第8話

 008



 屋上で弁当を持ったまま、俺は月野のことを考えていた。



 さっきは適当に誤魔化したが、内心では目の前にあんな綺麗な顔があって心臓がはち切れそうだった。鼻先に吐息が当たる感覚、前の出来事がなければ危なかったかもしれない。



 だから、逃げてきた。



 この屋上、何世代も前の不良たちがタバコのボヤ騒ぎを起こして封鎖されていたのだが。最近になって、貯水タンクと柵の点検業者が出入りするようになって開きっぱなしになっている。



 俺が開いている理由を知っているのは偶然だ。だから、期間限定の屋上解放を心ゆくまで楽しめるのも俺だけってワケ。



『どこいったの!?』



 スマホを見ると、月野から連絡が入っていた。そういえば、閉じ込められていた時におかずを交換するとか余計なこと言っちまったっけ。



『屋上』



 返事をすると、数分で月野がやってきた。スポーツが苦手なら走るのも苦手だろうに、額に汗をかいて随分と御苦労なことだ。



「なんで行っちゃうのよぉ! 私、ちゃんちゃん焼きってどんな料理なのか気になって仕方なかったのにぃ!」

「大丈夫だ、まだ食ってねぇよ。ほら」 



 包みを丸ごとくれてやると、月野はお馴染みのキョトンとした顔で俺を見た。多くを予想出来るワケでもないのに、本当に予想外に弱い奴だな。



「なんで全部?」

「やるよ、代わりにお前の弁当をくれ」

「え、えぇ?」

「お袋の味、食ってみたいんだ。頼む」

「お、女の子用だよ!? シンジくんじゃ絶対に足りないよ!?」

「いいよ」



 短く返して、月野の弁当を受け取る。確かに、俺の弁当箱よりも些か小さくて軽いと思った。



「ハンバーグ、グラタン、たまご焼き、プチトマト、人参のグラッセ。彩り良いな、綺麗だ」

「ま、まぁ。そりゃ、女の子用だもん。ママがカラフルにしてくれてるんだと思う」

「米、メチャクチャ少ないな。ちっさいおにぎりが一つか」

「女の子用なんだってば! そんなに食べられないよっ!」



 というワケで、米だけは俺の弁当の分を分けてもらうことになった。まずはグラタンを食べよう。



「うまい」

「でしょ? ママはね、お料理が上手なんだよ。パパ、仕事が忙しい時でも夜ご飯にはちゃんと帰ってくるの」

「へぇ、あったかい家庭でいいな。羨ましいよ」

「んふふ。でもね、そのハンバーグは私も一緒に作ったんだよ。昨日の夜の残りなの」

「そうなのか。……うん、うまい」

「本当に!?」

「あぁ、うまいよ」



 食いながら、何故か箸まで交換してしまっていることに気がついた。今更言っても遅いから、気が付かないフリでもしておこう。



「私も貰うよ」

「どうぞ」

「どれどれ。……はっ! これ、おいしいっ!! ヤバい!!」



 オーバーなリアクションだ、そんなふうに喜ばれたら嫌でも嬉しくなっちゃうだろうが。



「冷めても塩っぱくならないようにバターと味噌を控えめで作ったんだ。代わりに、シャケの下味を気持ち強めにつけてある」

「へぇ〜。うどんの時も思ったけど、シンジくんって本当にお料理上手なんだね。炊き込みご飯も、キノコと昆布の凄くいい味が染みてる」

「慣れだよ」

「このカブのお漬物は? ピリ辛でおいしいね」

「それは市販のヤツ」



 俺は、覆いかぶさった時の月野の顔が脳裏に浮かんでしまってまともに話ができなかった。目を見てしまえば、きっと脳みその回転がバカみたいに落ちて何も言えなくなるだろう。



 なんか、妙な気分だ。



 俺がデレるなんて、死ぬほどらしくないのに。



「……いや、待って。こんなのダメでしょ」

「なにが?」

「女の子よりお料理が上手って、それ絶対にダメでしょ!? 私が何を披露しても感動してもらえないじゃん!! ばか!!」

「急に何だよ。つーか、女が頑張って作ったモノなら男は味云々関係なく死ぬほど喜ぶんじゃねぇの?」

「はぇ!?」

「違うのか?」

「……うぅ」



 たまご焼き、これは格別だな。なんとなくお袋の味ってモノがわかったような気がする。覚えがないくらいホッとして、安心する甘い味。



 うまいだけじゃ安過ぎて、形容する言葉が見つからなかった。



「シンジくん、もしかして私のこと誂ってる?」

「誂ってないよ、なんで?」

「だって、さっきから惚れさせようとしてない!? そういうこと、絶対にしない人だと思ってたんですけど!?」

「勘違いだ、今は言葉を選ぶ余裕がないだけ」

「なんで!?」

「お前の顔、間近で見ちまった。ずっと照れてるんだよ」



 空を見ながら、独り言のように呟いた。月野が屋上に入ってきてから未だに顔を見られていない。

 つーか、なんだっけ。俺が月野を誂ってるだとか。俺だったら絶対に言わないことを言ってるだとか。



 ……ダメだ、ポーっとして頭に力が入らない。本格的に熱中症なのかもしれない。何か、冷たくて甘いモノが飲みたいな。



「あ、あぅあぅ」

「なんだよ、それって俺の知らない言葉か?」

「ち、違うくてですね。あの、ですね。その、なんと言ったらいいか分からなくてですね。その、えーっと……」

「ハッキリしろよ」

「……そ、その節はすいませんでした」

「お前が悪いワケじゃない、気にするなよ」



 それだけ言って立ち上がり、下の階の自動販売機でミルクティーとおしるこ二本を購入した。再び階段を登り、まだポカンとアホ面をぶら下げた月野を横目に通り過ぎる。



 どうしても照れくさくて、さっきよりも少しだけ距離を置いた場所に座った。



「ミルクティーとおしるこ、どっちがいい?」

「そ、それ、ミルクティー以外ないよね?」

「ほら、やるよ。俺が誰かに奢ることなんて、ツチノコより珍しいから感謝しろよな」

「……ばか」



 おしるこを一気飲みして、残ったおかずを一つずつゆっくりと食べた。ピンク色の弁当箱に、緑色のバランと模様の付いたグラタンのカップが残っている。



 なるほど、こうやって彩りを演出するワケだ。もしも月野に弁当を作る機会かあったら、この辺にも凝ってやった方がいいな。



 ……いや、なに考えてんだ俺は。バッカじゃねぇの?



「ごちそうさま、うまかった」

「う、うぃっす……」



 更におしるこを一本飲み干す。すると、どうやらこの甘さが気付薬になったらしい。疲れた脳みその隅々まで糖分が巡っていく感覚があって、視界がクリアになったような気がした。



 ボヤケて見えた遠くの景色も、いつも通り視力2.0の暗い世界だ。高槻シンジ、完全復活だな。



「ふぅ。でも、やっぱり足らなかったよ。月野」

「そっか、そうだよね」

「こんだけうまいなら、お前だってもっと食いてぇハズだろ。太るとか気にしてないで増量を頼んだらどうだ?」

「も、戻ってる!?」

「なんだよ、戻ってるって。そのアホ面片付けろ、疑われる前に戻るぞ。お前が先にクラス入れな」

「前より辛辣!!」



 そして、俺は校舎内をグルリと一周してから教室の中へ入った。



 何人かの友達と話す月野を、恨めしそうに見る視線が三つ。あの中に俺たちを閉じ込めた奴がいるかもしれないと考えると、本当に女の嫉妬は怖いと思って少し震えてしまった。



 だが、それも今日までだ。今度こそお前たちのドロドロでコリゴリな関係を、晴田の初恋とイカれた感性ごと木っ端微塵に破壊してやるから。



 決着、つけようや。

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