第2話

「それで、なんのつもりだよ。月野」



 俺は壁に寄りかかってあざとく上目遣いをする彼女に詰め寄った。この女は俺の精神的な弱みを握っている。自覚していたら厄介だと思い、口止めのつもりで連れてきたのだが果たしてどうだろうか。



「だって、お話したかったんだもん」



 してない、のか?



 よく分からない反応だった。人の感情の機微にはそれなりに敏感な俺だけど、俺を見る月野の目はやたらと嬉しそうな感情が滲んでいて奥まで覗けないのだ。



 厄介だな、色んな意味で。



「お話って?」

「シンジくん、私のことを無視するじゃん。夏休み中はライン送っても既読すら付かないでポツンって感じだったし。寂しいもん」

「『もん』って、お前はもう晴田に惚れられてんだぞ? 状況分かってんのか?」

「わかってるよ! でも、私はシンジくんとお話したかったんだもん! しょうがないでしょう!?」



 逆ギレかよ。



 というか、さっきまで張り付けていたクラスのアイドル的清楚キャラクターはどこへ行ったんだ。少なくとも今のこいつのB面的な性格じゃ、ラブコメのメインヒロインは張れそうにない。



「なんで、そんなに自信満々に食い下がれるんだよ。お前、自分が晴田に何をしたのか覚えてねぇのか?」

「シンジくんこそ、私に何したのか覚えてないの?」



 オウム返し。非常にシンプルかつ、かなり強力な弁論の術だ。



 月野なりに、何とかして一矢報いようと勉強してきたのが伝わってくる拙い表情をしていた。きっと、こいつの鞄には弁論を学ぶ本が入っているのだろう。今朝もページを捲っていたのを目撃している。



 ただし、月野のそれは回答を棚に上げただけの切り返し。俺なら無理やり相手のエクスキューズを引っ張り出すことも容易だが。彼女にそれが出来るだろうか。



 ……。



「そんで、話ってなんだよ」

「なんで必ず話題があると思うの? 世間話じゃいけないの?」

「調子乗るな、じゃあな」

「待って待って! ウソ! ごめんなさい! 本当はちゃんとお話したいことあるからぁ!」



 月野は右手に絡みつき、帰ろうとする俺を引き止めた。



 ズルい反応だけど、一番どうしようもないのは俺がこういう真剣な奴を絶対に嫌いになれないことだった。小賢しいのではなく必死なだけっていう姿勢が、実は頼まれる側としては一番断りにくいんだ。



「わ、分かった。聞くから離してくれ」

「やった。んっとね、町家繁華に飲茶喫茶が出来たんだよ。一緒に行きたいなぁって」



 思わず特大のため息を吐いた。



 ここまでバカだったのかと逡巡するも、しかし今の彼女が考え無しに願望をぶっ込んでくるとは思えない。慣れてない交渉だから口にする言葉の順序を間違えたのだと思って、もう少しだけここに残ることにした。



 またしても、俺は自分の搦め手に苦しめられているみたいだ。



「なぁ、そのボケ面白くないぜ?」

「ボケてないよ。あと、口悪過ぎだから」



 こういう喧嘩っ早い性格のヒロインは青山の担当だと思っていたよ。



「大体さぁ、サオリに対する口調と私に対する口調や言葉遣いが違い過ぎるからね?」



 地味にサオリちゃんを呼び捨てにしていることに気が付いた。だからといって、どうというワケでもないけれど。



「なんでサオリちゃんが出てくるんだよ」

「だって、あの子には『〜だよ』とか『〜なんだ』とか優しい感じだったじゃん。私にはすぐにバカとかボケとかいうし」

「バカでボケてる女にバカとかボケって言って何が悪いんだよ」

「バカでもボケてもないから! 何でそんな酷いこと言うの!?」



 いわゆる、女が男に弄られて媚びるような気持ちの悪い膨れっ面ではなく、本気で納得がいっていないような不機嫌な様子で月野は俺のシャツを掴んだ。



 そんな彼女を見て、ようやく俺は分かったんだ。



「お前、嘘つくの止めたんだな」



 って。



「……あぅ」



 月野は、予想外の言葉に頬を染めて目を泳がせた。



 彼女の行動自体に嘘がないのなら、俺が晴田に言ったハーレムヒロインへの嫌悪感を聞いているのだから、月野は月野なりに勤勉で無駄にならない努力を考え積み重ねようとしていることになる。



 こういう時、いい男は黙って気付かないフリをするのだろう。逆説的に俺がいい男じゃないってことが証明されて、自己評価との乖離が無いことに俺は満足だった。



「し、質問に答えてよ」

「どう答えたら満足してくれるんだ?」

「えぇ? いや、それはさぁ……」

「ほら、明確な答えなんてねぇんだよ。それと同じ」

「ズルいよ、本当はあるクセに」



 あまりにも露骨にの差を見せつけたからか、月野は俺のシャツをシワが残りそうなくらいに握り締めた。

 美人でいい家に住んでる月野が悔しそうにしているのを見るのは、持たざる者として心の底から気持ちがいいぜ。



「まぁ、いいや。多分、腰据えて話してぇことがあるんだろ?」

「……あらら。やっぱり、分かっちゃいますか」

「分かっちゃいますよ、まったく」



 そんなワケで、俺は来たるXデーが今日であったことを理解して頭を振った。



 とはいえ、最近の不穏なクラスの雰囲気。ギスギスしてドロドロして、そろそろ気にしないようにするのも無理だと思っていたところだ。

 トラブルと鉄は熱い内に打たないと取り返しがつかなくなる。何とかするなら、キッカケが訪れた今なのだろう。



 まぁボロッカスに打ち負かして気持ちよくなったことだし、その礼として月野の話を聞いてやってもバチは当たらないと思い込もうか。



 ……それに、恐らく助けるのは月野じゃなくて晴田だ。



 俺の方針に、決して反してはいないんだぜ。

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