の女子が、彼女の背丈と同じくらいの黒い筒を抱き締めるように持っている。間違いなく、あれが優勝旗の入れ物だ。



「こんにちは、先輩がた」

「ひぇ! あぁ、いや。あれ? 誰?」

「初めまして、二年の高槻です。こっちは月野」



 簡単に挨拶を済ませると、二人の女子生徒は互いに目を合わせて再び俺を見た。どうやら、高槻という名前に多少の聞き覚えがあったらしい。『こいつがかぁ……』といった、何とも言えない微妙な表情で俺を見た。



「……もしかして、三島くんに言った?」

「いいえ、言ってません。あなたたちのことを知ってるのは、俺と月野だけです」

「それって、高槻くんは黙っててくれるってこと?」

「もちろん。ここに来たのは、バレずに返すには人手が多い方がいいかと思ったからです」

「よ、よかった〜! でも、なんで私たちがここにいるって分かったの!?」

「生徒会室のゴミ箱が空だったからです」



 しかし、そんなことを言っても月野を含め三人は「何いってんだこいつ」という表情を浮かべるだけ。幾らなんでも、説明する過程を省き過ぎたか。



「どういうこと?」

「お二人は、飾り付けを作るために前日から生徒会室に泊まっていたと聞きました。随分と頑張っていたみたいですね。先程室内を見ましたが、その形跡が机の上に残っていましたよ」

「うん。まぁ、最後の体育祭だからね。文化祭の方が楽しみだけどあれは冬だし、だから先にこっちを頑張っておきたいなぁって」

「しかし、不思議なのはここからです。机の上を片付ける暇も無かったのに、ゴミ箱は空になっていた。他のモノを片付けず、なぜゴミ箱だけが綺麗になっていたのでしょうか」



 なんて、勿体つける理由はないんだった。この二人は、既に自分たちが犯人だと認めてるじゃないか。早く言ってしまおう。



「答えは、優勝旗を汚した証拠を無くしたかったからです。ゴミが残っていれば、せっかくこうして証拠隠滅を計っているのに無意味になりますからね」

「どういうこと? シンジくん」



 ……まぁ、こいつだけ知らないのも可哀想か。



「先輩たちは、徹夜するために生徒会室にお菓子やジュースを持ち込んでいた。それを、恐らく広げて眺めてた優勝旗へブチ撒けてしまったんだ」

「な、なるほど。だから、クリーニング屋さんだったのかぁ」

「シミがついた優勝旗を見て、先輩たちは色々と策を弄そうとしたがダメだった。何故なら、あの旗の文字は刺繍だ。タオルでゴシゴシ拭いたら糸が切れて見窄らしくなってしまう。けど、スポンジやトイレットペーパーで吸うのも限度があったんだよ」



 「おぉ」、と唸ったのは優勝旗の筒を持っていないポニーテールの先輩だった。



「だから店に頼もうとしたが、深夜にクリーニング店は開いていない。他の生徒が来てしまえば自分たちの罪が明るみに出てしまうし、それではせっかくの体育祭の日に怒られてしまう。バレるのは絶対に嫌だ。さて、どうしよう」

「分かった! 『最後の400メートルリレーまでに綺麗な優勝旗を戻して何事もなかったことにする』!!」



 ご明察。



 否定されなかったということは、これが正しい答えなのだろう。俺は胸を撫で下ろして深く息を吐いた。



「凄いね、キミ。まさか体育祭が始まって1時間程度でここを突き止めるだなんて、ちょっと信じられないな」

「恐縮です」



 頭を下げようとすると、筒を持つ先輩が優しく俺が謝るのを制した。



「ふふ。私たちね、すごく平凡な学校生活を送ってきたからさ。卒業する前に、せめて私たちがいたって証拠を残したかったんだ」

「それで、優勝旗を選んだワケですか。いいチョイスですね」



 それを聞いて、二人はクスクスと笑う。きっと、この人たちも本来は俺が関わるべきでない善い人たちだ。



「でしょう? これ、すっごく目立つのに一年に一回しか見ないから、みんなが私たちのいた証拠を目にしてるのに絶対にバレないんだと思ってね。学校に泊まったのも、二人で何か縫っちゃおって考えたからなんだ」



 絶対に悪いことなんだろうけど、俺は先輩たちの言葉がとても微笑ましく思えた。まったくもって、これっぽっちも責める気にならない。



「でもさ、シンジくん。どうして、実況席が放送部の人と変わってるってみんな気付かないのかな。幾らなんでも、流石に鈍感過ぎると思うけど」

「それは、三島先輩が意図的に実行委員を校舎側へ集めているからだ。恐らく先輩たちが犯人だと知っていて、それが他の実行委員に伝わらないようにしているんだろう」



 ギクリと肩を揺らす二人。しかし、すぐに三島先輩の性格を思い出したのか安心したように柔らかく笑った。



「でも、それだけなら偶然ってこともあるんじゃないかな」

「理由はもう一つ、実はこっちが本筋です」

「なにかな」

「実行委員長である三島先輩が、校長に優勝旗の返還式を中止すると直談判したから」



 そう。



 返還式で旗を渡す役目が実行委員長のモノならば、それを中止出来たのは実行委員長しか存在しない。そして、実行委員である東出が三島先輩を紹介した理由は一つ。おさである彼だけが、生徒会室の鍵を持っているからだ。



「後は証拠もないので妄想ですが。例えば、『受験の影響で人員不足だから時間が押している』とか言ってプログラムからカットすればいいんです。校長は唯一の出番を取り上げられて可哀想ですけど、全体のことを考えれば仕方ないでしょう」

「ぷふふ。それ、ウケるね。高槻くんって、悪いこと考えるの得意でしょ」

「それほどでもありませんよ」



 ポニテ先輩は、何を想像したのかヘラヘラと笑うと筒先輩の肩に寄りかかって、こんな状況にも関わらず楽しそうにしていた。面白そうなのはいいけれど、戻す方法は何か考えているのだろうか。



「ううん? 実は何にも考えてない。高槻くん、何かいい方法はない?」

「……そうですね。なら、午後の部が始まるまでは校門の外に隠しておきましょう。そうすれば、俺と友達で何とか出来ます。先輩たちも早く実況席に戻らないとマズいでしょうし」

「午後? なんで?」

「忘れたんですか? 午前は男子の『集団行動』。午後は――」

「そっか! 女子全員の『騎馬戦』だ! 朝と同じで警備が薄くなるね!」



 せっかくの決めゼリフを月野に取られてガッカリだが、つまりそういうことだ。キャットファイトが見れるのだから男子のときよりも更に手薄になるだろうし、あとは俺と東出でシレッと実況席に戻せばいい。



 簡単な仕事だ、別に大した苦労もないさ。



「そこまで手伝ってくれるの?」

「はい」

「ありがとう! 高槻くん、いい男だねっ!」



 ポニテ先輩がニコリと笑って俺の胸をコツンと叩くと、後ろの月野が「はっ」と短く息を吸い込んで俺の裏腿辺りに手の甲を少し強めにブツケた。当たり前だけど、気付かないフリだ。



「それで、先輩たちのいた証拠は残せたんですか?」



 瞬間、奥から二人がかりで優勝旗を持ったお爺さんとお婆さんが嬉しそうにガラス戸を開けて現れた。どうやら作業は終わったらしい。当たり前だけど去年よりずっと綺麗になっていて、新品かと見紛うほどの旗になっている。



 逆にバレないかと不安になりつつ旗の右端を見ると、そこには見慣れぬ銀の糸で刺繍が施してあった。確かに、筆記体でこれだけ綺麗に縫ってあるなら制作者のサインに見えなくもないな。



「『djutb』? 先輩、これってどういう意味ですか?」



 月野が聞いたが、二人は笑って優勝旗をクルクルと巻き筒先輩の筒の中へヨイショヨイショと押し込みサッと踵を返した。



「だーめ。それは教えられないよ、後輩ちゃん」



 こうして、俺たちは学校へ戻り無事にブツを戻すことに成功したのだった。



 あの優勝旗が、いつか彼女たちの夏の空になってくれるのを願うばかりだ。

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