第19話(月野ミチル)
019(月野ミチル)
自分の情けなさも、みんなへの申し訳無さも、すべてを置き去りにするくらい『大好き』って言葉が飛び出るのを抑えなくちゃいけなくて、私はシンジくんに感謝すら伝えられなかった。
午後の授業中も、顔を見たらずっと泣いちゃいそうで。だから、努めてシンジくんのこと考えないようにしていた。心の中には、いつの間にか芽生えていた大きな責任感。それがあったから、正気を保っていられたのだと思う。
……放課後。
私は三人と校舎裏で対峙していた。しかし、明らかに怒りの感情は薄れている。ここへ来る途中、ココミちゃんが階段で体勢を崩した時に支えたら「ありがとう」と言ってくれたくらいだ。
ほとほと、彼のやり方には感心してしまう。全部が偶然のハズなのに、全部分かってたみたいにこれ以上はないって完璧なタイミングと犯人のやっつけ方だったな。
でも、あれは連れてきてくれた山川くんたちのお陰が8割だ。そうだよ、うん。絶対にそう。だって、間に合わなければあんなヒーローみたいなカッコつけ出来なかったんだもん。
というか、シンジくんなんてちょっと頭が良くて優しいだけなんだから。むしろ、あそこで彼の大好きな推理(笑)を披露できたことに感謝してもらわないとね。
……なんて。
ちっともかわいくないクソ生意気なことを考えないと、感謝と想いでまた前が見えなくなりそうだ。今はまだ、安心していいときじゃないのに。終わりを迎えるのは、これからだっていうのに。
これも全部、シンジくんのせいだ。
「ミチル、聞いてもいいかな」
「……うん。なに? カナエちゃん」
「高槻を閉じ込めた、本当の理由を教えて欲しい」
最初に口を開いたのは、やっぱりカナエちゃんだった。普段は目立たないけど、真っ先に話題を提供して場を和ませてくれるのはいつも彼女。コウくんも自分から喋る人じゃないから、いつもすごく助かってた。
「あの場所で、彼に私たちの『ルール』を暴かれちゃっただろうから」
私は、端的に言い放った。もちろん三人は驚かず、それどころか『やはり』といった様子でため息をつくだけ。単純に理由を私の口から聞きたいだけで、本当は説明するまでもなく分かりきっているのだろう。
「私たちのルールはたった一つ、『決して互いの過去を明かさないこと』だよね」
「……うん」
「でも、ココミちゃんの怪我の理由を暴かれたら過去に遡られちゃう。もしもルールを壊していい人がいるのなら、それは絶対にコウくんだけ。シンジくんがココミちゃんの心に土足で踏み入るのを、私は防ぎたかった」
語気が少し強くなったのを抑えるために一息。数瞬だけセミの声が聞えて、もう一度口を開く。
「だから、私はシンジくんを閉じ込めた」
あのとき、ボールを持ったココミちゃんを囲んでいた女の子は四人。その中の一人は彼女と同じ中学校の出身だ。きっと、私が抱えるトラウマと似ている、ココミちゃんが大嫌いな昔のココミちゃんの姿を、あの子は幾らか知っているのだろう。
だから、シンジくんもみんなの興味を逸らして過去を封殺した。彼はあそこで自分の実力を示すことで、私の罪を曝すことで、犯人に『決してココミちゃんのことをバラすな』と脅しをかけたのだ。
山川くんたちがコウくんにしたように、魅力的な女の子に同性が嫉妬して嫌がらせをするなんて容易に想像出来た展開。シンジくんは、きっとそんなことを考えたに違いない。
だって、そうじゃなきゃ私が言うべき答えまで言ってしまえたハズだから。『待ってる』だなんて、私を信じてくれなかったハズだから。
「……ねぇ、もう一つだけ聞いても良い?」
「なに?」
「高槻は、本当にすべてを分かってるの? その上で、ボクたちのことを黙っているの?」
「そうだよ」
なんの迷いもなく頷いた。けれど、これは買い被りなんかじゃない。絶対に買い被りなんかじゃない。シンジくんなら絶対にやり遂げてしまうに決まってる。放っておいたら、私なんて想像もつかないようなところまで登っていってしまうに決まってる。
なぜなら、彼も少しずつ変わっているから。他の誰も、本人だって気がついていないけど。私と出会って、サオリを解放して、シズクちゃんに初恋を託して、きっと私の知らないところでも何かがあって。
シンジくんは、大人になりつつあるからだ。
「どうして、ですか?」
呟くようにいったココミちゃんは、罪の意識に苛まれているようだった。
「どうしてって?」
「私は、ミチルさんのことを嫌っていました。夏休みの頃から、何となくコウさんへの想いが途切れてるなって思っていました。だから、学校が始まって、何度も高槻さんに話しかけていて。明らかに私たちとの時間も減っていって、そうかと思えばコウさんを放課後に呼び出して。そして、今日には、とうとう彼が学校を休みました」
……改めて聞くと、私って本当に酷い女だ。これだけは、弁明の余地もない。
「他の男性なんかには目をくれない私でも、流石に高槻さんのせいだって気が付きます。ですから、私はあなたに冷たい態度を取りました。嫌な目に合わせてきました。この前の体育のときだって、たまたま計画が重なっただけです。本当は、私たちがあなたを――」
「だって、友達だもん」
だから、私はココミちゃんの言葉を遮って自分の本心を言った。
水を打ったような静寂。今度はなぜか、セミの声が少しだって聞こえなかった。
「私、やっぱりコウくんのことは好きだよ。でも、みんなのことも同じくらい。ううん、同じ
息を呑む。みんな、私が喋りだすまで待っていてくれた。
「そしたら分かったんだ。みんなのこと、私はずっと友達だと思ってたんだって。似た形の傷を負ってるみんなだから、同じように燻っていたから、私は安心していられたんだよ」
ミキちゃんは俯いた。きっと気が付いたんだ。なぜ、シンジくんが私に最後の答えを委ねたのかを。
「私ね、みんなと友達に戻りたい。コウくんのこと、知ってしまった今ではもう前みたいな気持ちで見ることは出来ないけど。みんなのこと、一度は裏切っちゃったけど。それでも許してくれるなら、私は仲良くしたいの」
……口にして、スッと体が軽くなった。
なんだ、こんなに簡単なことだったんだ。
「でも、コウはあんたのことが好きなのよ」
「わかってる」
「もう、あたしたちは今までみたいに恋をしていられないのよ?」
「そんなことないよ」
「……なんで、そう言えるの?」
「私と同じ。コウくんは、失恋したから」
昔の事実を突きつけられて、今の恋まで失敗して。コウくんには、すごく申し訳のないことをしたと思ってる。私のわがままだって分かってる。だから、絶対に取り繕ったりしない。私は、私の思っていることしか言わない。
恋に落ちてしまった。けれど、みんなと仲良しでいたい。それだけが、今の私のすべてなのだ。
「……ミチルさん」
「なに? ココミちゃん」
「ありがとう、ございました。あのとき、私を助けてくれたのはあなただった。それなのに、私はあなたに酷いことを言いました」
「あたしも、悪かったわよ。高槻がルールの全貌に気が付いたのは、あたしがキレたからだわ。まったく、あのクソ男は困ったモノね」
「ふふ。あり得ないよね、コウなら絶対にボクたちにあんな酷いことをしないもん」
そして、彼女たちは三人で顔を合わせると少しだけ笑った。笑って、思わず私も頬が綻んで。また前みたいに一緒に笑った。
「ごめんなさい、ミチルさん。私たちは、やっぱり高槻さんが嫌いです。そして、あなたのことも許せそうにありません」
……分かっていた。
「そうね。他人に力を貸りて、あたしたちの知らないところで勝手にコウと恋人になろうとして。そんなの、納得はできても全然許せないわよ」
「ボクは。……うん。どうかな、ミチルの気持ちも分かるよ。だから、二人やコウには悪いけど中立ってことにしておいて欲しい」
分かっていた結果だ。私は決して、報われようとは思っていないかった。友達に戻りたかっただけで、戻れるとは信じていなかった。
ただ、みんなに酷いことをした罰を受けようとして、最初っからワガママを言って、そして後悔だけはしたくなかっただけだ。
私、腹黒いから。やられっぱなしも、やりっぱなしも、フェアじゃないのは好きじゃない。謝って、スッキリしたかったって気持ちを大切にしただけ。
……なんて、振り切れるくらい強かったらよかったのに。
「んふふ、うん。知ってた。みんなの答えが聞けてよかったかな」
ねぇ、シンジくん。私、また一つ傷が増えたよ。
少しくらいは、あなたに近づけたかな。
「あははっ! それにしても、カナエ。あんたって本当にずる賢いわよねぇ。中立って、どっちにもいい顔したいってことでしょ?」
「うふふ。本当ですよ、私たちが弱くなかったら真っ先に切られる意見ですから。分かってますか?」
「もう、勘違いしないでね? ボクだって高槻は大嫌いだよ。ただ、ミチルとは友達でいたいなって、なれるのならコウの恋人になりたいなって、そう思っただけ。それに……」
カナエちゃんが言い淀むと、三人は私の目をまっすぐに見た。
「恋に落ちるって感覚のこと、ミチルに聞いてみたいから」
そして、私たちはそのまま4人でファミリーレストランへ向かった。みんなで何を話したのかは、きっと未来永劫誰にも語ることはないだろう。
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