第13話
013
意外なことに、月野は俺に連絡を寄越さなかった。それどころか、学校で話しかけてくることも無いままだから、俺はあの日の結末を知らないでいた。
勝手に帰ってしまった俺にムカついて愛想を尽かしたのかもしれない。興味が無くなったというのなら、それはそれで楽になるんだが。
どうやら違うらしいってことは、あれから3日経った朝に分かった。
……恋愛というモノは、俺が思っていた以上に厄介な代物みたいだ。世界が痴情の縺れを『ドロドロ』と表現する理由を、俺は嫌というくらい思い知らされることとなったのだ。
「ふざけないでよ!」
登校して真っ先に目の当たりにしたのは、ヒロインズと対峙する月野の姿だった。どうやら怯えているらしい、後ろから見た月野の膝は僅かに震えていた。
「ミチル。あんた、どういうつもりなの? コウのこと、あんな酷い目に合わせるなんて」
「……私は、やるべきことをやったつもりだよ」
「やるべきことっていうのが、コウさんのトラウマを掘り起こして傷つけることなんですか?」
「必要だったと思ってる」
「必要って、コウが傷付く必要なんて無いに決まってるじゃん!」
自分の席に鞄を掛けると、浜辺が不安気な表情で俺に近づいてきた。メッセンジャーがいてくれると、俺みたいな奴が情報不足に陥らなく助かる。
「どうしたんだ?」
「俺たちもよく分からないんだ。普段通り、4人で集まって話してると思ったら急に青山が声を張り上げてさ。それに続いて、榛名と遊佐も月野を攻撃し始めた」
「……つまり、さっき始まったばかりってことか」
クラス内に、事情を知ってる奴はいないワケね。
「おいおい、女の喧嘩なんてみたくねぇよぉ。なぁ、シンジ。お前が悪者になってタゲ取りしてくれ」
「当たり前のように俺を生贄に捧げようとするのやめてくれるか?」
ところで、あの場所には本来いるべき人間が足りていないみたいだ。周囲の女子に宥められ、それでも激昂する三人と虐められてる月野の内輪には絶対に必要な男がいるだろう。
「なぁ、浜辺。晴田は?」
「そういえば見てない、今日に限って休みなのかねぇ」
「そうか」
使えねぇ奴。
「あ……っ。ねぇ、ミキ」
「なによ。……あっ」
遊佐が俺を指差すと、三人は月野への攻撃をやめて俺を睨んだ。浜辺の見込んだ通り、高槻シンジは怨嗟を集める呪物らしい。死んだ後に体を切断して、百葉箱に封印しておくことをおすすめするぜ。
「なんだよ、遊佐。それ、人の顔見てしていい反応じゃねぇだろ」
「……どうせ、高槻のせいなんでしょ」
「あん?」
「どうせ高槻のせいだって言ってるんだよ! コウが傷付いたのも、ミチルが変になったのも! 全部あんたのせいなんでしょ!?」
なんでキレられているのか分からない、なんてスットボけられるほど俺と晴田の関係は希薄ではない。つまり、目の前で巻き起こっているのはXデーのメインイベント、ハーレム崩壊のオープニングってワケだ。
「ねぇ、聞いてるの!?」
「なに? お前ら三人、晴田にフラレちまったワケ?」
……空気が死んだ。
というか、俺が殺した。怯えたヒロインズの視線と、どう考えても一線超えてるってドン引きしたクラスメートの視線が交差して、痛いくらいに俺の体を突き刺していた。
「い、言ってはいけないことを言いましたね。高槻さん」
「どこがだよ。別に失恋くらい誰でもするのに、何がいけねぇんだ?」
「な、なんですって?」
「よくある話だろ。みんな乗り越えて生きてんだから、わざわざ世界の終わりみたいに騒いで友達虐めてんじゃねぇよ。みっともねぇ」
ツカツカと向かってきた青山は、やはり大きく手を振りかぶる。また殴られるのか、なんて思いながら突っ立っていたが、なぜかその手は振り上げられたまま降ろされることはなかった。
「……あんたに、何が分かるのよ」
呟いた青山の目には、涙が滲んでいる。その表情は、決して俺が舐め腐っていい代物なんかじゃない。抱え込んだ迷いと真剣さに満ちた切ない代物であった。
「あんたみたいな強い奴に! あたしたちの何が分かるっていうのよ!?」
振り上げた右手は、徐々に力を無くして落ちていく。その行く末を見届けて、俺は再び青山の目を見た。
「みんながあんたみたいに立ち向かえるワケじゃないの! 負けたくないって努力出来るワケじゃないの! そういう人間には、突き進む力じゃなくて今を安心できる助けが必要なの!!」
またしても、見落としていた。
「コウは、あたしたちが恋を忘れないでいられる最後の存在だった! 逃げることしか出来ない弱いあたしたちを、否定しないでいてくれる男だった!」
俺は、その苦しみをいつの間に忘れてしまったのだろう。
「否定されないことで救われる女だってこの世界にはたくさんいるのよ!? 自分が嫌いで仕方ない女だってたくさんいるのよ!? あんたは、あたしたちの時間を勝手に進めてそれを奪った!!」
正しさが人を救わないなら、月野がトラウマによって停滞を求めていたのなら。
「あんたは、弱い者虐めをして正義の味方を気取るサイコパスよ! あんたみたいな男、本当にだいっきらい!!」
彼女たちも同じように弱いのだと、最初から分かっていたハズなのだ。
「……勘違いするなよ」
「はぁ!? なによ!?」
「俺は、お前たちが一人の男によってたかってイチャツイてるのを否定したワケじゃない。ただ、キモいから他でやれと言っただけだ」
「だから、その言い方が――」
「気が付いたのはお前ら自身だろう?」
瞬間、青山は青ざめて後退った。机にぶつかってよろけ、力の入らない膝が折れると尻餅をついて俺を見上げる。
「責任の擦り付け、やめろよ。お前らは、変わっていく月野と晴田を見て自分で気が付いたんだ。今の自分がダメだってことに、そのヌルい関係がキモいってことに。お前が、お前自身に一番イラついてんだよ」
「や、やめなさいよ……っ」
一歩だけ近づき、俺は青山に目線を合わせた。
「その上で聞くけどさ、青山」
静かな教室の中、月野が僅かに息を漏らす。俺は、一度目を閉じてからため息を吐いて青山に――。
「やめて、シンジくん」
『お前は、誰が悪いと思ってるのか』
そう言おうとした時、月野が俺の言葉を遮った。
「なにを?」
「絡んだのは私が謝る。でも、それは私たちの問題だよ。あなたが口出しする話じゃない。だから……っ」
振り返ると、月野は必死に涙を堪えていた。唇を強く噛んで、自分の力で前に歩いて。俺から青山を守るように、彼女の前に立ち塞がって。
「待ってて」
そう言って、切ない笑みで俺を制した。
「お、おい。シンジ。お前が入るとマジで収集つかなくなるだろ。やめとけって」
入れって言ったり入るなって言ったり、どっちかにしろ。
……とは言えず。
「青山もさ、ほら。シンジが遠慮しねぇ奴なのは知ってるだろ? 落ち着いた方が身のためだよ」
「う、うるさい! 別に、あたしはこんな男なんて怖くないわよ! 言いたいことがあるなら最後まで言ったらどうなの!?」
「やめなって青山さん! シンジ! お前は教室から出といてくれ!」
東出の言う通り教室から出ていこうとする途中、視線を向けると榛名と遊佐は腕を抱いて俺から目を逸らした。なるほど、確かにあれは憎しみじゃなくて恐怖だ。
ガキの頃、俺が父親だった男に向けていた目。ほんの少しだけ思い出して、吐きそうな気分になった。
「……なぁ、シンジ。お前、今度は何をやらかしたんだ?」
廊下に出た俺に、山川が隣にしゃがみ込んで力なく聞いた。どうやら、追い出されて暇をする俺に付き合ってくれるみたいだ。
「あいつらのハーレム、ぶっ壊そうと思ってな」
「マジかよ」
「晴田が元カノだと思い込んでた女を引っ張り出して、あいつと対決させてこっ酷くフラせた」
「お、お前。人の心とかないんか?」
「さぁな。ただ、俺は前に進もうとしてる奴の足を引っ張る人間が心底ムカつくってだけだよ」
「……はぁ。つまり、月野のためか」
返事はしなかった。山川は、既に真意に気づいていると分かったからだ。
「それで、晴田や青山たちはどうするんだよ」
「知るかよ。お前だって、秀雲学園に落ちた責任を自分で取ったじゃんか。いつか風化して、勝手に助かるだろ」
「……それは嘘だよ、シンジ。お前に救われたから、俺は今を楽しくやれてる」
「違う、お前は――」
「違わねぇよ。俺は、お前がいなきゃ腐ったままもっと終わってる学校生活を送ってた。晴田を虐めた弱い俺が、それを証明してるじゃんか」
言われ、俺も山川の隣で視線を同じ高さに合わせる。確かにこいつの言う通りで、俺が絶対に間違っていると理解したからだ。
「青山も、榛名も、遊佐も。もちろん晴田だって。多分、お前みたいな奴をずっと待ってたんだ。弱い人間は、誰かに引っ叩いて貰わないと前に進めないから」
「そうは見えねぇよ」
「そういうふうに見てないだけだろ。あいつらの苦しみを知らないなら、あんなに酷いこと言えるワケがない」
俺は、余りにも芯を食った山川の言葉に笑ってしまった。つられたのか、彼も笑って少しだけ気分が軽くなった。
「いや、マジで青山のこと殺すつもりなんじゃないかって思ったぞ。お前、月野が止めなかったらなんて言うつもりだったんだ?」
「さぁ、なんだったかな。忘れたよ」
「……そういうならいいけどよ。月野が虐められて頭にきてたとは言え、あれは流石にやり過ぎだ。青山だって、一応は女の子なんだぜ?」
しかし、何となく山川が何を伝えたいのか分かってしまって、どうにも及び腰な気分だ。俺は、どうしてもあいつらのことを素直に助けてやりたいって思えないんだ。
だって、ネジ曲がって、ネジ曲がって。それでも捩じ切れずに歩き続けた先にあるこの俺が、俺よりも恵まれた環境で育ったクセに、たった一度の挫折や後悔で折れてしまった人間に力を貸すだなんて納得いくワケがないだろ。
「……まぁ、それは悪かったよ。反省してる」
それなのに、ムカついて仕方ないのに。
「だろ?」
あの梅雨の日、最初に月野に頼まれた時も同じようなことを考えていたと思うと。
「どうだ? 罪滅ぼしも兼ねて、力を貸してやってもいいんじゃないか? 俺の頼みなら女子禁止も破らなくて済むだろう?」
やっぱり、山川の言う通り俺があいつらをそういうふうに見てないだけなんだって、どうしようもないくらいに分かってしまった。
「……まぁ、元を辿れば俺の自業自得だ。予定と違う方向に転がったのは確かだ。フォローする必要があるわな」
「おお! 流石シンジ! やっぱ、お前は話の分かるいい奴だなぁ!?」
「買い被らないでくれ、それに懸念点もある。あの場所には、確かに自分の力で何とかしたがってる奴が少なくとも一人いるだろ」
「そ、そうか。月野か」
「俺は、勝手に引っ掻き回してあいつの想いを無下にすることだけは絶対に出来ない」
黙って頷くと、山川は呆れたように笑った。
「優しいな、お前」
「だから、今日は帰って考えてみる。一回クラスの熱を冷まして、土日が明けたら早速動くよ」
「おい、ちょっと待てよ」
立ち上がると、山川は俺のシャツを掴んでその場に引き止めた。
「なんだ?」
「鞄、俺が取ってきてやるよ。ついでに東出と浜辺も連れてくる」
「はぁ? なんで?」
「一緒にサボるからに決まってるだろ? ボケてんじゃねーよ」
そして、俺たちは4人でゲーセンへ向かいサイゼで飯を食って、カラオケで音痴を披露してから別れたのだった。
ずっとこんなふうに青春を送れたらいいのにと、心の底から思った。
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