第5話

 005



 電車に乗って海岸へ向かう最中、俺は何となく文庫本の続きを読んでいた。特に集中しているワケでもない。さっきも電車で通りすがる湖の水面を眺めていたし、本懐は雲井シズク説得の材料作りだ。



 ただ、U・N・オーウェンが何者なのかは気になる。考えごとと推理小説、あまり相性がよくないね。



「犯人はこの人、実は生きてるんだよ」



 言葉と同時に、文章に並べられた一つの名前を示す人差し指が視界に現れた。少しだって気配に気が付かないくらい、本当に突然の出来事であった。



「……は、はぁ!?」

「やぁ、シンジ。クリスティだなんて随分とミーハーな趣味だね。もしかして、この前の推理から探偵さんに憧れてる?」



 あり得ない角度からネタバレをくらい、思わず叫んで頭上を見上げた。



 そこには、ロリっぽい表情をぶら下げゆるふわな髪を揺ら――。



「ふふ、なぁに?」



 揺らしていなかった。



 緩くパーマのかかったような栗色の髪の毛は相変わらずだが、ベリーショートと言って差し支えないだろうユニセックスな髪型をした、しかしセーラー服姿の女子高生がクソ生意気な微笑みを浮かべて立っていた。



「ふざけんなよ。タダで読んでるモノとはいえ、ネタバレされたらムカつくぞ」

「シンジぃ、公共の場で推理小説を読んでおいて『ネタバレするな』だなんて。ゾンビの群れに生きた人間を放って『食べるな』と注文するようなモノだよ」

「それ、お前が理性のないゾンビってことか?」

「くくくっ。大体、知らない本のことを教えてって言ったのはそっちじゃない。言うこと聞いてあげたんだから感謝してよね?」

「……クソ、かわいくねぇな。もう読む気もなくなったよ、つまんねぇ」



 言いながら彼女の姿をマジマジと見る。そして、顕になった細い首とやや血色の良くなった肌に気が付き、やがて髪型のせいだけではない、明らかな風体の違和感に気がついていた。



「お前、身長伸びたな」

「うん。髪も短かーく切ったんだよ、かわいいでしょう?」

「そうだな、似合ってるよ。悪くない」

「えへっ。まぁ、どんだけ後悔しても絶対に付き合ってあげないけどね。死ねっ!」



 幼い声でそれを言われると、男的にはえも言われぬ感情が湧いてくるワケだが。ここで何かを言うこと自体がサオリの勝ちに繋がりそうだから、大人しく現状の問題のみを突くことにした。



 ……まぁ、これだけ変わったら昔の呼び方なんて出来ねぇよな。



「つーか、なんでネタバレしたんだよ。お前どこから湧いてきたんだ?」

「たまたま乗り合わせただけだし、ネタバレはフラれた憂さ晴らしに決まってるじゃん。むしろ、こんな海岸方面まで電車に乗ってるシンジの方が怪しいけどね」



 『フラレたから』って、もし言い返したら絶対に俺が悪者になる最強の盾じゃんか。流石に強過ぎるだろ。



「満足かよ」

「うん、とりあえず満足したよ。シンジがどれだけ真実を知りたいのか、あたしが一番よく知ってるんだから」

「そうかい」

「あはっ、それにしても復讐って本当に気持ちがいいわねっ! もっと復讐したくなってきたっ!」

「物騒な」

「決めたっ! あたしはシンジに復讐し続ける! 色んな角度から酷い目に合わせるから覚悟しなさいよ!?」



 高笑いするサオリの姿は、さながら世界征服を目論む悪者の姿だった。こっちを見つめる乗客たちは、果たしてなにを考えているのだろうか。出来れば真実をありのままに受け取っていて欲しいところだ。



「ふふっ、わかったよ。受けて立つぜ、サオリ」



 沿線の湖から身元不明の水死体どざえもんが上がったら俺だろうな。そう付け加えると、彼女は快活な笑みを浮かべてから隣に座ったのだった。



「オホン。それでは改めまして。久しぶりだね、シンジ」

「あぁ、久しぶりだな。サオリ」

「大変そうだね、今日は誰を助けてるの?」

「内緒だ」



 流石に、ケチョンケチョンにコキ下ろした男の名前を上げるのは憚れるからな。



「なんでよ、あたしのせいで女の子を助けないって決めたのが恥ずかしいから?」

「半分くらいは合ってるけど、やっぱり違う。それに、クライアントの情報を明かしたくないだけだ」

「なら、当ててあげる。晴田コウでしょ。依頼人は、まぁミチルなんだろうけどさ」



 いや。きっと、知ってる名前を当てずっぽうに言ったに過ぎない。ビビらなくていい。まだビビるような時間じゃない。



「それってさ、あたしが学級裁判を起こさなければ、きっとシンジに巻き起こっていたであろうトラブルだもん。なら、キミが黙って見過ごせるハズない。晴田コウが苦しんでいるのも、ミチルを上手に救えなかった自分の罪だって捉えてるんでしょう?」



 ……いやぁ、参った。本当に参った。



「お手上げ。お前、マジでスゲェな」

「ふふん、褒めても許さないけどね。バーカっ!」



 雪原サオリ。



 俺が初めて尊敬した初恋の女。ぶったまげるくらい俺を好きでいた、故に俺の性格が捻じ曲がるを作った張本人。オカルティックに心を見抜く、チート使いの狂った秀才。



 そして、かつては絶対に敵わないと思っていた人間だ。



「後悔してねぇよ、だって俺悪くねぇもん」

「あ、ムカつくっ!」

「勝手にムカついてろぉ、ばーか」

「残念、あたしは秀雲学園に通ってまぁす。シンジの方がばかでぇす」

「ぐ……っ」



 さっき、芒商業に偏差値煽りしたせいで個人の能力で戦うことが出来ない。墓穴も墓穴過ぎて、もはや自分が滑稽にすら思えてきた。

 言い合っている間に電車が河口付近の駅へ到着したし、これ以上負けたくないから黙って消えることにしよう。



 穴があったら入りたい気分だが、流石に墓穴には入れないな。



「ダメ、面白そうだからあたしも行く」

「来るなよ、問題が増えるから」

「シンジみたいな陰キャが一人で陽キャの集団に話しかけて、ちゃんと聞いてくれると思ってるの?」

「方法はあるさ」

「逃さないように強迫するんでしょ? でも、あぁいうタイプはシンジが思う以上にリスキーだと思うよ? 周りに人もいるだろうし、被害者ヅラこかれちゃう。ミチルが噛んでるなら尚更だよ」



 ……。



「そ、そうかな」

「当たり前じゃん、シズクはシンジと相性が悪過ぎる。でも、あたしがいれば受ける傷を一つ減らせるかもしれない」

「そうか。ところでお前、なんでこれから話に行く女のことを知ってるんだ?」

「えへへ、内緒っ!」



 まったく、本当に困った女だ。



 考えても埒が明かないし、こいつも芒商業に用事があってたまたま居合わせて、たまたま俺たちの動向を覗いていたと思っておくか。

 定期の乗車履歴を調べれば判明するだろうが、別にそこまでするようなことでもないだろう。



 今更、サオリが何言っても驚かないさ。



「分かった、好きにしてくれ」

「好きにしてくれ?」

「わりぃ、間違えた。仕方ねぇから連れてってやるよ、感謝しろな?」

「ちっがう! なんでシンジが上から目線なのよぉ!?」



 しかし、俺なんて二度と会いたくない男ランキング堂々の第一位だろうに。割り切ったのか、振り切ったのか、サオリは確かに前へ進んでいる。



 こんなことを言ったらなんだけど、あの日に今の彼女と再会していれば、俺は間違いなくサオリをと思うぜ。

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