第7話
007
「なぁ、月野」
「なに?」
「なんで扉が開かねぇんだ?」
「閉じ込められたからでしょ?」
「普通さ、中の様子も調べねぇで倉庫の鍵かけるか? 流石にバカ過ぎるよな?」
「し、知らないよぉ。私に聞かないでよぉ……」
翌日の体育が終わった中休み。
先生に頼まれた俺は、石灰の粉を補充するために普段は使われていない第二倉庫へやってきていた。理由は当然、体育の成績が非常に悪い俺は先生を手伝ってポイントを稼いでいるためだ。
入る前にふと草むらを見たら、前に捨てた晴田の机が夏の間に生い茂った雑草と蔦で完全に隠されていた。ここら辺には、マジで誰も来ないみたいだった。
蒸し暑い倉庫の奥から石灰の袋を取り出していると、そこに月野がやってきた。こいつもこいつで、体育で必要になった道具を補充するためにやってきたのだという。
女子は確か体育館でバスケだったっけ。本当、厄介ごとに巻き込まれやすい性質をしているよ。お前は。
「犯人に心当たりとかねぇの?」
「わかんない」
「嘘つけ、本当はあるだろ。お前が嫌がるようなこと、やって得する人間なんて少ないハズだ」
「……その、巻き込んでごめんね」
分かってればそれでいい。別に巻き込まれたことに怒っちゃいないし、この俺の中のムカつきは理不尽にここへ閉じ込めた犯人へのモノだ。
「スマホは持ってねぇのか?」
「まぁ、体育だったからね」
「ここに来るのを知ってる奴は?」
「多分、犯人以外は誰も。きっと、第一倉庫に行ってると思われてるんじゃないかなぁ。あっちになかったから、こっちに来たワケだし」
すべて俺と同じだった。外部からの助けは、しばらく得られそうにないな。
「ど、どうしよっか。シンジくん」
「もちろん出る。今日は珍しく弁当を作ってきたんだ、食いそこねるワケにはいかない」
「へぇ、お弁当かぁ。どんなの?」
「大将が余ったシャケと野菜を分けてくれたからさ、今朝作ったちゃんちゃん焼きとキノコの炊き込みご飯を詰めてきた」
「おいしそう、食べたいなぁ」
「いいけど、お前のオカズと交換だぞ」
「本当に!? やったぁ! ところで、ちゃんちゃん焼きってなにっ!?」
俺は、月野にちゃんちゃん焼きの説明をしながら第二倉庫の間取りを調べた。
広さはざっと15畳程度。天井までも割と高く、外と繋がっているのは鉄格子が設置された小窓と出入り口の大きな鉄引き戸のみで壁はブロック塀。
しまわれているのは、もちろん体育の授業で使うエトセトラ。体育祭で使われる大玉とか大網なんてのもある。
この鉄引き戸は、どうやら後付みたいだ。ブロック小屋に最初から扉をつけるとしたら、普通は両開きの木扉なんかになるだろうしな。
「なにしてるの?」
「古い建物だからな、壁をぶっ壊せるモノを探してる」
「えぇ、そこは得意な推理で外に出る方法を探すんじゃないの?」
「そんな都合よく見つからないから現実なんじゃねぇか、推理じゃ鉄板はぶっ壊せねぇしさ」
「でも、石の壁にに穴開ける方が非現実的じゃない?」
「欠けてるとか、穴空いてるとかあるかもしれないし。棚の裏やら天井やら、ちょっと突っついてみようぜ」
そんなワケで、走り高跳びの棒を使って天井を突いてみたが柔らかいところは見つからない。それどころか、弱そうな箇所はしっかり補強してあって、ぶっ壊す案は叶いそうになかった。
穴を掘って出ようにも律儀に床を敷き詰めてある。倉庫として作ったのなら、こんなモン敷かなくていいだろうに。
「参ったなぁ」
「参ったねぇ」
「……さっきから気になってたけど、お前なんでそんなにお気楽なんだ? こんな暑くて薄暗いところに閉じ込められて、随分と落ち着いてるじゃんか」
「だって、一人ぼっちじゃないし。別に怖くないもん」
「さいですか」
俺は怖いけどな。もしかして、月野って俺が思ってる以上にピンチ慣れしてるのだろうか。
「ねぇ、シンジくん」
「うん?」
「雲井さん、どんな子だった?」
「大して悪者でもない、普通の女だったよ。今度あいつにカレシ作る契約させられた」
「ふふ、やっぱり」
含みのある返事をして、月野は膝を畳んだ。
「やっぱりって、まるで知ってたみたいな言い草だな」
「だってさ、シンジくんが言い負かしちゃったら相手はシンジくんより弱いことが証明されるでしょう? そうしたら、今度は庇護対象になっちゃうワケじゃん?」
俺の生き方の構造的欠陥を、なんのドラマも無いファッション感覚で明らかにするんじゃないよ。
「あいつの場合は助けるんじゃない、詫びだ」
「同じだよ。それに前から思ってたんだ、シンジくんの人助けってゴールが一向に見えないなぁって」
「別にそれでいいんだよ、俺は目に見える範囲しか手を貸さないから」
「ふぅん、そっか」
甘えるような、甘やかすような、とにかく不思議な甘い声だった。異様に静かで、日差しの届かぬ侘しい空間には女の声がよく響く。
「ならさ、もしもシンジくんより頭がいい人が現れてさ、シンジくんを助けてくれるってなったらどうするの?」
「どうするって、もう答えは知ってるだろ」
「えぇ? 私が知ってるの?」
「飯、奢ってくれたじゃんか。俺は俺より強くて優しい奴には素直に甘えるし、助けてもらうよ」
ほんの僅かに髪を揺らしたが、月野は緩く微笑むだけだ。手伝う気もなければ取り乱す気もない。何と言うか、とてもリアリティのある反応だなぁと思った。
そりゃそうだよな、リアクション取っても暑いだけだし。
「……ねぇ、シンジくん」
「今度はなんだよ」
「シンジくんって、大きいおっぱいの方が好き?」
「キモ過ぎだろ、暑さでおかしくなったのか?」
「ねぇ、教えてよ」
基本的に、俺はそういうネタを女と話すのが好きではない。男の内輪ノリでこそ、異性のタイプの話題はゲスに盛り上がれるのだから。多少は遠慮してしまう関係で、しかも女となれば言いたいことも言えない。
言えないが、こいつには昨日の借りがあるし。かと言って、女の身体的なコンプなんて俺には理解しかねるし。さて、どうするべきか。
……。
「まぁ、ほら。巨乳好きって、マザコンって言うじゃんかよ」
「そうだね」
「でもよ、俺にはかーちゃんがいないから」
「だから?」
「つまり、そういうことだ」
「なにそれ、どっちにでも取れるじゃん。わかんないよぉ」
これ以上は盛り上がるからダメ。ただでさえキモい話題なのに、もっとキモくなったら神経使って無駄に疲れるっての。
「それじゃ、他に無いの? 女の子の体で好きなところとか」
「無いの? じゃなくてさ、お前も少しは手伝ったらどうだ?」
「開かないモノは仕方ないもん、大人しく二人で座ってようよ。こういう時しか、シンジくんは私の話聞いてくれないんだし」
なんかスゲェ大人な感じだ。
月野と一緒にいれば、例え雪山でビバークすることになっても生存率が上がりそうだな。パニック映画のように慌てふためいて場をかき乱す女には、こいつは少なくともならないであろう。
「……まぁ、そうだな。少し座るか」
俺なりに頑張ってサッカーをしたからか、体操着はそれなりに汗で湿っている。少し匂いが気になるし、距離を開けて正面に座ろう。
「マットの方がお尻痛くないよ?」
「こっちでいいんだよ。つーか、お前って貧乳気にしてんの?」
「べ、別に気にしてないけど」
「もしかして、レースクイーンやってる時はパット入れたりしてんの?」
突然、俺たちを静寂が包んだ。
蛇に睨まれた蛙のように固まった綺麗な顔が徐々に熱を帯びて段々と染まっていくと、やがて真っ赤になって涙目になり、小さく唇を開き掠れた声で彼女はポツリと呟いた。
「……うん」
なんか、虐めてるみたいだ。胸の話はもうやめよう。
「……お、三限目が始まるチャイムだな。確か、次は自習だったっけか」
「うん、非常勤のライアン先生が急用でお休みしてるからね。もしかしたら、みんな私たちに気付かないかも」
「それはねぇだろ」
ボーっと鉄格子の外を眺めると、遥か上空を飛ぶ貨物航空機が2機見えた。あれは自衛隊のC-1だ。長い雲の軌跡を残して、中に城でも隠してるんじゃないかってくらいに大きな入道雲の中へ突入していく。
その間、俺たちの間に会話は無かった。
いい方法も、特に思いつかなかった。
「……そういえば、扉は掛金に南京錠だったな」
「そうなの? シンジくんが先に来てたから私は知らないよ」
「学校の引き戸なんて大抵そうだろ、第一倉庫や体育館の倉庫も同じ仕組みだ」
言いながら、俺はジャージのポケットに入れておいた南京錠と小さな鍵を見せた。納得したらしく「ふぅん」と頷いて俺の言葉を待っている。
つーか、こいつは俺がいなかったらどうやって中に入るつもりだったのだろう。鍵は体育の山本から直接借り受けたのに。
「これって、外からも開かないってことだよな。犯人が南京錠してるからロック掛かってるワケだし」
「それは流石に、先生が壊して開けてくれるんじゃない?」
「だったら、俺たちが壊しても文句はねぇか」
引き戸をもう一度横にスライドする。後付だからか、ほんの少しだけ隙間が開いて陽が差し込む。俺の指3本くらいなら外に出せる程度の隙間で、ピッタリじゃないから閉まる側にも同じくらい押し込めた。
「なにするの?」
「掛金を内側から突っついて破壊する、高跳びの棒を貸してくれ」
なるべく強くゴンゴンと突いてみたが、素材の強度の問題なのか甲高い音が響くだけで壊れる気配もない。いいアイデアだと思ったんだけどな。
「月野、実はピッキング出来たりしないか?」
「出来るワケないじゃん、泥棒じゃないんだから」
「そうか」
だんだん暑さが気になってきた。
そのせいで、頑丈な扉に腹が立ってくる。どうして盗むモノもないこの建物にこんなに立派な扉をつけるんだよ。雨風を凌げる程度でいいだろうに。
つーか、これって下手すれば熱中症とかで死ぬんじゃねぇの? 早くなんとかしないとヤバいぜ。
「……あれ。おい、見てみろよ。月野」
「今度はなぁに?」
「この扉、ガイドとドアレールが内側にあるな」
「それは、鉄だから雨ざらしにしてたら錆びちゃうからじゃない?」
……閃いた。
「ドア、壊せねぇかな」
「だから、それは無理だってば。鉄なんだよ?」
「いや、ドア板じゃなくてドア全体の話。こんだけ重たいドアなら、車輪で動いてるハズじゃんか」
「まぁ、そうだろうね」
「倉庫には床が敷いてあるしよ。なら、溝と言うかレールというか、とにかくそこから脱輪させれば内側に引き倒せるだろ」
「お、おぉ!」
俺は高跳びの棒を使い、ドアの下部を守る汚いプラカバーを端っこからテコの原理でメリメリと外した。顕になった扉は思った通り、幾つかの旋回部付きの車輪に乗っかっている。この大きさでもキャスターと呼ぶのだろうか。
構造は、ドアレールというよりも床と地面の溝に大きさの合わない車輪を落としている形だ。俺はまず、跳び箱に乗ってガイドに挟まっているローラーを南京錠で何度か叩いて一つ壊した。
これならば、月野が座っているマットを噛ませて脱輪させられるだろう。汗をかきながらズリズリと動かして、俺たちは何とか車輪の一つをマットの上に乗せた。
「やはり、シンジくんは凄いですなぁ。うんうん」
「ふぅ。お前、本当に呑気だな」
「んふふ。だって、どうせ助かるって分かってたもん。シンジくんと一緒なら、絶対に大丈夫」
「買い被るなってのに」
そして、俺と月野は隙間に指を突っ込んで思い切り手前に扉を引いた。一度や二度では動かないが、何度も動かせば車輪はやがて手前に動いて、動いて。
動いて。
「……倒れないね」
「わりぃ、俺のパワーが貧弱だから無理だわ。やっぱ出れねぇ」
「えぇ!? ちょっと、さっきの雰囲気返してよ! 私かなり恥ずかしいこと言っちゃったんですけど!?」
「バカ、嘘だよ。引いてダメなら押してみろって言うだろ?」
「逆だよっ!」
言ってから、今度は扉の左側に立ってドア板をグイッと押すと、レールを越えた鈍い車輪がギギギという音を立てて扉が開いていく。スライド式のドアなのだから、閉まった状態の向こうに壁がないのは構造上の常であるワケで。
「つまり、脱輪してればこう開くに決まってる。掛金もテコの原理でサバ折りだ」
「ひ、引き戸を前後に開くなんて、そんなの誰が思いつくのよっ!?」
月野のやかましい八つ当たりを聞き流す内に他の車輪も脱輪して、ゆっくりと扉が動いていく。しかし、扉の向こうは籠を出し入れするためにスロープを盛っていたっけか。
先の通り俺にはこいつを押す力があっても支える力などない。鍵が脆くなって扉も自重で動き出したし、安全のために少し離れておこう。
「月野、そっちにいると危ないぞ」
「え、なんで?」
「なんでって、そっちは――」
瞬間、バキンッ! と音がなって鍵が完全に捩じ切れる。右の一点のみを止められていた頑丈な扉は、自重で車輪に勢いをつけランダムな角度で猛然と月野へ襲い掛かった。
「きゃっ!」
扉が倒れ、大砲をぶっ放したかのような爆音が倉庫内へ響く。これでようやく出られるが、俺の目の前に広がっているのは外の景色ではなかった。
「……ぁ」
あるのは、覆い被さる俺を見上げ、手を胸の前でギュッと握って震える月野の姿だ。俺よりも先に目を開けていたのか、それとも瞑れないくらいビビったのか。どうでもいいが、情けない顔だ。
「反射神経どうなってんだよ。月野って、体育の成績悪いだろ」
「……う、うん。いつも、『2』だよ」
「先生のポイント稼いでるから、今日も使いっ走りしたんだろ」
「そ、そうです。ひゃい」
「ふふ、俺と同じだな」
そんなところまで似なくていいのに。そう思って、俺は月野から離れると立ち上がって手を差し伸べた。
「立ちなよ、さっきの音で誰か来るかも」
「……うん」
その後、すぐに守衛さんが到着して職員室に連絡。続いてやってきた先生たちに、扉を壊した事情を事細かに説明して何も間違っていないと俺は主張した。
証拠品はこの南京錠だ。壊れた鍵にもついているのだから、二つあるこれの理由を察するのに想像は難くないだろう。
「月野は校内でも指折りの人気者じゃないですか。ですから、嫉妬して困らせようと思った奴がいてもおかしくないです。俺は、まぁ巻き込まれただけですが」
「ふむ、なるほど」
「それに、俺たちは怪我もありませんでした。別に大事にする気もないです。なぁ、月野。そうだろ?」
「は、はい。その、私も高槻くんと同じ意見です……」
「分かった。しかし、一応は放課後に職員室へ来なさい。報告書とか書くから、いいね?」
「分かりました、失礼します」
なんてやり取りを終え、俺たちが自分のクラスへと戻る途中。
「ねぇ、シンジくん。私――」
「悪いことしたな」
「……え?」
「もうちょい早く注意すれば、あんな事にはならなかった。ごめん」
「……うぅん、ありがとう。私、嬉しかったよ」
それ以上、月野は口を開かなかった。
更衣室へたどり着いたのは、授業が終わるギリギリのタイミングだった。自習時間には間に合いそうにない。
ならば、昼飯までここで時間を潰しておこう。結構頑張ったし、これくらいのサボりは認められていいだろうさ。
「……疲れた」
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