第10話(晴田コウ)

 010(晴田コウ)



 なぜ、俺の周りに女の子が集まるのか昔から分からなかったし、その理由を分かろうともしなかった。



 昔から俺は自分のことを平凡だと思っていて、その平凡な俺がこうなのだから他の男子もみんなそんなモンなんだと思っていた。

 女子から好かれることを、ステータスだと思ったことはない。責任なんてのを感じたことだってなかったし、何よりも人生において俺が本気を出したことだって一度もないのだ。



 それなのに、失敗することなんてない。そもそも挑戦している自覚すらない。ただ目の前にあることを場当たり的に解決出来る能力が都合よく俺の中にあるから、それを使って収めていただけ。



 最初にそんな俺を肯定してくれた女の子は姉で、その次が妹。小学生になったらいつの間にか近所の友達も集まってきて、それもほとんどが女の子。



 勉強で躓くこともなく、文化的な趣味もそこそここなし、高学年になれば何故か喧嘩を売られるようになったが、特に苦労することもなく状況を打破し続けて、やっぱり女の子に褒められて。



 だから、いつしか俺は人生ってこういうモノなんだろうなって思っていた。大した苦労なんて無くても上手くいくように出来てるんだろうなって思っていた。



 ……あの日、奴に出会うまでは。



「あれは……?」



 奴は高校生になって間もないとき、どういうワケか上級生の不良たちとモメていた。きっと俺とミキとカナエとココミ、四人しか知らない校舎の裏での出来事だ。



「へへ。今のうちたっぷり殴っとけよ、先輩がた。お前らの人生はここで終わるんだから、後悔のねぇようにさ」

「な、なんなんだよ。テメーは……っ」

「お前らは、彼からパクった小銭と俺をブチのめした優越感だけ抱いて、あとはうだつの上がらねぇ人生を歩くんだよ。ほら、どうした? こんな程度で残りの60年近く楽しく生きていけんのか?」



 異様な光景だった。



 壁際には少し太った二年生の男子。奴はその男子を守るように立ちはだかり、大きな男に胸ぐらを掴まれている。その後ろには大男の取り巻き三人が陣取っていた。



 それなのに、余裕の笑みを浮かべているのが奴で、恐れ慄きどうしていいのか分からないといった不安を顕にしているのは虐めている上級生だったのだ。



「テメーッ! いい加減その減らず口を閉じろやぁッ!」

「いやいや、それはもったいねぇだろ先輩。お前みたいな落ちこぼれが出会う、きっと最後のパンピーだぞ。鳴き声しか知らねぇお前が言葉を教えてもらえる唯一の時間なんだから、もっと楽しそうにしてくれや」

「クソがぁ!!」



 ボゴっ! と鈍い音がして、しかし奴は後ろの男子生徒の前からどかなかった。それどころか、立ち上がってニヒルと邪悪と不気味さにに満ちた笑み浮かべると、尋常でなく細い体をユラリと揺らして血の唾を吐き立ち上がったのだ。



「ペ……っ。おら、どうしたド低能。まさか、これで終わりか? こんなか弱い俺をブチのめす力もないくせにイキってたのか?」

「うるせぇ……っ」

「もしかして、他の不良高校なんかに通ってるマジのヤンキーには街で遭ってもペコペコしてるんじゃねぇの? なぁ、どうなんだよ?」

「うるせぇよォ!! なんなんだよテメーはぁ!?」

「図星かよ!? ダッセぇなおい! お前らマジで終わってるよ! さっき出会ったばっかの俺が気付くんだからお前の周りの奴はみんな気がついてるぞ!? とっくに周りから見下されてんのも知らねぇでイキリ散らして恥ずかしくねぇのかよ!? バーーーカ!!!」



 ……果たして、これから先の人生で再び、虐めている側を可哀想だと思う出来事が訪れるのだろうか。



 奴の言葉を聞いて、小銭とやらを巻き上げられたであろう後ろの小太りな先輩もクスっと笑った。

 しかし、四人は既に戦意を喪失している。きっと、俺たちが目撃するよりも前から彼らがどうなるのか、あいつは何度も殴られながら声高らかに宣言していたに違いない。



 もう、連中は何も出来なかった。



「行きましょう、先輩」



 不良たちへ心底見下したような笑みを向けると一転、奴は後ろの先輩を優しく促して二人でその角から出てきた。

 俺たちとすれ違うとき、奴は一瞥だけくれて言葉も無しに『決して他言するな』と語っていた。



 ……他の人の気持ちが分からない俺なのに、奴の意図だけは嫌なくらいに汲めたのだ。



「あ、あり得ないわ」



 ミキの呟きが聞こえて、俺はようやく意識を取り戻した。果たして、彼女の言葉はどういう意味なのだろう。問い返すことをしなかったのは、いつも通り問わなければ分からない面倒さに辟易としたからだ。



 ……しかし、少なくとも俺は西城高校から退学者が出たという噂を聞くことは無かった。



 それから時は経ち、俺たちは二年生に進級した。



「高槻シンジです、よろしくお願いします」



 自己紹介のとき、ハッキリ言って俺はビビったんだ。あのときのキチガイ染みた狂気の男が、まさか同じクラスにいるだなんて。もしもこいつとカチ合えば、地獄を見ることになるかもしれないって感じたから。



 そんな予感が、的中したのはあの日のことだ。



「待てコラ。パンなんていつでも食えるんだからそいつらの弁当食ってやれよ」

「……急になに?」



 怖かった。



 何が怖かったかって、高槻がどうして俺に絡んできたのかが分からなかったからだ。ミキたちとのやり取りなんていつも通りのことだったし、それを誰かに咎められたことなんてなかった。



 俺は何の変わりもなく当たり前のことを言って、それに彼女たちがどう答えるのかは分からないけど。きっと、やっぱりいつも通りの何も無い日常が過ぎ去るだけだって、俺は思っていた。



 本当に、一度だって考えたことがなかった。なぜ、彼女たちが俺の元へ集まってくるのかなんて知るワケもなかったのに、奴はまるで青天の霹靂のように答えを言ったのだ。



 ……挙句の果てには。



「迷惑してるからだ」



 迷惑?



 この俺が、迷惑だって?



「殴りたきゃ殴ればいいけどよ、恥とキモさを上塗りしてる惨めさくらいは把握しておけや」



 ……あぁ、あの時の不良たちもまったく同じ気持ちだったんだ。



 こいつは俺が周囲からどんなふうに見られているのかを、なによりも酷い言葉で物語って。それが荒唐無稽なモノならば、突っぱねて気にしない事もできたのに。



 ――ボゴッ!



 信じられないが、こいつは人の心を壊す術を知っている。理解させれられて、分からされて、自分がどうしていいのか、何をするべきなのかも見えなくさせられて。そうして、俺の理性が吹き飛び、最後に残された防衛本能に身を任せることしか出来なくさせられて。



 だから殴った、初めて俺から手を出した。生まれて初めて敗北したんだって、嫌なくらいに自覚していたさ。



 それなのに、高槻は……っ!



「眠かったので、ぶん殴ってくれと頼みました」



 あろうことか、俺を庇いやがった! 



 どうしてそんなことが出来る!? なぜ最後の最後で情けをかけやがるんだ!? あの不良たちだってそうだ! あいつの言葉と知恵があればいくらでも印象を操作できたハズだ! 西城高校にいられたハズがないんだ!!



 ムカつく相手なんて酷い目に合わせてやればいいって思ってるから、そんなことをしているんじゃないのか!? なんで、お前はそんなに……っ!!



「どうしてなんだ……っ」



 そうして、更に俺を苦しめたのは痛みを受けても女の子たちには相談出来なかったことだった。



 別に彼女たちが拒んでいるワケじゃない。俺が人生を歩むうち、無意識にカッコつけるようになっていたんだ。



 彼女たちの前では彼女たちが慕う俺でいないとダメだって、彼女たちに弱さを見せちゃダメだって、ストレスを与えるようなことをしちゃいけないって決めつけてたんだって。



 そして、初めて気がついたんだ。



「……はは」



 俺には、恨みや愚痴を零せる相手がいなかった。



「大丈夫だよ、コウくん」



 そんなとき、ミチルは俺を救ってくれた。今までは他の女の子と同じだった彼女が、まるで天使のように見えたさ。



 俺の痛みを分かってくれて、苦しみを知ってくれて。シズクに惚れたときを思い出した。他の女の子とは違う、俺を慕うのではなく掬い上げてくれる人だと思った。



 ……でも、すぐに分かったよ。



 だって、人の心を壊す方法を知っている人間あいつが救う方法を知らないハズがない。昨日までみんなと何も変わらなかった月野ミチルという女の子が、急にそんなふうに変わったのであれば。



「なに言ってんだ、バーカ」



 この男こそが、普通だったハズの彼女に温かさを与えていたのだ。



 でも、どうして? どうしてそんなことをするんだ? 俺は、クラスのみんなに迷惑をかけていたんじゃないのかよ。嫌われていたんじゃないのかよ。お前は自分で叩きのめした相手に、どうしてそんなことをするんだよ。



 ……もう、何も分からなかった。



「ねぇ、ミチル」

「なに? コウくん」

「……ごめん、やっぱりなんでもない」



 聞けなかった。初めて愚痴を吐いたのに。初めて女の子に縋りついたのに。それでも受け入れてくれた彼女に感謝をしてしまって、戻れないところまで来てしまっていたから。



 けれど、一つだけ確かなことがあった。



「コウ、今日はどうするの?」

「コウさん、実は見に行きたい映画があるんです」

「ボクも、実はコウと一緒に行きたいところがあるんだ」

「そっか。それならみんなで行こうよ、ミチルは――」



 彼女の視線の先に、俺なんていない。



 切なく見つめるその先には、いつも高槻の姿があって。頑張って話しかけたって、冷たく突き放されて弱く笑っていて。きっと、そんな彼女の恋は届いていないんだろうって悲しくなったりもしたよ。



 なのに、それを咎める気にもならないくらい、恨む気にもならないくらい、ミチルが奴に惚れてしまった理由が理解出来て。もう、何もかも手遅れなのに、やっぱり俺は前に進むことも、後ろに下がることも出来なかった。



 ……だから、高槻シンジ。



 俺が持っていないモノをすべて持っているお前が、俺は心の底から大嫌いだ。

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