第9話 ①
009
先生たちに事件の詳しい報告をしてから、俺と月野は晴田との合流の時間を待っていた。予定では16時30分、今日はバイトがないから時間に余裕があって気楽だ。
「サイゼ、初めてきた」
「本当に? そんなことある?」
「婆ちゃんが洋食は苦手とか言ってたし、一人で外食する金もねぇから」
「ふふっ、洋食って言ってもサイゼじゃん。安いし」
なんで笑うんだよ、意味が分からん。
「なぁなぁ、このイカ墨パスタってうまいのか? エスカルゴってあのカタツムリか? イタリアンジェラートって普通のアイスと何が違うんだ?」
「……食べたいの?」
「奢ってくれるなら食べたい」
「まぁ、別にいいけどさ。こうやって男にご飯奢る女って、絶対に沼るわよねぇ」
そんなワケで、俺は気になったメニューを紙に書いて注文した。やたらと深い溜息をつく月野は、どこかヒモ男を飼う苦労と快楽に苛まれたキャリアウーマンのステレオタイプを演じているようだった。
もしかして、これが俺に隠された才能なのだろうか。
「うまいな、これ」
「……ふふ。はぁ、これって絶対にヤバいなぁ」
困ってるのか喜んでいるのか判断しかねる、八の字眉でジェラートを食う俺を見つめる月野。こいつはきっと、自分が騙されてると分かりながら相手に尽くすタイプだな。
「ごちそうさま。そろそろ、雲井が合流する頃だ」
「うん」
「晴田が早いと困るし、俺は別の席に移動しておく。雲井にも事情は話してあるから、先に挨拶して友達にでもなるがいいさ」
「なるがいいって、シンジくんは本当に私の人間関係に興味ないんだね」
そんな事はないが、言い訳をしている時間もない。一度会計を済ませてから店員に席を分れたいと話し、俺は壁で隔たれた反対側に座って文庫本を捲った。
俺の役割は、ラインによる指示。先に幾つかのパターンを指示してあるから、働かなくていいのが一番の展開なんだが。
「あなたが月野さん? 初めまして」
「初めまして、雲井さん。今日はありがとうございます」
「うぅん、気にしないで。ウチの為でもあるから。あと、シズクでいいよ」
「そっか、私もミチルでいいよ」
現れた雲井は、壁の上から俺を覗き見てヒラヒラと手を振る。軽く手を上げて挨拶を返すと、1枚のメモ用紙をスッと落として月野の正面に座った。
『カイトのこと教えるついでに夕飯おごったげる、終わったら付き合って』
……とても魅力的な誘いだが、俺は紙ナプキンに『やめとく』と記入して向こう側へ落とした。月野以外の女に奢らせると、俺の中で何かが変わってしまうような気がしたのだ。
「あれ。シズクちゃん、それなに?」
「フラレた」
「フラレた?」
「シンジにご飯奢ってあげるから男を落とす作戦考えてって言ったんだケド、『やめとく』ってさ」
「……そ、そっか」
壁越しに、月野がニヤニヤと笑っているのが分かった。割とキモかったのだろう、若干引いたような雲井の声が聞こえた。
「ミチルってさ、シンジのカノジョ?」
「う、うぅん。違うよ」
「好きなの?」
いきなりとんでもねぇこと聞きやがる。
「……内緒」
「ふぅん。でもさ、あいつってなに言ってるか分かんないとき多くない?」
「あ〜、それはある」
「ね〜。あぁいう面倒くさいタイプの男ってさぁ、自分がモテると思ってる男よりタチ悪くない? ウチは無理かなぁ」
「ふふ、うん。確かに、私が会った人の中でいっちばん面倒くさいかも」
こいつら、俺がいるの分かってるよな? たった今記憶が書き換えられたワケじゃねぇよな?
「でも、頼りにはなるんでしょうね」
「え、いや。急になに?」
「顔に書いてある。ミチル、さっき超ニヤニヤしててキモかったもん」
「んふふ。ね〜、キモいって言うのやめてよ。もう」
「真似してあげよっか? こんな感じ」
「あはっ! ちょっと! 私そんなんだったぁ!?」
楽しそうだな、マジでどんな顔してたのか気になる。
「……あ、待って。コウくんから連絡きた。お店の前にいるって」
「ふぅん。ウチ、先にジュース持ってこよ。ミチルも飲む?」
「うん、ありがとう。同じのをお願い」
晴田には、月野から『一緒に会って欲しい人がいる』と連絡してある。正体が雲井だと知らせれば、適当な理由をこいて逃げる可能性が高かったからだ。
改めて確認するが、今回の計画は晴田に自分の姿を見つめ直させるモノだ。奴の意識を正して、自分に惚れている女がクラス内で起こしている不和の責任を取らせるのが目的。
厳密に言えば、今日が上手くいけば晴田の意識が勝手に戻って勝手にクラスを治すというのが正しい。結局、ヒロインズとの関係は俺じゃどうすることも出来ないのだから手助け出来ないのが実際の話だ。
つーか、現状の天才っぷりに欠点まで無くなった人間を、どうして俺みたいな持たざる者が助けてやらなきゃならないんだ。
「ありがとう、シズク」
……いや、持たざる者は言い過ぎたが。
とにかく、そんな何でも持ってる男に力を貸してやる義理など無い。それこそ、人助けではなく金儲けの領域に踏み込まなければやってられない。
例え完璧に月野に惚れていて、月野の気持ちが振り向かずとも、その答えを出すのも当人である月野と晴田だ。
正直な話、月野が誰と付き合おうが知ったことではない。最初から意見は変わらないし、どちらにせよ彼女との関係も今度こそ終わるだろう。
そうやって離れて、今度こそ俺の知らないところで勝手に幸せになればいい。フラレた女たちが悲しみに暮れて、晴田も傷を負って、それぞれが痛みに耐えきれなくなったとしても。月野は、決して気に病む必要などない。
恋愛とは、そういうモノだ。
……まぁ、真摯に出した答えに逆恨みされて被害を受けるのなら、また助けてやらんこともないけどな。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん、どうした」
「あのね、僕もここにいていい?」
なんの前触れもなく、小学生1年生くらいの小さな男の子が俺の目の前に座った。姿勢を低くしてテーブルに頭を伏せている。ひょっとして、友達とかくれんぼでもしているのだろうか。
見たところ、それらしい子供の客はいない。察するに、外から迷い込んできたか。
「いいぜ、見つかるなよ」
「んふふ、ありがとう」
「ほら、ジュース飲むか? 兄ちゃん、まだ飲んでないからやるよ」
「ほんと? ありがとう!」
俺は、男の子の頭を撫でて頬杖をつき窓の外を見た。晴田が店内へ入ってきている。見つからないよう、少しだけ深くソファに腰掛け壁に隠れると文庫本を広げてフィナーレを読んだ。
「し、シズクか?」
「久しぶり、コウ。元気してたぁ?」
「ミチル、会わせたい人って……」
「ごめんね、コウくん。でも、どうしても聞いて欲しい話があったの」
……晴田は、逃げなかった
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