第6話 ②
「あんさ、さっきからウチが騙したって言うけどさ。マジで意味分かんない。つーか、コウとは会いたくないんだケド」
「なぜですか?」
「いやぁ、ダルいから。大体、そんな昔のことを持ち出すのも意味分かんないし。今更カンケーなくない?」
確かに、俺からすれば雲井は厄介に巻き込まれた被害者でしかない。これからも今日までの青春を続けていれば、決して思い起こす必要の無かった記憶を呼び覚まされているワケだし。
けれど仕方ない。これは、晴田の事情なんだよ。巻き込まれた不運を嘆いていてくれ。
「違います。あなたが奴に会いたくないのは、多かれ少なかれ晴田を騙した自覚があるからです。そして、人の人生を左右してしまった事実を突き付けられ、その責任を負うのが怖くなったからです」
彼女の肌を濡らしていた川水が乾いたのがわかった。
そんなに頭にきてくれるとは、やはり自分より下だと思ってる奴に図星をつかれた勝ち組の表情は甘美だ。今頃、頭の中では必死で次の言い訳を捏ね回していることだろう。
「きっと、今あなたはこう考えていますね。『なぜ、たったあれだけのことで?』と」
「は、はぁ!? なに決めつけてんのよ!? ウチはまだ何も言ってないでしょ!?」
「違います。『たったあれだけ』とは、俺との会話ではなく雲井さんと晴田の過去を指していっています」
揺らいだ、畳み掛ける。
「……なんで、そんなこと」
「単純な話です。真相は、『あなたが嘘をついた男は晴田コウではなかった』から」
「え、どゆこと?」
聞き返したのはサオリだった。いつの間にか、誂うような笑顔も消えている。
「ねぇ。あんた、何者なワケ?」
「俺の正体はどうでもいいです、順を追って説明しましょう。あなたの考えが変わるかもしれませんから」
サクサク行こう。俺は、決して自分の考えをひけらかすのが好きなワケではない。勿体ぶりもケレン味も必要ないのだ。
「晴田はあなたに『浮気された』と証言しています。『フラレた』でも『捨てられた』でもなく浮気です。そして、彼の知らない間に他の男と付き合い、女性不信になったのだともね」
「知らない、男? というか、えっ? どゆこと?」
その反応は、俺の推論に確かさを与えてくれている。
「えぇ、知らない男です。しかし、晴田がその男のことを知らないなんてあり得ない。雲井さん、あなたの疑問は尤もです」
「シンジ、分かりやすく説明してよ」
「分からないか? 彼女に幼馴染みの男は二人いたんだ。そして、雲井シズクさん。あなたは晴田ではない、もう一人の幼馴染みの男に恋をしていた」
風谷は、雲井が幼少の頃にカンケリをして遊んでいたと証言した。かくれんぼならまだしも、カンケリは二人じゃやらないだろう。つまり、そこに第三者が介入していた事は明らかだった。
「でも、それなら幼馴染みが二人以上いた可能性も否定できないよ?」
「実際そうだろう。ただし、別に人数は大した問題じゃない。男が二人だったというのが、晴田が勘違いした結果から考えて最も合理的なだけだ」
「なるほど、続けて」
ここまでが前提、本題はここからだ。
「た、確かにあんたの言う通りだけどさ。だったら、なんだってんのよ」
「俺が暴きたいのは、あなたが本当に好きだった男の正体です。とある筋の証言によれば、相手は『優柔不断で男らしくない男』だったそうですね」
「誰から聞いたの?」
「教えられません。しかし、確かな筋です」
「はぁ? 教えなさいよ!」
いつもなら、論点とは関係のない些事にツッコむのが愚者の特徴だと疲れるだけだが、このとき俺は一つの方法を思いついていた。
「それでは、あなたが晴田と会ってくれるなら明かします。もちろん、俺の話を聞いてから答えを決めてもらって構いません」
「ぐぬ……っ! ムッカつく!!」
概ね、了承と受け取っていい反応だろう。話を続けようか。
「その優柔不断な彼を手に入れたいあなたは、一つ作戦を考えました。それが、彼の嫉妬心を煽る方法です。別の男のモノになってしまうと焦らせて、彼の感情を揺さぶろうとしたのでしょう」
「なるほど、中学生っぽくてかわいいねぇ」
「しかし、一番の謎はここです。なぜ、優柔不断な男に別の男といることが想い人を攻略する術に繋がるのか。どう考えたって、直接『好きだ』と伝えるほうが合理的です」
「恥ずかしかったんでしょ?」
恥ずかしかった。サオリの言葉を聞くよりも前に、雲井は俯いていた。
「それもあるかもしれない。しかし、最も大きな意味は『好きな男が晴田に勝って欲しい』という願望だった。『彼は決して晴田に劣ってなどいない』。雲井さんは、
聞いた瞬間、雲井が見せたのは泣きそうな顔だった。出来ることなら、最後まで『こいつよりウチの方が格上なんだ』とイキがっていて欲しかったのに。
ごめんな、ヒデぇことして。
「違いますか? 雲井さん」
「……はぁ。ふふ、違わないよ」
「そうですか、認めてもらえて助かります」
「あ〜ぁ。今まで誰にも言わなかったのに。なんで、あんたみたいなぽっと出にバレちゃうかなぁ」
晴田は天才だ、何でも出来る超人だ。興味のない人間には目もくれず、自分の好きなように生きることが出来る、それでいて無自覚な化け物だ。
その才能はきっと幼少の頃から発揮されていたハズで、常に烏合より数歩先を行っていたハズで、意識せず成果を残せたハズで。
ならば、西城高校の2年B組。その男子たちですら感じてしまう劣等感を、幼い小学生が堪えられるワケがなかった。
「だから、あなたの好きな男の優柔不断の原因が晴田だと考えました。何事にも自信を無くした彼の性格が、必要以上に弱くなってしまっても不思議じゃない」
そして、自信を無くしてしまった哀れな男子小学生が、果たしてまともな神経を保ってられただろうか。そんな初恋の相手を見ていて、彼女はどれだけ心苦しかっただろうか。
雲井シズクは、晴田コウに惚れている。想い人にそんな勘違いをされて、彼女はどれだけ絶望しただろうか。
俺には、分かりかねる苦痛だ。
「……だから、中学生になったウチは、一度は離れたコウを呼んでまた三人で遊ぶようになったの。コウからウチを奪えるなら、カイトが前を向けるようになるって思ったから」
カイト。それが、
「そうですか」
「でも、カイトの自信の無さはもう取り返しのつかないところまでいってた。ウチがコウと付き合ってるから見せつけるために呼んでるんだって。彼は、そんなふうに捉えたの」
「ならば、あなたの過ちは何某カイトの考えを否定しなかったことです。彼はその気持ちを口にしてしまったのでしょう。幼馴染みの友達の言葉なら、晴田が信じてしまってもおかしくはない」
「……まさか、それだけでコウがウチのことをね。今でも信じられないな」
これが、嘘をつかずに騙す方法の真相。すべての思惑が空回りして、誰も幸せになれなかった悲しい結末だ。
「男は女が思う以上にチョロいです、浅慮でしたね」
「センリョ。……ふふ、意味は知らないけど、多分ウチがバカってことでしょ」
彼女は、ライフジャケットを脱いでウェットスーツのフロントジッパーを開けた。水着を見せて項垂れるように砂浜の岩に座り、悔しそうに俺を見上げる。
サービス、というワケではないのだろう。ようやく窮屈から解放された、そんな気持ちが伝わってきた。
「……あのさ。あんた、まだウチに聞いてないことがあるでしょ」
「なんのことですか?」
「トボけなくていいっての。コウが裏切られたって思った理由の男のことよ。そいつがカイトじゃないの、分かってるんでしょ?」
「それを明かすのは俺の本意ではありません。雲井さんの名誉にも関わります」
「うぅん、言っていいよ。ウチ、多分あんたみたいな奴が現れるのを待ってた」
そして、雲井は笑った。
「まぁ、幾ら晴田でも幼馴染みの男を『知らない』と言い張るのは無理があります。それに、相手が何某カイトであれば晴田自身が問題を解決出来たハズですから」
キレたあいつが手を出すことは俺の身を以て証明済みだ。つまり、何某カイトが相手なら殴り合いに発展して今ほど遺恨を残すハズはないのである。
「ならば、相手は初恋と関係ない別の男だと考えるのが自然でしょう。そして、そいつとラブホへ入った理由。俺は、あなたが何某カイトに失恋したからだと考えています」
小さなため息。三度の波の音の後、彼女は口を開いた。
「うん。カイトがさ、別の女の子と付き合っちゃって。振り向いてもらうための努力とか、全部どうでもよくなっちゃって。一緒に写ってる写真とか、全部消してさ。それでも振り切れなかったから、エッチなことをしてみれば忘れられるかなって。相手は、誰でも良かったから――」
俺は、言葉に詰まった彼女から目を逸らした。
「ウチ、初めては捧げたんじゃなくて捨てちゃったの。でも、すぐに後悔したよ。何にも変わらないって分かったから」
晴田の奴、恐らくたった一回だった彼女の過ちを目撃してしまうとは。幸運と不運は表裏一体と言ったところか。
「……なんで、あそこで頑張れなかったんだろう」
正直なところ、雲井の本音にそれほど興味が無い。頷くだけで、俺は何も言わなかった。
「今だってそうだよ。ウチ、まだカイトのことが好きなの。高校生にもなって初恋が続いてるなんて、マジでキモいけどね」
「でもさ、シズクは風谷会長と付き合ってるんでしょう? それはなんで?」
「カイトのこと、忘れたいから。辛いんだよ、ずっと一途に恋してるのって」
それが真実であろうが無かろうが彼女の生き方は俺に関係ないのだから、どんな結末を迎えようが知ったことではないのは当然だ。誰だってそう思うハズだ。他人の情事など、本来は探りたがる方が異常なのだ。
……しかし。
「本当に、辛いんだ」
今ここで彼女が前を向く理由を探すのは、過去を暴いてしまった俺の責任だとも思った。今日までの歩み方は違ったが、彼女は俺と同じ道を選んだ同志だから。
「ならば、もう彼に近付くのは止めた方がいいですよ」
俺は、しゃがみ込んで雲井と目線を合わせた。
「か、彼って?」
「決まっています、何某カイトです。川に出る前、楽しそうに話していたでしょう?」
雲井は、複雑な感情を呑み込めず泣いた。その涙を拭ってやる義理はないから、ハンカチは渡さなかった。
「それも、分かってたんだ」
「あなたが芒商業に入学した理由を考えた結論です。ボート部は、何某カイトが見つけた晴田に勝てる唯一の競技だった。あなたは、そこに着いていきたかったのでしょう」
山川たちが見つけた処世術。それを、何某カイトは実践したのだ。
「……あ、あはっ! 本当、あんた凄いね! 凄すぎてキモいくらい!」
やがて、涙はポロポロと流れ出す。水着の上に落ちて、川水と混じり合い水滴が姿を隠した。
「い、いいよ。ひぐ……っ。ウチ、コウに会ってあげる。だから、教えてよ。ひ……っ。ウチの情報、あんたに売った男のことをさ」
彼女は、既に分かっているのだ。
決して明かしてこなかった過去を話した人間は、たった一人しか存在していないから。今度こそ忘れてしまおうと決心して、覚悟を持って想いを告げた相手なのだから。
「風谷会長です」
これは、きっと雲井シズクへの罰だ。
あくまでも何某カイトを待ち続けた不誠実な恋への罰。そして、痛みから逃れようと自分に嘘をついた罰。
裏切りは、彼女を決して救わない。ようやく事実を受け入れたからこそ、その涙は止まらないのだろう。
「シズク……」
サオリは、しばらく彼女の肩をさすって慰めていたが。やがて、しばらく経った頃。雲井は大きく深呼吸をするとゆっくり顔をあげて俺を見上げた。
「……はぁ。あ〜! 泣いた泣いた! マジでメッチャ泣いた! ウォータープルーフなのにベチョベチョ! あはっ!」
なるほど。こいつは、かなり気持ちのいい性格をしているな。流石は陽キャといったところだ。
「どんな気分ですか?」
「はぁ? そんなこと聞くワケ? あんたマジでキモイね。普通に考えて、女が泣いてたら慰めるでしょ?」
「あいにく、俺は普通の男じゃないですから」
「あはは。まぁ、それは言えてるか。仕方ないなぁ、もう。クッソ、あのチャラ男会長、5発ブン殴ってフッてやろ。どうせ、あんたも女を使って聞き出したんでしょ? 分かってるよ」
物騒な強がりを呟いて、雲井は俺に手を伸ばした。風谷の評判は芒商業の女子たちにとってそれなりに有名なのだろう。だからこそ、雲井は彼を選んだんだろうが。
仕方ない、立ち上がる手助けくらいしてやろうか。俺は、手を差し伸べて彼女の小さな手を握った。
「ヨイショっと。そういえば、あんたの名前なんだっけ。もう一回教えてよ」
「高槻シンジです」
「ふぅん、シンジか。あんたさ、ウチがカイトと付き合うための方法考えてよ。出来るっしょ?」
「出来ません。というか、俺は会わない方がいいと提言しませんでした?」
「テーゲン? なにそれ? てか、やっぱ好きな人と付き合いたいしさ。何なら、今カイトもフリーだし」
立ち上がる手助けって、そういうことじゃないんだけど。
「これ、契約の握手ね。やっぱさぁ、恋は一途でナンボっしょ。今度は真正面からぶつかってちゃんと口説き落としてやるんだから」
「はぁ?」
「ウチのライン、サオリから聞いてよ。コウと会う日は早い方がいいっしょ? なら明日だよね? 何時か決まったら教えてね〜」
「いや、ちょっと――」
「またね、シンジ。あと、サオリも。つーか、あんたはウチにスタバ奢れし。マジで酷いんだからねっ」
「仕方ないなぁ、今度ね」
雲井は、スーツとジャケットを素早く身に着けると疾風のようにボートを漕いでいった。本当に相性の悪いというか、俺のやり方が通用しない女だと改めて思った。
「……帰るか。俺、バイトあるし」
「うん、後でシズクのライン送るね」
そして、俺たちは別々の道から自分の家へと帰った。
なんかスゲェ疲れた。一方的な約束だし、何某カイトの事を調べるのは少しだけ待ってもらうとしよう。
……ところで、雲井と同じってことは必然サオリと晴田も同じ中学だったってことになる。
先に教えてくれていればもう少し楽になったような気もするが、しかし遠回りこそが青春の醍醐味だ。彼女の復讐の過激化を抑えたモノだと思って、ポジティブに捉えるとしよう。
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