第14話
014
「……あれ、どうなってんだ?」
バイトを終えてから、俺は金を返すために鵜飼さんの事務所へやってきていた。しかし、どこか様子がおかしい。すりガラスの向こうは真っ暗だし、『トリカイローン』のプラ看板が撤去されていたのだ。
仕方ない、同じテナントに入ってる店の人に事情を聞いてみよう。水商売ばかりだし、この時間でも営業しているだろう。
「つ、捕まった?」
「えぇ、そうよ。鵜飼さんのとこ、闇金だったでしょう? この前の一斉摘発でお縄になっちゃったのよ」
「それ、本当ですか? だって、あの人がそんなヘマするワケないじゃないですか」
「まぁ、そうねぇ。噂では、一つだけ別口に管理してた口座があったみたいでね。ガサ入れの時、部下の子がそれを隠すのを忘れちゃったみたいなの」
……本気で、全身から血の気が引いたのが分かった。凍えるように冷たくて、指先の感覚が見つからない。
「というか、あなた高校生? 子供がこんなところにいちゃダメでしょう?」
「……すいません。あの、教えてくださってありがとうございました」
階段を降りる間、俺はどうすれば鵜飼さんに会えるのかを考えていた。まだ留置所にいるのだろうか。それとも、既に裁判を終えて刑務所に送られているのだろうか。
翌日になって朝っぱらから警察署へ向かい、お巡りさんから鵜飼さんの居場所を聞こうと思ったのだが何一つ答えてくれなかった。
続いて、図書館へ行き、スナックのママさんが言っていた事件を調べた。町家繁華の一斉摘発、逮捕者リストの中に鵜飼さんの名前を見つけることは出来たが、どうなったのかまでは書かれていない。
「なにか、社会の闇的なあれなんじゃねえの。これ……」
ニュースサイトを漁っても、どこにも足取りを掴める情報はない。どうしようもなくて事務所の周りで何時間も聞き込みしたが結果は同じで。
ひょっとして、保釈金を支払って外にいるのだろうか。それとも実は逃げ切っていているとか。やはり、本気で探すなら探偵や弁護士に相談するのが――。
「コラ、クソガキ。オメー、こんなところで何やってんだよ」
……夕暮れ時。
あのビルの階段に座って必死に考えていると、俺の目の前に彼は現れた。
「う、鵜飼さん?」
「他の誰に見えんだよ。金返しに来たのか? シンジ」
俺、なんでこんなに安心してるんだろ。相手はアウトローの大悪党なのに。金を返さなくてよくなってラッキーなハズなのに。ただの顧客ってだけのパンピーの俺が、なんでこの人のことを。
「あの、鵜飼さん。俺、今月も約束守りました」
「おう、よく頑張ったな」
「じゅ、10万円。ちゃんと入ってます。確認してください」
「確認なんてしねーよ」
「な、なんでですか? その、また闇金やるんですよね? そしたら、俺が顧客の第一号ってことになるんですかね?」
「やれねーよ。闇金は、一回パクられたら終わりなんだ」
彼は、俺の隣に座って100円ライターでタバコに火をつけた。こんな町中でタバコを吸うなんて、本当にロクでもない人だ。
俺は、何を言えばいいのか分からなくて黙ってしまった。鵜飼さんも、隣で黙ってタバコを吹かすだけ。
蝉の声が、ジリジリと耳を焦がしているような気がしている。きっと待ってくれているのだから。早く、早く何か言わないと。
「……俺、今度は例のハーレムの連中に力を貸すことになったんですよ」
「ほぉ」
「でも、あいつらは凄く恵まれてて。親に何でも買ってもらえて。冬でも寒くないように生活できて。そんな奴を、なんで俺が助けなきゃいけないのか分からなくて」
「カカッ、バカみてぇだなぁ」
「そうです、凄くバカみたいなんです。今までの自分の生き方を曲げてるみたいで、全然釈然としなくて……」
「ちげぇよ。恵まれてるってのは、そういうことだけなのかって言ってんだ」
……10万円の入った茶封筒を握りしめたまま、俺は言葉を失った。
きっと、鵜飼さんはタバコを吸い終わったらどこかへ行ってしまうのに。このままだと絶対に後悔するって分かっていても、言葉の意味を聞き返せない。
「よぉ。オメー、大学行きたかったか?」
「え? い、いえ。その、卒業したら働こうと思ってます」
「そうか」
「俺、勉強したいって話しましたっけ?」
「いや。だが、オメーは頭がいいからよ。そういうふうに思ってただけだ」
……その時、俺は思い出した。
彼が別口に管理していた口座。そして、金利を無視したピッタリ10万円という金額と、高校卒業間近の返済期限という違和感。俺は闇金を知らないが、通常客より金利を安くしてくれているのなら余りにも長い期間だ。
「鵜飼さん、もしかして――」
「なぁ、シンジ」
ジジ、と。タバコが短くなっていく。
「は、はい」
「そいつらを助けるのって、オメーにしか出来ないことなんだろ?」
「……そうかもしれません」
「だったら、いつもみてぇに胸張ってシャキっとしろよ。そんな頼りなさそうな男に助けられたら、そのガキどもだって不安になるじゃねぇか」
言って、彼は俺の頭をガシガシと撫でまわした。
「この時計やるよ。悪いモンじゃねぇから、こいつだけ俺んトコに残ったんだ」
押し付けられた金色の腕時計は、俺でも知っている高級ブランドのモノだった。
きっと、こいつも目ん玉が飛び出るくらい高価な代物なのだろう。非現実感にどうすればいいのか迷っている間に、鵜飼さんは立ち上がって胸ポケットの携帯灰皿へ吸い殻を入れた。
「金ン困ったら質にでもいれろや。ちと足りねぇが、そこは勘弁してくれ」
「あ……っ」
一体何に足りていないのか、その個人通帳の金は何のための
「達者でな」
そのまま、遠くへ向かって歩いていってしまった。
――おう、よく頑張ったな。
今、ようやく分かった。
俺は、ずっとあの人に不幸な自分を慰めてもらっていたんだ。だから、血の気が引くくらいに失うのを怖がって、手放したくないって思ったから必死こいて探してたんだ。
「さよなら、鵜飼さん」
俺は、時計と茶封筒をポケットにツッコむと立ち上がり一度だけ鵜飼さんの背中を見ようとしたが、既にその姿はどこにもなかった。
もしかすると、鵜飼さんが教えたかったのは表面上の虚勢でもなく、ましてや金の価値なんかでも決して無く、今起きている出来事の前後に何があるのかを考える力だったのではないだろうか。
今しか見えていなくて、視野の狭い俺に希望を与えようとしてくれていたのではないか。ただ、あの人はカタギじゃないから、いつだって遠回しにしか教えることが出来なくて。
「……行かないと」
胸に渦巻く喪失感を噛み殺しながら、なぜ鵜飼さんはいつも酒を飲ませたがったのか。俺は、帰る道すがらその理由を考えていたが。
結局、その答えは分からなかった。
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