第3話 ②

「雲井はそのボート部と生徒会に入ってる。役職は副会長で、恋人は生徒会長の風谷ツカサだ。例のラブホに入っていった男とは別人みたいだな」

「この風谷くんって、なんか見たことあるなぁ。どこで見たんだっけ」

「知らん」

「あ、思い出した。この人、前に私のことナンパしてきた人だ」



 また拗れそうな話を。



「その話は関係あるのか?」

「ねぇ、聞いてよぉ。夏休みにさぁ、みんなでプールに行ったんだけどさぁ。この人、私がパラソルの下で涼んでたら声かけてきてさぁ」

「関係あるのか?」

「『かわいいね、今一人?』だってさ。いやいや、普通に考えてプールに一人で遊びに行くワケなくない? 5人分の焼きそばとかも置いてあるのにさぁ、バカ過ぎて思わず笑っちゃったよぉ」

「なぁ、関係――」

「そうそう、ココミちゃんっておっぱい大きいでしょ!? それでさ、泳いでる時におっぱいが溢れちゃってさぁ!」



 トントンとテーブルを叩き、ウェイトレスにお茶のおかわりを持ってきてもらう。「ありがとうございます」の礼で意味に気が付いたのか、月野は咳ばらいをして姿勢を直した。



「ていうか、雲井さんはモテるんだね。カレシが途切れない女の子っているよね」

「どうだろうな。ただ、ツラは良いし性格は明るくて友達も多い。もしかすると、晴田のことなんてとっくに忘れてるかもしれない」

「そうかなぁ」

「よくある話だろ。男はずっと引きずるし、女はさっさと次へ行く。そういうカップル、結構見てきたぞ」



 それは、さっきの無駄話に対する僅かばかりのイジワルだった。女で、しかも現在進行系で恋をしている月野じゃどう答えれば良いのか分からない質問に違いない。



「……でも、私は違うよ。シンジくんみたいに割り切って先へ進む男もいるし、ずっと昔のことを引きずる女もいると思う」



 意外な返答に、俺は俯く月野に一瞥をくれて浅くため息をついた。このテーブルがもう少し狭ければ、思わず頭を撫でて慰めてしまったかもしれない。



 そんな、切なくて儚げな笑顔だった。



「悪かった、反省する」

「え? シンジくん、なにか私に悪いことしたの?」

「気がついてないなら別にいい」

「えぇ、なんでよぉ。気になるから教えてよぉ」



 月野ミチルは、時々とんでもなく冴えた切れ味の言葉で斬りかけてくるかと思えば、相手の決定的な弱点には気が付けずトドメを刺せないツメの甘さも披露する。



 不思議だ。もしかすると、いつか俺は彼女から徹底的に説き伏せられるかもしれない。そんな心地よい不安が、僅かばかり脳裏に走った。



「ねぇ、教えてよぉ」

「気が付けないお前の無能っぷりを後悔しろ、バーカ」

「はーっ!? なにそれぇ! ちょっと、大人しく教えなさいよぉ!」



 今にも立ち上がりそうな彼女の口の中に、俺は残っていた最後の胡麻団子を突っ込んで黙らせた。しかめっ面でモグモグと口を動かす姿は、さながら冬眠前のシマリスといったところだ。



「なぁ、んまいだろ」

「おいひい!」

「話、続けていいか?」

「モグモグ……っ。うんっ!」



 そんなワケで、再びチャイナドレスのウェイトレスが茶を注いでくれた後に俺は話を再開した。



「晴田のメンタルを正常に戻すために必要なことは二つある。一つは、二人が本当に付き合っていたかどうかの真実を知ること。二つは、昔の晴田の感性がどうだったのかを晴田が雲井から直接教わることだ」

「なるほど。その仮説が正しかった場合、鈍感という逃げ道を根本から潰せるワケだね」



 なんか、少しずつ俺の考え方が移ってる気がする。似合わないから止めたほうがいいと思いつつ、勘違いだったら恥ずかしいから指摘するのはやめとこう。



「あぁ。実際、ハーレム事変で晴田は興味のある人間や事柄には著しく反応を示した。受け入れるしかない状況を作ることが、鈍感な人間に物事を伝える一番の近道になる」

「ハーレム事変?」

「お前らの関係にメスが入った日のこと、命名はサオリちゃんだ」

「メスって。あぁ。そ、そういうことですか」



 そうやって申し訳無さそうな顔を見せてくれるなら、俺がアホ面こいて首を突っ込んだ価値もあったってモンさ。



「とにかく、雲井シズクとコンタクトを取ることが先決だ。そういえば、月野。お前、さっき風谷にナンパされたって言ってたな」

「え? う、うん。されたよ」

「なら、お前から風谷に連絡をとってくれ。過去を穿り返すなら一筋縄じゃいかないだろうし、先に雲井を手中に収める情報を手に入れたいんだ。連絡先、教えられただろ?」

「まぁ、鬱陶しいからラインだけ交換したけどさ」



 月野は取り出したスマホから、ヤバい数の友達のリストを高速でスクロールして風谷とのトークルームを表示した。



「早速頼む」

「えぇ、嫌だよぉ。私、チャラい感じの男の子って好きじゃないもん」

「友達を救うためだ、腹ぁ括れ」

「……じゃあ、シンジくんが私にお願いしてくれないかな」

「あぁ?」



 月野は、何だか焦れったく両手の指をコネコネしながら呟くように言った。



「本当に、あぁいうタイプの男の子は苦手なの。だから、頑張るために理由が必要」

「そ、そんなに嫌なのか?」

「うん、ごめん」



 そこまで嫌いなら仕方ない。協力する姿勢を見せた以上、俺だってちゃぶ台をひっくり返す気はサラサラないからな。



「頼む、月野。頑張ってくれ」

「そ、そうじゃなくてさ」

「はぁ?」

「シンジくんに私が必要だって、そう言ってほしい」



 俺としたことが、イラッとするよりも先に月野にトラウマを植え付けた彼女の中学時代の出来事の断片を思い出してしまった。そういえば、こいつは可哀想な奴だったな。



 ……。



「月野。お前の力が必要だ。一緒に頑張ってくれると助かる」



 瞬間、彼女は席を立って俺の右手を強く握る。防げなかったのは、こいつの口へ突っ込む胡麻団子が無かったからだ。



「本当に、そう思ってる?」



 欲されることに誰よりも飢えている彼女に、既に手を触れさせてしまったのだから。ここで突き放してしまうことは、下手すれば一発で心を病むような悪い選択肢なのだろう。



 ……それは、よくねぇなぁ。



「思ってるよ。俺には出来なくて、月野には出来ることだから」

「えへへ。やったぁ、優しい口調だぁ」



 何だか、泣きそうになってしまった。



 こんなにも誰かに欲されたくて、心の奥底を刺激する最大の欲求が『使われること』だなんて。自分が何かを成すことよりも、誰かの力になることそのモノが目的になってしまうだなんて。



 どうして、そこだけ俺と真逆に育ってしまったんだろうな。



「……分かった。私、やってみるよ。シンジくんのやり方、間違ってるワケないもんね」

「買い被り過ぎだ」

「んふふ。でも、私は本気でそう信じてる。あなたのやり方は、絶対に成功するって信じてるの」

「そうかい」



 その割には、俺の手を握る力が弱々しくて。どうにも並の激励では恐怖を乗り越えられないと訴えているように思えた。そんな相手の気持ちが分かってしまう、今だけは自分の知識と経験が恨めしい。



「なぁ、月野」

「なに?」

「大丈夫、俺がついてる」



 月野は息を呑んで少しだけ笑った。



 裏切りの言葉。よもや、こんなところで再び使う羽目になるとは。



「私ね? 頼んだから、シンジくんは力を貸してくれるんだって分かってるよ。ご飯のお礼に例外を作ってくれたんだって、ちゃんと身分は弁えてるつもり」



 これ以上寄りかかられるのはマズいと思い素早く手を離す。名残惜しさを感じる切ない彼女の吐息を、俺は聞こえないフリをした。



「あざといこと言ってんなよ、憎まれ口叩いてくれないと調子出ねぇじゃんか」

「……んふふ、もしかして弱点?」

「違う」

「なにそれぇ、面白くないなぁ」



 そして、月野は風谷にラインを送った。



 レスポンスは速攻。やたらとテンションの高い頭の悪そうな文章が、彼女のスマホの画面に表示されている。客観的に見ると、男の下心って全然隠せてないモノだ。



 ……というか、こいつって雲井のカレシなんだよな? 別の女を口説くなんて、証拠をカノジョに見つけられたら結構怒られそうなモノだが。



「男なんて、こんなもんだよ」

「へぇ、そうなのか。俺の周り、一途な陰キャばっかりだから全然馴染みねぇわ」

「あれ、シンジくん怒らないんだね。予想では『こんなクソ男がいると迷惑する』みたいな。私の思い浮かばない罵詈雑言で貶すと思ったのに」

「だって、別に迷惑じゃねぇもん。面識ねぇし、関係ねぇし」



 相変わらず想定外の返事に弱い女だ。ポカンと口を開けて、せっかく大人っぽくなった雰囲気が失せてガキ丸だしって感じ。



「けどさ、彼は一途じゃないよ?」

「俺が一途でいることと、俺じゃない男が一途でいないことは別に関係ないだろ」

「でた、それとこれとは関係ない論法。強過ぎるからダメ」



 禁止カード認定されてしまった。勝手に決まったレギュレーションだけど、守ってやらないとダメなんだろうな。



「なんつーかさ。チャラついてんのって同じ男としてダッセぇと思うと同時に、羨ましかったり妬ましかったりもするんだ。俺には出来ないことだしな」

「なにそれ、言ってることメチャクチャじゃない?」

「複雑なんだよ、男心は」



 別に、俺は俺の意見が世間的に正しいことだとは微塵も思ってないし、そもそも正しくあるべきだとも考えちゃいない。ただ、俺が俺の筋を通すための道標みちしるべとして信じているだけ。



 だからこそ、他人の意見には惑わされない。もしも考えが変わるのなら、それは俺自身に何かがあったときだけなのだ。



「考え過ぎだと思うけどなぁ」

「凡人はこれくらいでちょうどいいんだよ。つーか、俺が大勢の女から好かれるなんてこともねぇし。なんつーか、取らぬ狸の皮算用とか、海も見えぬに船用意とか」

「無い物ねだり、じゃない?」

「あぁ、それがシックリくるな。何一つ持ってないから、現実を知らないで理想も高くなる。バカな話だよな」

「み、認めるんだ」

「認めるよ、それが俺の弱点」



 ……腹が落ち着いて、可哀想な月野の表情を見て、つい本音が溢れてしまった。



 そういえば、大将といい鵜飼さんといい、本音を話した人間は飯を奢ってくれる人ばかり。リアリティがあるといえば聞こえがいいけど、俺ってば本当に現金な奴だ。



「んふふ、良いこと聞いちゃった」

「好きに使ってくれ。俺、これからバイトだから帰るわ」

「うん、わかった」

「飯、ありがとうな。そんじゃ」



 こうして、俺は大将の店へ向かった。



 あれだけ食ったにも関わらず歩いているうちに段々と腹が減って、仕事が終わる頃にはペコペコだった。食いしん坊で貧乏だと本当に苦労するよ。

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