第9話 ②

「なにぃ? コウ、マジでイケメンになってんじゃん。ウケる」

「そ、そうかな」

「昔は本当に女みたいな顔だったもんね。へ〜、確かにこれはモテるかもねぇ。女受けする顔だわぁ」

「なんだよ、そんなに褒められても困るよ」



 それから、幾つかの世間話や昔話を経て話題は恋バナへ移っていった。少年は、シレッと教えてやった紙ナプキンの折り鶴を真似しようと必死に頑張っている。



 話は右往左往して互いの高校の恋愛模様を楽しそうに話していたが、流れが変わったのは雲井の際どい質問からだった。



「てかさぁ、コウってウチのこと好きだったん?」

「は、はぁ?」

「いや、ウチはずっとカイトのこと好きだったからさぁ。なんか気づいてあげられてなかったらごめん、みたいな?」

「か、カイト? いや、そんなワケないだろ。だって、お前が一緒にラブホ行ったヤツは……」

「なんで知ってんの? もしかしてストーカー? やだぁ、キモーい!」



 流石、モテ男は相手が女だとキレたりしないらしい。



 巷では、女にも同じようにブチギレて散々煽りまくった挙げ句、プライドを一本ずつへし折る不届き者もいるらしいからな。個人的に、晴田の対応はよくやっていると思う。



「そもそも、シズクは俺と付き合ってたんじゃないのか? それなのに――」

「付き合ってないよ」



 突然、氷のように冷たい言葉を解き放った雲井。なんの迷いもなく否定する優しさ、俺はお前に敬意を表する。



「……な、なんでだ? だって、付き合ってないならあんなことしないだろ? カイトだって、そう言ってたじゃないか」

「ごめん、それってコウの勘違い。今日は、その話をしたかったの」



 しかし、同席している月野の気まずさと言ったらないだろうな。不憫属性は確かだ、何気にいつも貧乏くじ引いてるし。



「私は、昔っからずっとカイトが好きだった。今も大好きで、だから同じ学校の同じ部活まで追っかけてる。それくらい惚れてるの」

「だって、お前は……っ」

「カイトの言葉を否定しなかったこと、今では悪かったと思ってる。ラブホに入っちゃったのもウチの弱さ。全部全部、男に対してセンリョなことをしたなぁって反省してるよ。でもね」



 その時、雲井は何故か机を叩いて立ち上がった。どうやら女にしか分からない気持ちの昂ぶりがあったようだった。少年がビックリして彼女を見上げたから、頭を撫でて落ち着くよう頷いた。



「あんた、ウチといても全然嬉しそうじゃなかったじゃん。ウチのことを好きなら、もっと喜んでくれても良かったんじゃない?」

「喜ぶってなんだよ。大体、俺はシズクが俺を好きだって話だったから……」

「勘違いして、女ったらしになった。そんなことまで責任転嫁して、あんた恥ずかしくないの?」



 風が吹けば桶屋が儲かるばりの論理の飛躍に少し頭が痛くなった。そういうことをブチまける予定じゃなかったろ、何となく過去の話になって何となく諭す計画だっただろうに。



 忘れていた。こいつは、俺と相性最悪の女なんだった。



「ウチのこと、手に入れるための努力とか、喜ばすためのプレゼントとか、驚かせるサプライズとか。そういうの、一回もしてくれたことなかったでしょ? ウチを好きになっちゃったんなら、一回くらい喜ばせてくれてもよかったんじゃないの?」

「シズクちゃん、落ち着いて」

「カイトは必ずウチの誕生日を祝ってくれる。昔っから絶対にだよ。寂しい時だって、話を聞いてくれた。そういう努力も無しに女を手に入れようなんて甘いよ、ウチを何もしないで惚れるような女だと思ってんじゃないよ!」



 ……きっと、雲井は自分に言い聞かせている。



 もう二度とブレないように。自分がカイトに尽くす為の努力の方法をただここで宣言しているに過ぎない。言ってみれば、不甲斐ない自分を押し付けて暴論で晴田を攻撃しているだけだ。



 不器用で、理不尽だと思う。女特有の嫌な攻撃だとも思う。



 もちろん、俺が晴田なら幾つもの反論をして、数倍の罪悪感を植え付けて、今の恋だって絶対に叶わないのだと指摘してやるだろう。例え話が通じずとも、陰キャらしくチクチクと攻めて甘さを引き出してやるだろう。



 だが。



「……そうか」



 晴田コウは、決してそんなことをしない。



 奴の欠点が、無味無臭無色透明ならば。女が惚れる理由も、きっとそこなのだから。



 答えを求めない、居心地の良さに甘えていたい。毒にも薬にもならない現状維持を求め、今に留まりたい女だってこの世には幾らでもいるだろうから。

 奴がモテる理由は、逆説的に立ち止まっている女が増えたからなんじゃねぇかって。俺は、バカみたいに吹っ切れた雲井を見てそう思った。



「コウくん、ごめんね」



 奴の不幸は、この俺がハーレム嫌いだったってことだけだ。



「ハッキリしなよ、コウ。あんた、昔はもっと明るかったじゃん。冒険ごっこしたいとか言って、一番前を歩いてたじゃん」

「……そうだったっけ」

「そうだよ。ウチらが知らない遊びを知ってて、その遊びにみんなを巻き込んで。なんかよく分かんないけど、あんたの周りには自然と人が集まってさぁ」

「あれ、シズクのお陰だと思ってた。気づかなかったよ」

「なら、気付きなよ。今だって、多分あんたの周りに集まってる人がいる。そうでしょ?」



 ……俺ともサオリとも違う、破天荒で猪突猛進な説得。何一つ本音を隠さない、彼女の中の真実だけを飾らずにぶち撒ける魂の叫び。



 俺は、その荒唐無稽さに少しだけ感動していた。



「……ミチル、そうなのか?」

「うん。私は、シズクちゃんの意見も間違ってはいないと思う」

「その中に、ミチルはいてくれてるのか?」



 晴田の言葉で、ようやくこの騒動の最も拗れた面倒くさい部分を雲井が知ったらしい。ともすれば、先程までの理不尽だって息を潜めるワケで。さっき月野を誂って知った事実を、考えないワケにはいかないハズで。



「……ま、マジで? あれ、そういう感じなの?」



 二人は、何も言わなかった。雲井の大声で静まり返った店内には、少年が静かに鶴を折る音だけが響いていた。



「そんな、嘘でしょ?。だって、ミチルは……っ!」

「分かってる、が好きなんだろう?」



 ……なに?



「俺、知ってた。だって、ミチルは夏休みに入ってから凄く綺麗になったから。本当に、誰よりも綺麗になったから」



 少年は、テーブルの下に潜り込んで俺の隣りに座り無邪気に俺の手を握った。彼は嬉しそうに俺を見上げてくれたが、こっちは額に汗が滲んで戦々恐々だ。



「どういうこと? え? なに? これってどんな展開?」



 雲井よりも俺の方が聞きたかった。こんなことを言うのも何だが、本来は学園ハーレムに恵まれるような奴が女の機微に気がつくなんてあり得ないことだ。



 だって、ダメだろ。気が付いてしまったら、奴の物語が成立しないじゃねぇか。



「夏祭りも、プールも、俺が誘わなければミチルは来なかった。俺だって、惚れた女が変わったことくらい気が付くよ。最近、いっつもあいつを見てるってことも分かってた」

「……ごめんね」

「謝ってなんて欲しくない。最初は、そんなつもりじゃなかったんだって知ってる。多分、ミチルにはミチルの理由があって。だから、一度は俺との距離を詰めてくれたんだって。それでも……っ」



 興味のあるモノをとことん突き詰める。そんな晴田の特性から、なぜ俺は女のことを排除して考えたのだろうか。



 ……いや、考えるまでもない。理由はたったの一つだけ。



「俺はミチルが好きだって思ってる。ずっと、そのことだけ考えてた」



 俺は興味がなかった。どうでも良かったから、考えなかっただけだ。



「ごめんなさい、コウくん。私、あなたの気持ちには応えられない」

「……どうしてなのか、聞いてもいいか?」

「他に、好きな人がいるから」

「名前は、教えてくれないんだろ?」

「うん、約束があるの」



 そして、月野は深く息を吸い込み透き通る声で言った。



「告白される幸せは、次に惚れた男のために取っておけって。だから、私からは絶対に好きだって言えない」



 ……そんな下らない言葉、覚えて信じてやがったのかよ。



 ばか。



「どうしたの? お兄ちゃん」

「いいや、何でもない。兄ちゃん、そろそろ行くから一緒に店を出ようか」

「うん」



 これ以上隠れたままで晴田の恥を知ることは、俺の信念に反するやり方となる。俺は、一人分のドリンクバーの代金を支払って店の外へ出た。



 ……いや、嘘だ。



 俺は、自分が月野に惚れていないことが申し訳なくて、晴田が不憫で見ていられなくて、だからそこから逃げたのだ。

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