第17話(月野ミチル)

 017(月野ミチル)



 現在の2年B組の空気は、シンジくん風に言えば『終わってるね、本当に』だと思う。



 ココミちゃんは強い目で私を睨みつけているし、カナエちゃんは考えごとのせいかずっと黙ったままだし、一番気の強いミキちゃんはオロオロして泣きそうな顔をしているし。



 そんな彼女たちに気を遣って、女子は頑張って慰めたり気晴らしを提案しているのに成果は得られなくて。

 かと思えば、ここぞとばかりに彼女たちへ好意を寄せていた数人の男子がそれぞれに気取った慰め文句を言ったりしてるし。



 シンジくんは昼休みになってすぐに何処かへ行ってしまった。コウくんは今日も学校を休んだ。だから、誰かが何とかしてくれるという期待はここに一切なく、ただ憐れみだけをみんなが私へ向けているのが分かった。



 ……私が何とかするべきだ。



 私が撒いた種のせいでこうなっているって、今度こそは自覚して逃げずに戦わないとダメだ。

 そう思って、私は席から立つとココミちゃんの元へ向かった。もちろん、彼女はずっと私を恨めしそうに睨んだままだ。



「ココミちゃん、お話があるの」

「裏切り者と話すつもりはありません」

「……裏切り」

「えぇ、あなたは裏切り者です。コウさんのこと傷付けて、高槻さんに心変わりして。それでいて、今更馴れ馴れしくするなんてどうかしているんじゃないですか? 夏休みの間だって、ずっとほくそ笑んでいたんじゃないですか!?」



 ハッキリ言って、ぐうの音も出ない正論だった。シンジくんを頼ってコウくんを手に入れようとして、挙げ句に離れたのだから裏切り以外の何者でもない。



 けれど、視野を広げて見てみれば言い返したいことだってたくさんある。こんなふうに頭ごなしで否定されると、思わず性格の悪い素の私が飛び出てきてしまいそうだ。



 それでも。



 ――お前はこの問題をどうしたいんだ?



 シンジくんの言葉が、いつだって私に勇気を与えてくれる。最後までやり遂げる為の心を支えてくれる。今の自分の気持ちだけは、絶対に裏切っちゃいけないって確信させてくれる。



 私はココミちゃんの前に立つと真っ直ぐに彼女を見つめた。その数秒の間、教室から一切の音が無くなった気がした。根負けしたのかココミちゃんの強い目が少しだけ俯いた。



「私はコウくんのことを嫌いになったワケじゃない。それに、シンジくんだって私を好きだと思ってないよ」

「何を言ってるんですか!? あなたたちの関係なんて見ればすぐに分かるじゃないですか!」

「関係は何も変わってない。ただの、私の一方通行だもの」



 少し、彼女の表情が変わる。私は、以前の私と同じように、彼女たちの思いが偏った価値観に囚えられていると思った。



「だ、だとしてもです! あなたはここから離れたんです! それが許せないんです! 私たちは普通じゃないからルールがあったんじゃないですか!? 関係に落ち着くことだけが、私たちを救ってくれていたんじゃないですか!?」

「なら、ココミちゃんは私をどうしたいの? もう一度、そこに戻ってきて欲しいの?」



 そんなことを言われたって黙るしかないのに。シンジくんのせいだよ、我ながら本当にイジワルなことを聞いたと思う。



「うるさい! うるさいうるさいうるさいっ!!」



 ヒステリーな声を上げた彼女にクラスメートの視線が集まる。



 私は自分の武器を自覚しているつもりだ。だから注目されるのは慣れてるけど、今はいつもと違って見た目は少しも役にも立たないから不安だらけ。口の中が乾いて、上手く喋れるか自信がないって緊張している。



 ……それくらい本気で、どうにかしたいと思う今の自分が不思議だ。私は、初めて私の嫌いじゃない私になりつつあるって分かった。



「あなたこそ私たちをどうしたかったんですか!? 出し抜いて優越感を得るための舞台装置にしたかったんですか!? なぜ私たちの関係を壊すようなことをしたんですか!?」

「……前に進みたかったから」

「はぁ!? だから、それはみんな――」

「違う! 私たちはコウくんのカノジョじゃなかった。今もそこにあるのは、みんなの一方通行な想いだけだよ!」



 ゆらりと迫るようにカナエちゃんとミキちゃんはココミちゃんの後ろに立って私を伏し目がちに見た。なぜ? どうして? そんな針のように鋭い視線が私を突き刺している。



 ……シンジくん。どうか、私に力を貸してください。



「私はね、ココミちゃん。あのとき、コウくんの恋人になりたかったの」

「どう、して……? なんで、そんなことするの……?」

「ずっとこのままでいいのかなって不安だったから。そして、何よりコウくんのことが好きだと思っていたからそうしたの」



 今となっては、言っていて吐き気がする言い訳だ。けれど、シンジくんの一途への想いを聞くまで私は本気でそう思ってた。歪だけど、私なりにそれが幸せだと思ってたの。



「ただし、それは決して独り占めするためなんかじゃない。みんなのことを否定するつもりだってなかった」

「そんな言い訳が通用するワケないじゃないですか!?」

「するよ。だって、私がイヤだったのはずっと停滞していることだけだった。私とコウくんの関係が進展することは、みんなの関係が進展することと同義でしょう? それが、ハーレムなんでしょう?」



 シンジくんの決定的な勘違いはそこだ。



 恋人に対する先入観、或いは価値観による思い違いと言ってもいい。私がシンジくんと初めて会ったとき、意図的に誤魔化して成功した唯一つの仕掛けは、私が彼の『唯一の女になれ』という言葉を肯定しなかったことなのだから。



 一途な彼の気持ちに、答えられなかった理由なのだから。



「だから……っ」



 恵まれないシンジくんは、『手に入れること』以外の方法を認めない。彼のやり方は刺激的で合理的で抜本的で通説的で、そうやって辿り着いた結末こそが最も理想的な幸せなのも間違っていないのだろう。



 ……うぅん、シンジくんだけじゃない。



 きっと、世間だって手に入れることが幸せだと理解してるって分かってる。普通の価値観とはそういうことなんだって、サオリのやり方を見て思い知ったから。



 ならば、普通では救われない女たちが、一様に彼を慕う理由はたった一つ。



「コウくんが正しくないこと、それ自体が私たちにとっての救い。だから、普通じゃない関係が成立していたんだよね」



 三人の息を呑む音が聞こえた。



 実を言えば、私は彼女たちに何があったのかを知らない。同様に、彼女たちも私の過去を知らない。ただ、私たちは普通じゃない自分が心の底から大嫌いで、だからまともに立っているフリをするために、普通の女の子の真似をしてた。



 ……そう、真似なのだ。



 私たちは、友愛も恋愛も慈愛も、そのすべてに区別がつかない愛の欠落した人格の持ち主。自覚して、生きていられなくなるくらいなら、目を逸らすことが正解だって思った。その歪な絆がハーレムで、だからもっと壊れないようにしたかった。



「そのためには、私たちの『ルール』を破らずに先へ進むには、みんながコウくんのカノジョになるしかないって思った。そしたら、今よりも安心が得られるんじゃないかって。コウくんは裏切らないって、私たちがもっと想える証拠になると考えたんだよ」

「だったら……っ!!」



 ココミちゃんは前髪を乱しながら私の両肩を掴んだ。ブレザーに爪が食い込んで、ピリッとした痛みが肩から心へと伝わってくる。悲しくて苦しいって、心から訴えているのがよく分かった。



「だったら! なんで、高槻さんのことを好きになったんですかッ!?」



 でも、私はきっと、もっと悲しくて苦しい。



 なぜなら、今の私はみんなと一緒にずっと逃げ続けてきた、トラウマと新しい失恋を受け止めて大きな傷を負ったのだから。それでも手に入れたいと思えるモノに出逢ってしまったから。もし失敗しても、この経験がいつか糧になるって信じてしまったから。



 ……ごめん。



 私は、前に進むよ。



「なろうと思ってたワケじゃない。私は、いつの間にかの」



 クラスのみんな、私の気持ちを聞いて言葉を失っていた。



 一体何を見せられてるんだろうって本当に迷惑がっているかもしれない。勝手にメロドラマを繰り広げて、キモいって思われてるかもしれない。



 支離滅裂なことを言ってるって分かってる。やっぱり、裏切りになるんだってことも分かってる。キモくてグロくて穢らわしい、女の嫌なところを高説ぶってるだけなのもちゃんと分かってる!



 でも、言わずにはいられない。私は、覚悟を決めてここにいるから。



「……え?」

「私はね、ココミちゃん。コウくんといると安心できて、みんなと一緒に好きでいられて、もう一人じゃないって思えて嬉しかったよ」

「は、はい」

「でもね、シンジくんと出会って気が付いたんだよ。恋は、するモノじゃなくて落ちるモノなんだって。一方的に頼って、好きだって思うことじゃないんだって」



 そうだ。



 ずっと不思議だった。あれだけ証拠を重要視するシンジくんがなぜ一途を信じていられるのか。どれだけ裏切られたって、次の人に尽くすべきだと考える理由が。



 けれど、それって当たり前だった。だって、人は崖から落ちれば神様へ『助かりたい』と願うことしか出来ないから。

 つまり、恋に落ちてしまったのならば、あとはもう、どんな理屈を優先してでも相手を『幸せにしたい』欲求しか無くなると、それが分かっているからシンジくんは一途でいられる。



 ならば、『恋人になりたい』だなんて願望自体が、きっとシンジくんにとっての恋愛を裏切っているのだ。



 だってシンジくんの恋は、打算なんて考えられないくらいピュアなこと。一緒にいたいこと。安心していたいこと。貰えるのは、確かにコウくんと同じこと。でも、似て非なるモノ。すべてを上回るモノ、私からもあげたいって思ってしまうもの。



「だから、恋の前では正論も証拠も覆る。それが、一途って言葉の意味だと思うから」



 即ち、『感情』。



 どれだけ心を鍛えても、人は自分の奥底に眠る欲求を抑えることなど出来ない。それに葛藤するからこそ人間なのだと、誰よりも人間らしくないシンジくんは訴えているのかもしれない。



 そして、自分の本当の感情に嘘をつくことが、シンジくんが最も嫌っていることだ。私は、少しだけ彼のことを分かり始めている気がした。



「黙れぇッ!!」



 瞬間、ミキちゃんがさっきまでの不安げな表情をふっ飛ばして私を見ている。今にも泣き出しそうな、鬼気迫る鋭い目だ。



「じゃ、じゃあなに!? あんたの恋が本物なら、私たちの想いは偽物だって言うの!? あんた! 自分が何を言ってるのか分かってるの!?」

「み、ミキ! やめてっ!」



 カナエちゃんが止めてくれなければ、私はきっと殴られていただろう。恐怖と向き合ってこなかった私は、明確な敵意に慄き一歩後退る。



「さっきから自分に都合のいいことばっかり! コウを惚れさせて! 関係から抜け出して! どっちか一つならあたしだってこうはならなかったわよ!!」

「み、ミキちゃん」

「それに巡り会えたのは幸運だったからでしょ!? 高槻が凄かっただけで、あんたは縋る相手を変えただけでしょ!? あたしたちと何が違うのよ!?」



 ……。



「あんたは悪者だ! あんたは裏切り者なんだ! これ以上あたしたちに関わらないでよ!! せめて恨みの捌け口にくらいなりなさいよ!!」



 そして、ミキちゃんは泣いた。



「もう強くなれたんだから!! あたしたちのことなんて放っておいてどっかに行きなさいよぉっ!!!」



 ……ミキちゃんに、何も言葉を返せなかった。



 肯定したくないのに、私の過去が『彼女の言う通りだ』と囁く。いつの間にか、私へ向けられる敵意こそが正しいような気がして、シンジくんを好きだって想う気持ちすら疑ってしまいそうになる。さっきまで強く想っていたのに、どうしてこんなにも脆く揺らいで不安になるのだろう。



 縋る相手を変えただけ。



 本当に、心が抉られる言葉だ。私にとって、何よりも酷い言葉だ。でもそれって私たちは互いに互いのことをよく知っているから、やっぱり一番傷付く言葉も分かっちゃうってことだ。



 藻掻いているのは、彼女たちも同じ。それなのに、救いたいと思ってるのに、次に言うべき言葉が見つからない。自分こそがこの世界の間違いなんだって、自己嫌悪に苛まれて吐き気が止まらなかった。



「ミキ! そんな言い方――」

「カナエは黙ってて! ねぇ! 何とか言ったらどうなの!?」



 カナエちゃんの目が、どうしていいのか分からないって言っている。きっと、彼女は私になにかを伝えて欲しいって思ってる。ミキちゃんを抑えてくれた行動がそれを物語っている。



 けれど、私はそんなに強くなれていない。嘘をつくのは止めたハズなのに、私はまた同じことをしていたのだから。さっきまで決めていた覚悟が吹き飛ぶくらい、過去のトラウマが心を囚えて離さない。



 こんなに重たい感情を受け止めたら、動くことなんて出来ないよ。叶える力もないのに理想論を語って一人で突っ走って、挙句の果てにクラスを巻き込んで迷惑を振りまいて。その責任を背負えるほど強くないのに。



 本当に、バカみたいだ。



「……そっか」



 ごめん、シンジくん。



 『待ってて』って言ったけど、私――。



「おいおい。なんの騒ぎだよ、これは」



 そのとき、勢いよく開かれた扉の音に驚いて振り向くと、そこには息を切らしたシンジくんが立っていた。

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