第11話

 011



「少年、名前は?」

「カケルだよ」

「カケル。お前、何であそこに来たんだ? もしかして迷子か?」

「お姉ちゃんが見えたから」

「なんだよ、その姉ちゃんはまだサイゼにいんのか?」

「うん。でも、忙しそうだった。お取り込み中」

「難しい言葉知ってんな。分かった、姉ちゃんが暇になるまで兄ちゃんと遊ぼう」



 もしかすると、カップルで遊びに来ていた客の中の弟なのかもしれない。子供ながらに二人の睦まじい仲を察し、ともすればマセガキよろしく夕方の情事を察してやったのかもしれない。



 ……なーんて勘違いをするワケもなく。



 俺は、こいつが月野の弟だって分かったから連れてきたのだ。名前からして月の満ち欠けで姉弟なんだろうし、幼いのにとんでもなく整ったツラをしているし。



 そして、何より。



「んふふ。ありがとう、お兄ちゃん」



 この笑い方。



 お前、姉ちゃんそっくりじゃねぇか。それに、もしもカケルが月野の弟じゃなかったら、この街にとんでもない美形な家系が二つもあることになる。



 そんな天文学的な確率、絶対にありえねぇ。だからカケルは月野の弟だ。



「なぁ、カケル。お前、腹減ってねぇか?」

「減ってる!」

「なら、俺がおやつ作ってやるよ。ここに来るってことはご両親も空けてるだろうし、姉ちゃん帰ってくるまで俺んとこにいな」

「やったぁ。僕、お兄ちゃんのお料理食べたかったんだ」

「なんだ、姉ちゃんから聞いたのか」

「うん。この前、お兄ちゃんのおうどんをお姉ちゃんが作ってくれたの。たまごと鶏肉のヤツ、おいしかった」



 『お』が重なってややこしいな。



「……ん、鶏肉?」

「うん。たまごと鶏肉と人参とほうれん草とワカメと、あと鰹節も入ってた」



 それはそれでうまそうだが、どう考えても俺が作った関西風でなく醤油と酒で甘く味付けする関東風の具材だった。



「残念だが、そいつは兄ちゃんのうどんじゃない。姉ちゃんのうどんだ」

「えぇ、そんなぁ……」

「まぁ、うまかったならいいだろ。白玉と生クリーム買って帰るぞ」

「なんで?」

「ぜんざいが残ってるからよ、乗っけてご馳走してやる」

「ぜんざい?」



 なんだ、最近のガキはぜんざいも知らないのか。



 和のスイーツの不人気っぷりはあんこと黒糖好きの俺的に割と不満だし、ここで折れたら婆ちゃん子の名が廃る。ケーキやプリンと戦えるポテンシャルがあることを、俺がカケルに教えてやらなければ。



「あまーい豆のおやつだ、うまいぞ。丁寧に潰すと舌触りが変わって面白い」

「えー。僕、お豆は好きじゃないよ」

「俺の作った豆はうまい、信じろ」

「本当に? おいしくなかったら?」

「俺を殺せ」

「えぇ!? あははっ!!」



 リアクションまでそっくり。



 きっと、将来はとんでもないイケメンに育つんだろうし、今のうちに一途になるよう教育しておこう。こいつが浮気性に育ったら街からカケルの世代のJKが消えちまうよ。



「行くぞ、ほら」

「うん!」



 ということで、俺はアパートへ帰ってきた。月野に事の顛末を聞く必要はない。もう俺が関わる理由もないし、また普段通りの退屈で最悪な日常が戻ってくるだけ。



 じきに借金も返し終わる。居酒屋が休みの日、日雇いを入れて更に稼いでおくのもいいかもな。



「お家、ボロいね。僕の部屋よりも狭いし」

「最低限の機能しか備わってないからなぁ。まぁ、分相応ってヤツだ」

「ブンソウオウっなに?」

「スタート地点のこと。ほら、出来たぞ。夕飯食えなくなるとあれだから、茶碗半分な」

「うん、いただきます」



 俺は扇風機を回し、ちゃぶ台に頬杖をついてカケルがぎこちなく箸でぜんざいを口に運ぶ様子を見ていた。嫌いだと言ってたが黙って食べるし、行儀もよくてビックリだ。



「甘い! おいしいよ! これ!」

「だろ」

「だって、苦くないもん。苦くないお豆って初めて食べた!」

「ほら、たくあん。これ齧ると更にうまい」

「嘘だぁ! 漬物と合うわけないよ! おいしくなかったらどうするの!?」

「俺を殺せ」

「あっはっは!! うわっ!! おいしい!!」



 賑やかな奴だ。こんな弟がいたら毎日飯作るのも楽しいに違いない。月野母が料理上手の理由は、父娘息子とみんなのリアクションがいいからだろう。



「それで、本当は何で俺のところに来たんだ?」

「ラインで聞いたからお姉ちゃんを迎えに来たんだよ、でも忙しそうだったから止めたの」

「なんだ、マジだったのか」

「うん。それでね、お姉ちゃんのスマホにね、お兄ちゃんの写真があったの。お姉ちゃん、お兄ちゃんのことトーサツしてるんだよ?」

「うわ、マジかよ。カケルの姉ちゃんやべぇな」



 本当にいつ撮ったのやら、盗撮なんて趣味が悪い。もちろん、言ったって絶対に撮らせてなんてやらなかったけど。



「だから、お姉ちゃんがいつも言ってるお兄ちゃんはお兄ちゃんだって思って。お姉ちゃんの友達なら大丈夫だと思ったからお兄ちゃんの席に座った」



 いつも話してるのかよ。あいつ、さてはブラコンだな。



「カケル。お前、小学生のクセに頭がキレるな」

「んふふ」

「それと、俺のことはシンジでいい。お兄ちゃんだのお姉ちゃんだの、二人称が多すぎて分かりにくくなる」

「二人称ってなに?」

「相手の名前を覚えなくても会話できる便利な言葉」



 何度か頷いて不思議そうな顔を見せてから、カケルはおいしそうに白玉を頬張って眠たい猫みたいにニッコリと笑った。同じ年の頃の俺は、果たしてこんなふうに笑えていただろうか。



 何だか、世間一般でいうところの父親の喜びが分かったような気がした。



「なぁ、学校楽しいか?」

「うん。繰り上げの計算が出来るようになった。あとサッカーも楽しい。二点取った」

「そ、そうか」



 あの地獄のタマケリが楽しいとは、イケメンは運動神経も備えて生まれてくるのがデフォルトなのか? 何だか納得いかない才能だ。



「スポーツ出来るならさ、カケルは女の子にモテるのか?」

「分かんないけど、この前はルリちゃんにチューされた」

「なにぃ!? 100年はえぇ!! お仕置きしてやる!!」



 俺は、カケルに飛びかかって畳の上に寝転ばすと脇腹をコチョコチョとくすぐってやった。ゲラゲラと笑いながらジタバタしている、この小さい体でとんでもないパワーだ。



「うわっははははっ!! シンジ!! 許して!!」

「ルリちゃんの他は誰にされたんだ!! 言え!!」

「あっは!! ほ、ホノカちゃんと、サキちゃん!!」

「コラコラコラぁッ!!」

「ごめんなさい!! ああああああ!!」



 流石に笑い疲れただろうから手を離すと、カケルは息を切らしてヘラヘラしながら俺を見上げた。このマセガキ、やることやるの早すぎるだろ。



「でもよ、カケル。一度に付き合う女は一人に絞って、もしも他の女がよくなったらちゃんと別れてから別の女と付き合いなさいよ」

「わ、分かった。ひぃ、苦しい。けほ……っ。あははっ」

「それ、姉ちゃんに話したか?」

「うぅん、シンジ以外には話してないよ。恥ずかしいし、女には言いたくない」



 ならば、俺たちには交わさねばならない決まり事があるだろう。男同士のお約束で、一方的に俺だけが秘密を握るのはフェアじゃないのだ。



「代わりに俺の秘密も握っておけ。そうすれば、俺が絶対に誰にも言わないって信じられるだろ」

「う、うん。なに? シンジの秘密って」

「俺は貧乳の方が好きなんだ。理由は、手足がスラッと伸びて綺麗に見えるし、何より気にしてる姿がグッとくるから」

「な、なるほど。シンジは貧乳好き」

「誰にも言うなよ」

「わかった、絶対に内緒にする」



 ガッチリと握手をしてから、カケルは残りのぜんざいを平らげて静かに手を合わせた。最後まで丁寧で尽くし甲斐のありそうな男だ。さしずめ、俺は王子の爺やってところだな。



 というか、お前は貧乳の意味を知ってるのかよ。



「で、カケル。お前はその3人の中で誰が一番好きなんだ?」

「えぇ? んっとねぇ、ルリちゃんかなぁ」

「どんな子だ? お前のスマホに写真とかねぇの?」

「三人ともあるよ、この子」



 確かにかわいい女の子だった。そこはかとないハーレム感を覚える写真だったが、さっき約束したことだし許してやろう。



「でも、みんなかわいいな。カケルのタイプの問題か?」

「うぅん、見た目はどうでもいいんだよ。ルリちゃんは僕にサッカー教えてって言うから、頼られると嬉しい」

「なるほど。男は本当に頼られると弱いもんなぁ」



 そもそも、金持ちが金持ちを求めないように容姿で満たされてる奴は相手に容姿を求めないか。共有している思い出重視、とてもいい趣味だ。



「……シンジ、目が糸みたいになってるよ?」

「あぁ、すまんすまん。そんで、他に思い出はねぇの? 聞かせてくれよ」

「んっとねぇ、あとはねぇ――」



 そんなワケで、俺は既に数歩先を行くカケルの恋バナを聞いていた。



 ふと時計を見ると、外の明るさに反してちょうどいい時間になっている。月野たちもそろそろ終わっただろうから、家まで送っていってやるとしよう。



「姉ちゃん、帰ってきたか?」

「うん、ライン来てた」

「なら、家まで送ってやる。行こう」

「あれ? 僕、シンジにお姉ちゃんの名前もお家のことも言ってないよ? 何で知ってるの?」



 まぁ、やっぱり小学1年生だな。この年で俺よりも頭がキレてたら、それこそ俺の存在意義が無くなって泣いちゃうところだけど。



「月野さんちのミチルちゃんだろ? 俺が家に上がって料理を作った女なんて、この世に一人しか存在していないんだ」

「あ、そっかぁ」



 カケルは何かをミスったのか、俺を見上げると気まずそうに笑って俺の手を握った。こういう甘えん坊なのが末っ子気質ってヤツか、女からすればたまらねぇ仕草だろう。



 ならば、月野のお姉ちゃん気質ってなんだろうか。あいつの姉っぽいところ、今のところ見たことねぇ気がするが。



 ――シンジくんと一緒なら、絶対に大丈夫。



「……あぁ、あれか」

「なにが?」

「いいや、何でもない。ライン交換しようぜ。かーちゃんにはちゃんと、姉ちゃんの友達と友達になったって報告するんだぞ」

「うん!」



 ということで俺はカケルと友達になった。



 別れることになったのは、やっぱりあの分岐点。月野の家に明かりがついているのを見てから、俺はカケルの背中を押して帰るように促した。



「……ねぇ、シンジ」

「ん?」

「お姉ちゃんのこと、助けてあげてね。寂しがり屋だから」



 そして、彼は駆けていった。あいつ、本当は最初っからそれを言いたくて俺に近づいたのだろうか。高槻シンジがそれを言うべき人間なのか、彼なりに値踏みしていたのだろうか。



 小学一年生で? マジかよ。



「一杯食わされたな、あっぱれだ」



 やっぱり頭のキレる男だったが、とりあえずその答えはもう少しだけ保留させてもらおう。恋をしていない俺じゃ、上っ面の奉仕になって結果的に月野が悲しむことになっちまう。



「……よくねぇよな、それは」



 さて、駅裏の夕焼け商店街に寄ってから帰ろう。あそこの食材は、新鮮でとてもお買い得なんだ。

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